旅の栞(ドロミテ・チロル)
7月30日

ザルツブルグ (ホテル)アルプバッハインスブルック (宿泊)



宿泊ホテル: ザルツブル ク ウエスト [Salzburg West] (08:48)
連泊していたホテルを出発し、花のむらアルプバッハ [Alpbach] へ向かう。
「西南西」MAP Lay.A
宿泊ホテル: ザルツブル ク ウエスト の駐車場 (08:49)
「北東」MAP Lay.A
宿泊ホテル: ザルツブル ク ウエスト (08:50)
「西南西」MAP Lay.A
オーストリア から ドイツへの国境 (09:19)
手前の四角い道標 「Bundesrepublik Deutschland」 は、ドイツ連邦共和国を示し、その後ろの丸い道標 「Freistaat Bayern」は、バイエルン州を示す。 一旦、オーストリアからドイツ領内に入り、その後、再びオーストリアに戻る。
「西北西」MAP Lay.A
オーストリアからドイツへの検問所 (09:22)
密輸業者や不法入国難民を対象とした検問所。
シェンゲン協定は、加盟国間の国境検査を原則廃止し、人や物の自由な移動を認めるものであるが、これにより域外からの不法入国や域内での密輸、難民問題への対処が複雑化している。 通常は国境管理のないシェンゲン協定加盟国であるドイツおよび他の国々は、100万人を超える難民や移民が欧州に流入した事により、2015年に緊急国境管理を導入した。
「西」MAP Lay.A
キーム湖 [Chiemsee] (09:53)
湖畔て゛一休み。 キーム湖 [Chiemsee] は、ドイツ・バイエルン州最大の湖で、「バイエルンの海」とも呼ばれている。 湖水浴とボート遊びを楽しめる美しい湖で、3 つの島が浮かび、その 1 つにはベネディクト会の女子修道院がある。
「東」 MAP Lay.A
キーム湖 [Chiemsee] は、ドイツのミュンヘンとオーストラリアのザルツブルクの間に位置している。
キーム湖 [Chiemsee] (09:53)
「西」MAP Lay.A
キーム湖 [Chiemsee] (09:53)
湖上にはヘルレン島 [Herreninsel] とフラウエン島 [Fraueninsel] があり、、その 1 つにはベネディクト会の女子修道院がある。
「北」MAP Lay.A
キーム湖 [Chiemsee] (09:54)
「東」MAP Lay.A
ドイツからオーストリアへの国境標識 (10:34)
この先の橋が、ドイツからオーストリアへの国境である事を示している。 ドイツからオーストリアへ入る場合は、検問所は設けられていない。

道路標識は、オーストリア共和国への入国と、特定の橋に関する情報を提供。
国名: オーストリア共和国 (Republik Österreich)
橋の名前: イン橋 (Innbrücke)
橋の長さ: 330 m
橋の高さ: 10 m
「西南西」MAP Lay.A
サービスエリア (10:45)
サービスエリア "ASFINAG Raststation Angath Nord" で一休み。
「西」MAP Lay.A
イン川 [Inn] (11:12)
イン川は、スイス,オーストリア,ドイツを流れるドナウ川最大の右岸支流で、 アルプス中央部を貫流する全長517kmの川。 スイス南東隅に源を発し、北東に向かってオーストリアのインスブルックを経てドイツのバイエルン地方に流入し、最後は黒海へと注ぐ。 川の水は、アルプスを形成する石灰岩の氷食により、多くの石灰分が氷河水に溶け込むため白濁している。 氷食(ひょうしょく)とは、岩石や土砂が氷河によって削られ、侵食されることを指す。
「北西」 MAP Lay.A
イン川とドナウ川の流域
イン橋 [Innbrücke] (11:19)
橋の下を横切る道路は、イン渓谷高速道路 [Inntal Autobahn = Inn Valley Autobahn] 。
「南西」MAP Lay.A
アルプバッハー・ランデス通り [Alpbacher Landesstraße] からの眺め (11:23)
この辺りの海抜は、573 メートル。
「西」MAP Lay.A
アルプバッハー・ランデス通り [Alpbacher Landesstraße] からの眺め (11:24)
「北北東」MAP Lay.A
アルプバッハー・ランデス通り [Alpbacher Landesstraße] からの眺め (11:24)
「北北東」MAP Lay.A
アルプバッハー・ランデス通り [Alpbacher Landesstraße] からの眺め (11:25)
ライト・イム・アルプバッハタール [Reith im Alpbachtal] の村は非常に古い集落で、976年頃の文献に初めて記録されている。 15世紀から19世紀にかけては銀と銅の採掘が行われていた。 現在では、農業と観光が主な収入源となっている。
「西」MAP Lay.A
アルプバッハー・ランデス通り [Alpbacher Landesstraße] からの眺め (11:31)
「北北東」MAP Lay.A
アルプバッハー・ランデス通り [Alpbacher Landesstraße] (11:36)
ここでバスを降り、アルプバッハ [Alpbach] 村を散策。 
「北」MAP Lay.A
アルプバッハー・ランデス通り [Alpbacher Landesstraße] (11:37)
ツアー中、お世話になっているバス。
「西」MAP Lay.A
アルプバッハー・ランデス通り [Alpbacher Landesstraße] (11:39)
アルプバッハ [Alpbach] 村の中心部へ向かう。
この辺りの標高は、 965 m
「北東」MAP Lay.A
美しい花の村アルプバッハ (11:41)
ラッテンベルクの南、 アルプバッハ谷の奥、 標高1000mに位置するアルプバッハは、各家庭のバルコニーに春から夏に かけてゼラニウム*など色鮮やかな花があふれるほど飾られていて、その見事さで「オーストリアで一番美しい村」と「ヨーロッパで一番美しい花の村」に選出されたことがある。 村の建物は、チロル地方伝統のシャレー式木造建築が特徴で、その伝統的な外観を長期的に維持するため、1953年に新しい建物の建設に関する厳格なガイドラインが定められ、現在でも、1階より上は木造でなければならないという規則がある。 これといった観光名所はないが、のんびりと散策するだけでも楽しい村で、スキーリゾート地としても知られている。
石碑について
「EUROPADORF」という文字は、ドイツ語で「ヨーロッパの村」を意味する。
「ALPBACH」という文字は村の名前。
「Schönstes Dorf Österreichs」という文字は、ドイツ語で「オーストリアで最も美しい村」を意味する。
「Schönstes Blumendorf Europas」という文字は、ドイツ語で「ヨーロッパで最も美しい花の村」を意味する。
ヨーロッパレベルのコンテストでも高く評価され、この称号を獲得。

ヨーロッパの街角で、よく見かけられる、窓辺を彩るために鉢植えされたゼラニウムは、嘗ては、虫よけ効果 (特に蚊) がある為、虫除けとして窓辺に並べられていた。
「北東」MAP Lay.A
アルプバッハー・ランデス通り [Alpbacher Landesstraße] (11:41)
アルプバッハ [Alpbach] 村の中心部へ向かう。
「東北東」MAP Lay.A
アルプバッハー・ランデス通り [Alpbacher Landesstraße] (11:42)
アルプバッハ [Alpbach] 村の中心部へ向かう。
「北北東」MAP Lay.A
アルプバッハー・ランデス通り [Alpbacher Landesstraße] (11:42)
アルプバッハ [Alpbach] 村の中心部へ向かう。
「北北東」MAP Lay.A
アルプバッハー・ランデス通り [Alpbacher Landesstraße] (11:43)
この辺りは、チロル地方伝統のシャレー式木造建築で統一されている。
「北」MAP Lay.A
アルプバッハー・ランデス通り [Alpbacher Landesstraße] (11:43)
右の建物は、ライファイゼン銀行 アルプバッハタール アルプバッハ支店 [Raiffeisenbank Alpbachtal, Bankstelle Alpbach] の裏手。
「北東」MAP Lay.A
アルプバッハ [Alpbach] (11:44)
この辺りは、スキーリゾート地であることから、宿泊施設が整っている。
「北」MAP Lay.A
アルプバッハ [Alpbach] (11:44)
「北北東」MAP Lay.A
アルプバッハ [Alpbach] (11:45)
左の建物は、スキー用品店とスキー教室。
「東」MAP Lay.A
アルプバッハ [Alpbach] (11:45)
右の建物は、スキー用品店とスキー教室。
「北北東」MAP Lay.A
アルプバッハ [Alpbach] (11:45)
前方の山の標高は 約 1,700m で、村との標高差は 700m 。
「北」MAP Lay.A
アルプバッハ [Alpbach] (11:46)
「北北東」MAP Lay.A
アルプバッハ [Alpbach] (11:46)
「北北東」MAP Lay.A
アルプバッハ [Alpbach] (11:46)
「北」MAP Lay.A
アルプバッハ [Alpbach] (11:46)
「北」MAP Lay.A
アルプバッハ [Alpbach] (11:48)
聖オズワルド教会 [Pfarrkirche St. Oswald] 。
この教会は 1369 年に初めて記録され、1420 年にノーサンブリア王聖オズワルドを記念してより大きな教会が建てらた。 現存する教会は1720年にバロック様式で再建されている。 祭壇は地元の芸術家一家、ブレツァッハー [Bletzacher] 家によって設計され、オルガンは1777年にフェルディナント・フックス [Ferdinand Fuchs] によって製作された。 1954年に拡張されたが、美しいロココ様式のファサードはそのまま保存されている。 アルプバッハ村の墓地には、1961年に亡くなったオーストリアの原子核物理学者、エルヴィン・シュレーディンガーが永眠している。
「東南東」MAP Lay.A
アルプバッハ [Alpbach] (11:48)
聖オズワルド教会 [Pfarrkirche St. Oswald] と左の建物はピザ店 "Pizzeria Messner's"。
「東北東」MAP Lay.A
アルプバッハ [Alpbach] (11:48)
右の建物は、ピザ店 "ピッツェリア・メスナーズ [Pizzeria Messner's] " 。
「南西」MAP Lay.A
アルプバッハ [Alpbach] (11:49)
「北東」MAP Lay.A
アルプバッハ [Alpbach] (11:49)
「北東」MAP Lay.A
アルプバッハ [Alpbach] (11:49)
「北東」MAP Lay.A
アルプバッハ [Alpbach] (11:49)
「北東」MAP Lay.A
アルプバッハ [Alpbach] (11:49)
「北」MAP Lay.A
アルプバッハ [Alpbach] (11:50)
聖オズワルド教会 [Pfarrkirche St. Oswald] の入り口。
「東」MAP Lay.A
アルプバッハ [Alpbach] (11:52)
聖オズワルド教会 [Pfarrkirche St. Oswald] 。
祭壇は地元の芸術家一家、ブレツァッハー [Bletzacher] 家によって設計された。
「東」MAP Lay.A
アルプバッハ [Alpbach] (11:52)
拝廊の上にあるパイプ・オルガン。 オルガンは1777年にフェルディナント・フックス [Ferdinand Fuchs] によって製作された。
「西」MAP Lay.A
アルプバッハ [Alpbach] (11:54)
「東南東」MAP Lay.A
アルプバッハ [Alpbach] (11:57)
冬には、ここはスキー場になる。
「南南西」MAP Lay.A
アルプバッハ [Alpbach] (11:58)
右端の尖った屋根の建物は、 シュクルプトゥーレンヴェーク [Skulpturenweg] と呼ばれる、遊歩道や小道に設けられている屋外アート。
「南南東」MAP Lay.A
アルプバッハ [Alpbach] (12:01)
冬には、ここはスキー場になる。
「西北西」MAP Lay.A
アルプバッハ [Alpbach] (12:01)
「西南西」MAP Lay.A
アルプバッハ [Alpbach] (12:03)
「南西」MAP Lay.A
アルプバッハ [Alpbach] (12:04)
「西南西」MAP Lay.A
アルプバッハ [Alpbach] (12:04)
「西南西」MAP Lay.A
アルプバッハ [Alpbach] (12:04)
「南南西」MAP Lay.A
アルプバッハ [Alpbach] (12:05)
「南南西」MAP Lay.A
アルプバッハ [Alpbach] (12:06)
「西」MAP Lay.A
アルプバッハ [Alpbach] (12:06)
ボグラーホフ・純粋な自然のスパリゾート [Der Böglerhof - pure nature spa resort] 。
「北北西」MAP Lay.A
アルプバッハ [Alpbach] (12:06)
ボグラーホフ・純粋な自然のスパリゾート [Der Böglerhof - pure nature spa resort] 。
「東北東」MAP Lay.A
アルプバッハ [Alpbach] (12:07)
カトリック教会 [Pfarrkirche St. Oswald] 。
「西北西」MAP Lay.A
アルプバッハ [Alpbach] (12:08)
ボグラーホフ・純粋な自然のスパリゾート [Der Böglerhof - pure nature spa resort] のエントランス。
「北北東」MAP Lay.A
アルプバッハ [Alpbach] (12:08)
カトリック教会 [Pfarrkirche St. Oswald] 。
「南西」MAP Lay.A
アルプバッハ [Alpbach] (12:09)
「南南東」MAP Lay.A
アルプバッハ [Alpbach] (12:11)
聖オズワルド教会 [Pfarrkirche St. Oswald] 。
この教会は 1369 年に初めて記録され、1420 年にノーサンブリア王聖オズワルドを記念してより大きな教会が建てらた。 現存する教会は1720年にバロック様式で再建されている。 祭壇は地元の芸術家一家、ブレツァッハー [Bletzacher] 家によって設計され、オルガンは1777年にフェルディナント・フックス [Ferdinand Fuchs] によって製作された。 1954年に拡張されたが、美しいロココ様式のファサードはそのまま保存されている。 アルプバッハ村の墓地には、1961年に亡くなったオーストリアの原子核物理学者、エルヴィン・シュレーディンガーが永眠している。
「東」MAP Lay.A
アルプバッハ [Alpbach] (12:11)
カトリック教会 [Pfarrkirche St. Oswald] 。
「東」MAP Lay.A
アルプバッハ [Alpbach] (12:11)
カトリック教会 [Pfarrkirche St. Oswald] 。
祭壇は地元の芸術家一家、ブレツァッハー [Bletzacher] 家によって設計された。
「東」MAP Lay.A
アルプバッハ [Alpbach] (12:12)
カトリック教会 [Pfarrkirche St. Oswald] 。
「東」MAP Lay.A
アルプバッハ [Alpbach] (12:13)
カトリック教会 [Pfarrkirche St. Oswald] 。
「東」MAP Lay.A
アルプバッハ [Alpbach] (12:13)
カトリック教会 [Pfarrkirche St. Oswald] 。
オルガンは1777年にフェルディナント・フックス [Ferdinand Fuchs] によって製作された。
「西」MAP Lay.A
アルプバッハ [Alpbach] (12:14)
カトリック教会 [Pfarrkirche St. Oswald] 。
「北東」MAP Lay.A
アルプバッハ [Alpbach] (12:14)
カトリック教会 [Pfarrkirche St. Oswald] 。
「南東」MAP Lay.A
アルプバッハ [Alpbach] (12:15)
カトリック教会 [Pfarrkirche St. Oswald] の出入り口。
「北西」MAP Lay.A
アルプバッハ [Alpbach] (12:15)
「北西」MAP Lay.A
アルプバッハ [Alpbach] (12:16)
アルプバッハ村の墓地。
「東」MAP Lay.A
アルプバッハ [Alpbach] (12:17)
アルプバッハ村の墓地。
「北北東」MAP Lay.A
アルプバッハ [Alpbach] (12:17)
アルプバッハ村の墓地。
「北北西」MAP Lay.A
アルプバッハ [Alpbach] (12:18)
アルプバッハ村の墓地。
「西北西」MAP Lay.A
アルプバッハ [Alpbach] (12:18)
アルプバッハ村の墓地。
「西北西」MAP Lay.A
アルプバッハ [Alpbach] (12:18)
アルプバッハ村の墓地。
「西北西」MAP Lay.A
アルプバッハ [Alpbach] (12:19)
アルプバッハ村の墓地。
「西北西」MAP Lay.A
アルプバッハ [Alpbach] (12:19)
アルプバッハ村の墓地。
「南」MAP Lay.A
アルプバッハ [Alpbach] (12:11)
「北」MAP Lay.A
アルプバッハ [Alpbach] (12:38)
昼食のため、ホテル アルプホフ [Hotel Alphof] へ。
「北北西」MAP Lay.A
アルプバッハ [Alpbach] (12:39)
ホテル内の "Bauernstüberl*" で昼食。

ドイツやオーストリアの伝統的な農家風の居酒屋やレストランを指す言葉。
MAP Lay.A
アルプバッハ [Alpbach] (12:40)
ホテル内の "Bauernstüberl*" で昼食。
MAP Lay.A
アルプバッハ [Alpbach] (13:07)
ホテル内の "Bauernstüberl*" で昼食。
MAP Lay.A
アルプバッハ [Alpbach] (13:46)
ホテル アルプホフ [Hotel Alphof] の玄関先。
「北北西」MAP Lay.A
アルプバッハ [Alpbach] (13:46)
ホテル アルプホフ [Hotel Alphof] の玄関先。
「南南東」MAP Lay.A
アルプバッハ [Alpbach] (13:46)
ホテル アルプホフ [Hotel Alphof] 。
「北北西」MAP Lay.A
アルプバッハ [Alpbach] (13:48)
ホテル アルプホフ [Hotel Alphof] 。(車窓から)
昼食を終え、インスブルック [Innsbruck] へ向かう。
「北北西」MAP Lay.A
イン川に架かる橋 (14:32)
インブリッジ A12 フィーダーロード ホールウェスト [Innbrücke A12 Zubringer Hall West] 。
「西」MAP Lay.B
タウル [Thaur] の村 (14:34)
この辺りの山々は 標高2000m を超えている。
「北北西」MAP Lay.B
ハラー通り [Hallerstraße] (14:37)
「北北西」MAP Lay.B
ハラー通り [Hallerstraße] (14:38)
「北北西」MAP Lay.B
イン川に架かる ミューラウ橋 [Mühlauer Brücke] (14:41)
手前の橋が、ミューラウ橋 [Mühlauer Brücke] 。
「西南西」MAP Lay.B
向こうに見える鉄橋は、旧ハンガーブルク鉄道橋 [Alte Hungerburgbahn Brücke] (14:41)
「西北西」MAP Lay.B
聖心教会 [Kirche Herz Jesu] (14:44)
「北」MAP Lay.B
インスブルックのイエズス会教会 [Jesuit Church Innsbruck] (14:48)
「南」MAP Lay.B
教会の屋上に設置された "聖三位一体像"
父なる神 (年配の男性像) 、イエス・キリスト (十字架を持つ男性像) 、そしてその間に配置された鳩 (聖霊の象徴) で構成されている。 像の背後にある放射状に広がる金色の装飾は「光背(こうはい)」または「後光(ごこう)」と呼ばれ、神や仏の超人的な輝きを表現している。
ホテル・グラウアー ベア [Hotel Grauer Bär] (14:57)
Hotel Grauer Bär (ホテル灰色熊) で、一旦、チェックインを済ませてから、市内観光に向かう。
MAP Lay.B
インスブルックのホーフブルク*宮殿 [Hofburg Innsbruck] (15:19)
標高2000mを超えるアルプスの山々に囲まれたインスブルックは、チロル州の州都。 「イン川にかかる橋」という意味の名のとおり、この町は、12世紀にイン川の橋のたもとの集落から始まった。 15世紀末、 この町を愛した皇帝マクシミリアン1世の統治下に発展を遂げた。 当時の古い建物が残り、歩行者専用ゾーンになっている旧市街の散策が楽しい。
1964年と1976年の2度の冬季オリンピック開催地としても有名で、 ウインタースポーツはもちろん、夏も周辺ハイキン グを楽しむために、 多くの人々が訪れる。

独: ホーフブルク [Hofburg] は、「皇宮」の意。
「北西」MAP Lay.B
建物の切妻に設置されていのは、インスブルック王宮 [Hofburg Innsbruck] の紋章
紋章は、オーストリア=ハンガリー帝国時代の双頭の鷲 (ダブルイーグル) のデザインを特徴としている。
鷲は剣と王笏(おうしゃく)及び、宝珠をそれぞれ掴んでおり、胸には盾が描かれている。
「北西」MAP Lay.B
インスブルックのホーフブルク宮殿 [Hofburg Innsbruck] (15:20)
"インスブルックのホーフブルク*宮殿 [Hofburg Innsbruck] " は、ウィーンのシェーンブルン宮殿ウィーン王宮(ホーフブルク宮殿)と並ぶ、オーストリアで文化的に最も重要な建築物の1つ。 元々は15世紀半ばに後期ゴシック様式で建設されたが、18世紀に女帝マリア・テレジアの命により優美なロココ調の宮殿へと大規模に改築された。

独: ホーフブルク [Hofburg] は、「皇宮」の意。
「北西」MAP Lay.B
王宮通り [Hofgasse] (15:29)
ホーフガッセ [Hofgasse] は、主にオーストリアやドイツなどドイツ語圏の都市にある通りの名前で、「宮廷の通り」や「王宮の通り」といった意味を持ち、インスブルックのホーフブルク宮殿 [Hofburg Palace] 周辺の土産物店が並ぶ通りとして有名で、歴史的な雰囲気と観光スポットが集まる場所。
「西」MAP Lay.B
王宮通り [Hofgasse] から観る、シュティフト通り [Stiftgasse] (15:30)
Stiftgasse(シュティフトガッセ)は、オーストリアのウィーンやインスブルックなどにある通りの名前。 (レストラン通り ?)
「南」MAP Lay.B
王宮通り [Hofgasse] (15:30)
「西」MAP Lay.B
王宮の中庭 (15:34)
ここは、7 月初旬から 8 月初旬にかけて一連の夏季コンサート "インスブルック・プロムナード・コンサート [Innsbrucker Promenadenkonzerte] " が行われる会場となっている。
「北」MAP Lay.B
王宮の中庭 (15:35)
「北西」MAP Lay.B
王宮の中庭 (15:35)
「北」MAP Lay.B
聖ヤコブ大聖堂 [Dom zu St. Jakob] (15:40)
聖ヤコブ大聖堂は、ローマカトリック教会インスブルック教区の司教座聖堂で、この大聖堂は使徒ヤコブ大王に捧げられており、その守護聖人の祝日は7月25日の聖ヤコブの日に祝われる。
「東」MAP Lay.B
聖ヤコブ大聖堂 [Dom zu St. Jakob] (15:42)
「東」MAP Lay.B
上部の彫刻は、馬に乗った聖ヤコブを描いており、中央の壁龕 (へきがん) 内の彫刻は、聖母マリアを表している。 時計塔
鐘楼の先端部分 聖人像
聖ヤコブ大聖堂 [Dom zu St. Jakob] (15:43)
「南東」MAP Lay.B
黄金の小屋根 [Goldenes Dachl] (15:50)
旧市街のほぼ中心、張り出した出窓 (エルカー) の上に黄金色に輝く小屋根は、皇帝マクシミリアン1世が広場で行われる行事を見物するために、1494~1496年に造らせたもの。 屋根は金箔を施した2657枚の銅板瓦で覆われ、バルコニーの手すり部分には6枚の精緻なレリーフがはめ込まれている。 このレリーフの左から3番目には、皇帝とその2番目の妻 "ビアンカ・マリア・スフォルツァ" が手にリンゴを持ち、その右側には最愛の最初の妻 "マリア・ド・ブルゴーニュ" (落馬で死亡) の姿が刻まれている。
「北」MAP Lay.B
 このレリーフの左から3番目には、皇帝とその2番目の妻 "ビアンカ・マリア・スフォルツァ" が手にリンゴを持ち、その右側には最愛の最初の妻 "マリア・ド・ブルゴーニュ" (落馬で死亡) の姿が刻まれている。
「北」MAP Lay.B
黄金の小屋根 [Goldenes Dachl] (15:51)
ヘルツォーク・フリードリヒ通り [Herzog*-Friedrich-Straße] 。
この通りは「空っぽの財布」を持つフリードリヒ4世公爵にちなんで名付けられた。

* Herzog は公爵を意味する。
「北」MAP Lay.B
ヘルツォーク・フリードリヒ通り [Herzog-Friedrich-Straße] (15:51)
「南」MAP Lay.B
ヘルツォーク・フリードリヒ通り [Herzog-Friedrich-Straße] (15:55)
「北北西」MAP Lay.B
ヘルブリング・ハウス [Helbling Haus] (16:06)
角地に建つ、ロココ調スタッコ装飾が施された建物は、ヘルブリング・ハウス
「西北西」MAP Lay.B
ヘルツォーク・フリードリヒ通り [Herzog-Friedrich-Straße] (16:06)
「西南西」MAP Lay.B
ゴールデナー・アドラー [Goldener Adler](黄金の鷲)(16:10)
ゴールデナー・アドラー (中央の建物) は、嘗て、イン川を渡り城壁に入った旅行者が最初にたどり着くホテルであった。 1390年以来、旧オットーブルク門 近くのこのホテルは、国王や皇帝、外交官、科学者、詩人、作曲家など、様々な家族連れを迎えてきた。

右の狭い通りは、キーバッファガッセ [Kiebachgasse] 。
「南東」MAP Lay.B
キーバッファガッセ [Kiebachgasse] (16:17)
インスブルックの初期の時代、キーバッハガッセは街のメインストリートであった。
現在の名称は、全財産を市の救貧基金に遺贈したヨーゼフ・キーバッハ (1828年~1875年) に由来する。 錠前屋の一人息子であった彼は、市の貧困層に約7万5000ギルダー (100万ユーロ以上) を遺贈した。 当時の市長ヨハン・チュルチェンターラー (1828-1893) は、この恩人への感謝の意を表すため、1875 年 10 月 25 日の市議会で、ヨーゼフ・キーバッハが住んでいた路地を彼に敬意を表して改名することを提案し決議された。
「南南東」MAP Lay.B
キーバッファガッセ [Kiebachgasse] (16:18)
「南東」MAP Lay.B
ヘルツォーク・フリードリヒ通り [Herzog-Friedrich-Straße] (16:21)
通りの突き当たりは、先程、観た "黄金の小屋根" がある建物。
「北」MAP Lay.B
マリア・テレジア通り [Maria-Theresien-Straße](16:23)
1703年7月26日、スペイン継承戦争の一環として、聖アンナの日 (7月26日) に最後のバイエルン軍がチロル地方から追放されたことにちなんで、1704年、議会はこの出来事を記念して記念柱を建立することを誓約し、マリア・テレジア通りの中央に聖アンナ記念柱が建立された。 コリント式の記念柱は、赤い大理石で造られており、柱の頂には聖マリア像が据えられている。 そして柱の周囲には、聖カシアン、聖ウィギリウス、聖ゲオルク、聖アンナの像が配置されている。 これらは、クリストフォロ・ベネデッティ [Cristoforo Benedetti] によって建立された。
「南南東」MAP Lay.B
聖マリア像 柱の周囲に配置された、聖人像
マリア・テレジア通り [Maria-Theresien-Straße] (16:24)
マリア・テレジア皇后にちなんで名付けられた、この通りはオーストリア、インスブルックの有名な壮大な商業通りで、その歴史は13世紀の街の最初の拡張にまで遡る。 このエリアは、現在では歩行者天国となっており、バロック様式の建物、ショップ、カフェ、聖テレジア教会などのランドマークが立ち並び、街の中心を形成している。
「南南東」MAP Lay.B
マリア・テレジア通り [Maria-Theresien-Straße] (16:25)
「南南東」MAP Lay.B
"マリア・テレジア通り" から "ヘルツォーク・フリードリヒ通り" を望む (16:25)
路面電車のレールが敷設されている通りは、マルクト・グラーベン [Marktgraben] 通り。
「北」MAP Lay.B
"マリア・テレジア通り" から "ヘルツォーク・フリードリヒ通り" を望む (16:25)
路面電車のレールが敷設されている通りは、マルクト・グラーベン [Marktgraben] 通り。
「北」MAP Lay.B
マリア・テレジア通り [Maria-Theresien-Straße] (16:28)
右手に見える塔は、聖霊病院教会 [Spitalskirche zum Heiligen Geist] の塔。
「南」MAP Lay.B
"マリア・テレジア通り" から "ヘルツォーク・フリードリヒ通り" を望む (16:36)
路面電車が走っている通りは、マルクト・グラーベン [Marktgraben] 通り。
「北」MAP Lay.B
馬車が走っている通りは、マルクト・グラーベン [Marktgraben] 通り (16:37)
「北」MAP Lay.B
馬車が走っている通りは、マルクト・グラーベン [Marktgraben] 通り (16:37)
「北」MAP Lay.B
マルクト・グラーベン [Marktgraben] 通り (16:37)
「西」MAP Lay.B
ヘルツォーク・フリードリヒ通り [Herzog-Friedrich-Straße] (16:38)
前方に見える建物は、黄金の小屋根 [Goldenes Dachl] 。
「北」MAP Lay.B
金色のバラの看板は、ツア・ゴールデネン・ローゼ [Zur Goldenen Rose] いう歴史的な建物の、装飾的な錬鉄製看板として知られている。 ドイツ南部やオーストリア等では、このような精巧な錬鉄製の看板が街並みの特徴となっている。 因みに、この建物は、ガストハウス (伝統的な宿屋・レストラン) を営んでいる。
ヘルツォーク・フリードリヒ通り [Herzog-Friedrich-Straße] (16:38)
前方に見える建物は、黄金の小屋根 [Goldenes Dachl] 。
通りの右手に見える塔は、市塔 [Stadtturm] 。
バックに見える山々は、ノルトケッテ [Nordkette] 山脈。 (最高峰は2,637 m)
「北」MAP Lay.B
ヘルツォーク・フリードリヒ通り [Herzog-Friedrich-Straße] (16:49)
前方に見える建物は、黄金の小屋根 [Goldenes Dachl] 。
通りの右手に見える塔は、市塔 [Stadtturm] 。
バックに見える山々は、ノルトケッテ [Nordkette] 山脈。 (最高峰は2,637 m)
「北」MAP Lay.B
大学通り [Universitätsstraße] (16:54)
夕食までに、まだ時間があるので、一旦、ホテルに戻る。
写真中央の壁面に、手を広げた熊の絵が描かれている建物が Hotel Grauer Bär (ホテル灰色熊)。
「東北東」MAP Lay.B
ホテル・グラウアー ベア [Hotel Grauer Bär] のベランダからの眺め (17:14)
山の名は、ルマーシュピッツェ [Rumerspitze], 2454 m 、街の標高は、577m。 
この後、夕食のため、再び市街のレストランへ向かう。
「北北東」MAP Lay.B
ホテル・グラウアー ベア [Hotel Grauer Bär] のベランダからの眺め (17:14)
ルマーシュピッツェ [Rumerspitze] (2454 m)
「北北東」MAP Lay.B
聖アンナの記念柱 [Annasäule] (18:03)
1703年7月26日、スペイン継承戦争の一環として、聖アンナの日 (7月26日) に最後のバイエルン軍がチロル地方から追放されたことにちなんで、1704年、議会はこの出来事を記念して記念柱を建立することを誓約し、マリア・テレジア通りの中央に聖アンナ記念柱が建立された。 コリント式の記念柱は、赤い大理石で造られており、柱の頂には聖マリア像が据えられている。 そして柱の周囲には、聖カシアン、聖ウィギリウス、聖ゲオルク、聖アンナの像が配置されている。 これらは、クリストフォロ・ベネデッティ [Cristoforo Benedetti] によって建立された。
「南南東」MAP Lay.B
マリア・テレジア通り [Maria-Theresien-Straße] (18:03)
「南」MAP Lay.B
"マリア・テレジア通り" から見る "アニヒ通り [Anichstraße] " (18:03)
「西南西」MAP Lay.B
マリア・テレジア通り [Maria-Theresien-Straße] (18:04)
「南」MAP Lay.B
マリア・テレジア通り [Maria-Theresien-Straße] (18:05)
「北北西」MAP Lay.B
マリア・テレジア通り [Maria-Theresien-Straße] (18:05)
青い建設用の養生ネットで覆われている建物は、セルヴィテ教会 [Servitenkirche] 。
「南」MAP Lay.B
マリア・テレジア通り [Maria-Theresien-Straße] (18:07)
通りの真ん中に建っている大理石の門は、凱旋門 [Triumphpforte] 。
インスブルックで最も有名な名所の一つ。 かつては街の南に通じる道路であった。  現在のマリア・テレジア通りの南端に位置している。
この凱旋門は、1765年8月5日、マリア・テレジア皇后フランツ・ステファン・ド・ロレーヌの次男レオポルド大公とスペイン王女マリア・ルイサの結婚式を記念して建立された。
「南」MAP Lay.B
テレシエン・ブロイ [Theresien Bräu] (18:08)
夕食のレストラン、"Theresien Bräu" は、レストラン兼ビール醸造所。
「東南東」MAP Lay.B
テレシエン・ブロイ [Theresien Bräu] (18:08)
夕食のレストラン、"Theresien Bräu" は、レストラン兼ビール醸造所。
「南東」MAP Lay.B
マリア・テレジア通り [Maria-Theresien-Straße] (18:08)
レストラン前から北方向を望む。
前方の山々は、ノルトケッテ [Nordkette] 山脈。 (最高峰は2,637 m)
「北」MAP Lay.B
夕食のレストラン、"Theresien Bräu" (18:09)
このレストランは、ビール醸造所を兼ねている。
MAP Lay.B
夕食のレストラン、"Theresien Bräu" (18:11)
このレストランは、ビール醸造所を兼ねている。
MAP Lay.B
凱旋門 [Triumphpforte] (北側) (19:42)
凱旋門の建っている交差点は、十字路 (四叉路) になっており、凱旋門の手前側は "マリア・テレジア通り [Maria-Theresien-Straße] " 、向こう側は "レオポルド通り [Leopoldstraße] "、横方向は "マキシミリアン通り [Maximilianstraße] " になっている。
この凱旋門は、本来はレオポルト大公とマリア・ルドヴィカ (スペイン語名はマリーア・ルイサ) の結婚を祝うためのものであった。 しかし、祝祭の最中に皇帝フランツ1世シュテファンが心臓発作で急逝したため、皇妃マリア・テレジアの意向により、門のデザインが変更された。 南側 は、結婚式の喜びを象徴するモチーフが描かれ、北側 は、皇帝の死を悼む追悼のモチーフに変更された。
このように、インスブルックの凱旋門は、喜びと悲しみという対照的な出来事を同時に伝えるユニークな歴史的建造物となっている。

ラテン語で、帯状に記された金文字

ARCVM PVBL. LAETITIAE ET FIDEI AMORIS TESTEM S.P.Q. AENIPONT. DEDICAVIT AN. MDCCLXV. QVAM SVBITVM LVCTVS MONVMENTVM.

の意味は、「インスブルックの元老院と市民は、公の喜びと愛の忠誠の証として、1765年にこの門を捧げた。 しかし、それは (皇帝の死死によって) たちまちのうちに深い悲しみの記念碑となった。」
「南南西」MAP Lay.B
凱旋門 [Triumphpforte] (東側) (19:43)
「西北西」MAP Lay.B
凱旋門 [Triumphpforte] (南側) (19:44)
ラテン語で、帯状に記された

FRANCISCO.ET.M.THERESIAE.AVGG.P.P.F.F.QVO.IN.NUPTIIS.LEOP.M.HET.
DET.LVD.BOR.PRAESENT.VRBEMSVONVMINE.IMPLER

の意味は、「皇帝フランツと皇妃マリア・テレジア、レオポルト大公とマリア・ルドヴィカの結婚式のために (この門を建てた) 。 彼らの臨席により、この都市 (インスブルック) は彼ら自身の神性 (威光) に満たされた。」
「北西」MAP Lay.B
凱旋門 [Triumphpforte] (南側) (19:44)
レオポルド通り [Leopoldstraße] から観る、凱旋門。
バックに見える山々は、ノルトケッテ [Nordkette] 山脈。 (最高峰は2,637 m)
「北北西」MAP Lay.B
凱旋門 [Triumphpforte] (南側) (19:45)
レオポルド通り [Leopoldstraße] から観る、凱旋門。
バックに見える山々は、ノルトケッテ [Nordkette] 山脈。 (最高峰は2,637 m) (最高峰は2,637 m)
「北」MAP Lay.B
凱旋門 [Triumphpforte] (南側) (19:45)
レオポルド通り [Leopoldstraße] から観る、凱旋門。
「北」MAP Lay.B
凱旋門 [Triumphpforte] (南側) (19:46)
レオポルド通り [Leopoldstraße] から観る、凱旋門。
凱旋門はインスブルックで最も有名なランドマークの一つで、かつて街の南口であったマリア・テレジア通りの南端に位置している。
この凱旋門は、 1765年8月5日に行われたマリア・テレジア皇后とフランツ・ステファン・ド・ロレーヌの次男レオポルト大公スペイン王女マリア・ルドヴィカの結婚を記念して建立された。 レオポルトの父フランツ・ステファンは、結婚式の直後の1765年8月18日に突然亡くなったため、凱旋門には哀悼の意を表すモチーフも取り入れられている。 南側には若い夫婦の結婚式にまつわるモチーフが、北側には皇帝の死を暗示するモチーフが描かれている。
「北北東」MAP Lay.B
凱旋門 [Triumphpforte] (南側) (19:46)
レオポルド通り [Leopoldstraße] から観る、凱旋門。
南側の、左のレリーフには、ラテン語で、レオポルト大公夫妻に関する情報が刻まれている。

LEOPOLD.ARCH.AVSTR.:オーストリア大公レオポルト
M.HETR. DVX.:トスカーナ大公(M. Hetr.はマグヌス・エトルリアエ、Duxは公爵を意味するラテン語の略語)
LVDOVICA BORB. HISP. INFANS.:ブルボン家出身のスペイン王女ルドヴィカ(マリア・ルイーザ)

右のレリーフには、ラテン語で、オーストリア大公女であるアンナとクリスティーナ姉妹
に関する情報が刻まれている。

M.ANNA.ET. M.CHRISTINA.: アンナとクリスティーナ
ARCHID.AVSTR.: オーストリア大公女
SORORES.: 姉妹

「北北東」MAP Lay.B
凱旋門 [Triumphpforte] (南側) (19:47)
レオポルド通り [Leopoldstraße] から観る、凱旋門。
左のレリーフには、ラテン語で、レオポルト大公夫妻に関する情報が刻まれている。

LEOPOLD.ARCH.AVSTR.:オーストリア大公レオポルト
M.HETR. DVX.:トスカーナ大公(M. Hetr.はマグヌス・エトルリアエ、Duxは公爵を意味するラテン語の略語)
LVDOVICA BORB. HISP. INFANS.:ブルボン家出身のスペイン王女ルドヴィカ(マリア・ルイーザ)

「北東」MAP Lay.B
凱旋門 [Triumphpforte] の東内側 (19:47)
このレリーフは、1765年に亡くなった皇帝フランツ1世シュテファンを追悼するために設けられた。

「CAROLINA.PR.LOTHARING.」の "CAROLINA." は、彼の妻である女帝マリア・テレジアの娘、"マリア・カロリーナ・フォン・エスターライヒ" を指し、"PR. LOTHARING." は「プリンセス・オブ・ロレーヌ (ロートリンゲン公女)」の略称と考えられる。

「東北東」MAP Lay.B
凱旋門を通して観る、マリア・テレジア通り (19:47)
「北北東」MAP Lay.B
凱旋門を通して観る、マリア・テレジア通り (19:47)
バックに見える山々は、ノルトケッテ [Nordkette] 山脈。 (最高峰は2,637 m)
「北」MAP Lay.B
凱旋門 [Triumphpforte] の西内側 (19:48)

CAROL.LOTH.DVX: ロートリンゲン公シャルル
MORD.TEVT.MAG.: ドイツ騎士団総長

「西南西」MAP Lay.B
凱旋門から観る、マリア・テレジア通り (19:50)
前方に見える山々は、ノルトケッテ [Nordkette] 山脈。 (最高峰は2,637 m)
「北北東」MAP Lay.B
北側から観る、凱旋門 [Triumphpforte] (19:50)

ラテン語で、帯状に記された金文字

ARCVM PVBL. LAETITIAE ET FIDEI AMORIS TESTEM S.P.Q. AENIPONT. DEDICAVIT AN. MDCCLXV. QVAM SVBITVM LVCTVS MONVMENTVM.

の意味は、「インスブルックの元老院と市民は、公の喜びと愛の忠誠の証として、1765年にこの門を捧げた。 しかし、それは (皇帝の死死によって) たちまちのうちに深い悲しみの記念碑となった。」

左のレリーフ
IMP. CAES.: インペラトル(皇帝)とカエサル(称号)
JOSEPHVS. II.: ヨーゼフ2世
AVGVSTVS.: アウグストゥス(称号)

右のレリーフ
M. THERESIA. AVGVSTA.: マリア・テレジア皇后
H. ET B. REG.: ハンガリーとボヘミアの女王

「南南東」MAP Lay.B
マリア・テレジア通り [Maria-Theresien-Straße] (19:52)
中央の人集りが出来ている所は、夕食のレストラン、"Theresien Bräu"。
「北北東」MAP Lay.B
マリア・テレジア通り [Maria-Theresien-Straße] (19:52)
中央の人集りが出来ている所は、夕食のレストラン、"Theresien Bräu"。
「北北東」MAP Lay.B
"アニヒ通り" (左横方向) と "マリア・テレジア通り" (縦方向) の丁字路 (20:01)
「北北西」MAP Lay.B
マリア・テレジア通り [Maria-Theresien-Straße] (20:01)
聖アンナの記念柱 [Annasäule] 。
バックに見える山は、ノルトケッテ [Nordkette] 山脈。 (最高峰は2,637 m)
「北北西」MAP Lay.B
聖アンナの記念柱 [Annasäule] (20:03)
1703年7月26日、スペイン継承戦争の一環として、聖アンナの日 (7月26日) に最後のバイエルン軍がチロル地方から追放されたことにちなんで、1704年、議会はこの出来事を記念して記念柱を建立することを誓約し、マリア・テレジア通りの中央に聖アンナ記念柱が建立された。 コリント式の記念柱は、赤い大理石で造られており、柱の頂には聖マリア像が据えられている。 そして柱の周囲には、聖カシアン、聖ウィギリウス、聖ゲオルク、聖アンナの像が配置されている。 これらは、クリストフォロ・ベネデッティ [Cristoforo Benedetti] によって建立された。
「北北西」MAP Lay.B
マリア・テレジア通り [Maria-Theresien-Straße] (20:03)
通りの真ん中に、ノルトケッテの山々を背景にした大理 石製のアンナ記念柱Annasäule が立っている。   この辺りは2010年に歩行者専用ゾーンとして整備さ れ、 町歩きやショッピングがより快適に楽しめるようになっ た。 夕方になると、レストラン前の路上にテラス席が設けられ、多くの人々が飲食を楽しんでいる。
「北北西」MAP Lay.B
マリア・テレジア通り [Maria-Theresien-Straße] (20:05)

左の緑の屋根の塔は、聖霊病院教会 [Spitalskirche zum Heiligen Geist] の塔。

右の緑の屋根の塔は、市塔 [Stadtturm] 。
中世の頃、衛兵は450年近くもの間、この市塔から街を見守り、市民に火災などの危険を警告していた。 下層階は、かつて牢獄としても使われていた。 現在、塔は一般公開されていて、133段以上の階段を上ると、高さ31メートルの展望台に到着する。
「北北西」MAP Lay.B
マリア・テレジア通り [Maria-Theresien-Straße] (20:07)
この辺りは2010年に歩行者専用ゾーンとして整備さ れ、 町歩きやショッピングがより快適に楽しめるようになっ た。 夕方になると、レストラン前の路上にテラス席が設けられ、多くの人々が食事と歓談を楽しんでいる。
「北北東」MAP Lay.B
マリア・テレジア通り [Maria-Theresien-Straße] (20:08)
右の緑の屋根の塔は、病院教会 [Spitalskirche] の塔。
レストラン前の路上に設けられたテラス席では、多くの人々が食事やピアノ演奏を楽しんでいる。
「南」MAP Lay.B
キーバッハ通り [Kiebachgasse] (20:13)
ミュンディング広場 [Mundingplatz] にある、チロル最古の菓子店が入っている建物 カフェ "コンディトライ・ミュンディング [Konditorei Munding]" (左の茶色の建物) でアイデアが生まれ、建物の窓の数を数えてみたところ、24枚あることが判明した。 クリスマスシーズンにこの建物をアドベントカレンダーの家に変身させるのは、これ以上ふさわしいことはないと、考え、それ以来、窓は美しく装飾され、1から24までの番号が付けられた。 それ以来、この建物は、アドベントカレンダー*の家 [Adventkalenderhaus] と呼ばれている。

アドベントカレンダー(クリスマスまでの日数を数えるためのカレンダー)を家(ハウス)の形にしたもの、または家の中に飾るための手作りのミニチュアハウスを指し、中に小さなプレゼントやお菓子を入れ、毎日1つずつ開けて楽しむためのドイツ語圏のクリエイティブなクリスマスアイテム。
「北西」MAP Lay.B
キーバッハ通り [Kiebachgasse] (縦) とサイファー通り [Seilergasse] (横) の十字路 (20:15)
「北」MAP Lay.B
キーバッハ通り [Kiebachgasse] (縦) とサイファー通り [Seilergasse] (横) の十字路 (20:16)
「北北東」MAP Lay.B
キーバッハ通り [Kiebachgasse] (20:17)
アートスタジオ・バシリウス "KUNSTKLAUSE BASILIUS" 。
「北北東」MAP Lay.B
ヘルツォーク・オットー通り [Herzog-Otto-Straße] (20:19)
イン川 [Inn] の右岸沿いを走る道路。
「北北東」MAP Lay.B
イン橋 [Innbrücke] にて (20:20)
川向こうに見える山々は、ノルトケッテ [Nordkette] 山脈。 (最高峰は2,637 m)
「北北西」MAP Lay.B
イン川 [Inn] (20:21)
イン川は、スイス,オーストリア,ドイツを流れるドナウ川最大の右岸支流で、 アルプス中央部を貫流する全長517kmの川。 スイス南東隅に源を発し、北東に向かってオーストリアのインスブルックを経てドイツのバイエルン地方に流入し、最後は黒海へと注ぐ。 川の水は、アルプスを形成する石灰岩の氷食により、多くの石灰分が氷河水に溶け込むため白濁している。 氷食(ひょうしょく)とは、岩石や土砂が氷河によって削られ、侵食されることを指す。
「北東」MAP Lay.B
イン川とドナウ川の流域
イン橋 [Innbrücke] にて (20:21)
ちなみに、川は左 (上流) から右方向 (下流) へ流れている。
「北西」MAP Lay.B
イン橋 [Innbrücke] にて (20:22)
川の水は、アルプスを形成する石灰岩の氷食により、多くの石灰分が氷河水に溶け込むため白濁している。 氷食(ひょうしょく)とは、岩石や土砂が氷河によって削られ、侵食されることを指す。
「北西」MAP Lay.B
イン橋 [Innbrücke] にて (20:22)
「南東」MAP Lay.B
イン橋 [Innbrücke] にて(20:24)
中央やや右の、窓に紅白の鎧戸をもつ小さな建物は、旧市街の西の端 にあたり、 1494年に城壁の一部として建てられたオットーブルク [Ottoburg] という小さな城館で、かつては住宅塔であった。 チロル州の州都で現存する最古の建物の一つであり、指定建造物にも指定されている。 現在は、レストランになっている。 (下段画像を参照)
「東南東」MAP Lay.B
ヘルツォーク・フリードリヒ通り [Herzog-Friedrich-Straße] (20:27)
この通りは、旧市街のメインストリート。
左端に写っている、窓に紅白の鎧戸をもつ建物は、旧市街の西の端 にあたり、 1494年に城壁の一部として建てられたオットーブルク [Ottoburg] という小さな城館で、かつては住宅塔であった。 チロル州の州都で現存する最古の建物の一つであり、指定建造物にも指定されている。 現在は、レストランになっている。 (上段画像を参照)
「東」MAP Lay.B
ヘルツォーク・フリードリヒ通り [Herzog-Friedrich-Straße] (20:27)
この通りは、旧市街のメインストリート。
中央やや右の、角地に建つ建物は、ゴールデナー・アドラー [Goldener Adler](黄金の鷲)と呼ばれる由緒あるホテル。
ゴールデナー・アドラーは、イン川を渡り城壁に入った旅行者が最初にたどり着くホテルであった。 1390年以来、旧オットーブルク門 (3段下の図) 近くの、このホテルは、国王や皇帝、外交官、科学者、詩人、作曲家など、様々な家族連れを迎えてきた。
写真中央から、やや右よりの、赤いショートパンツをはいた男性が立っている所が、ヴォールト様式のメインエントランスで、そこを入った右手に、有名な宿泊客の名前が刻まれた大理石の名盤がある。 (下段右)
「東」MAP Lay.B
右手のドアが、レストランを兼ね備えた、ゴールデナー・アドラー[Goldener Adler] の入り口。 有名な宿泊客の名前が刻まれた、4つの名盤がある。
左の通りは、ヘルツォーク・フリードリヒ通り [Herzog-Friedrich-Straße] (20:28)
中央やや右の、角地に建つ建物は、ゴールデナー・アドラー [Goldener Adler](黄金の鷲)と呼ばれる由緒あるホテル。

ゴールデナー・アドラーは、イン川を渡り城壁に入った旅行者が最初にたどり着くホテルであった。 1390年以来、オットーブルク門 (下図) 近くの、このホテルは、国王や皇帝、外交官、科学者、詩人、作曲家など、様々な家族連れを迎えてきた。

メインエントランスの外にある 4 つの大理石の銘板には、有名な宿泊客の名前が刻まれている。

1773年にはモーツァルト、1777年には後に彼のパトロンとなるヨーゼフ2世、1828年にはパガニーニ、1832年にはハイネが宿泊した。 同年には、後に近代ギリシャ初の国王となるバイエルン公オットーも宿泊した。 20世紀には、ジークフリート・ワーグナー(1923年)、マリア・アウグスタ・トラップ(1958年)、ジョン・グレン宇宙飛行士(1969年)、ジャン=ポール・サルトル(1972年)など、数え切れないほど多くのゲストがこのホテルに滞在した。
「東南東」MAP Lay.B
ヨハン・ミヒャエル・ストリックナーによる1755年の銅版画には、4つの防衛塔がすべて描かれており、その内の "" が旧オットーブルク門。
ヘルツォーク・フリードリヒ通り [Herzog-Friedrich-Straße] (20:29)
旧市街はカフェやレストラン、みやげ物屋などが並ぶ。 ヘルツォークフリードリヒ通りの両側には、ゴシック様式の建物が続き、その1階はこの地方特有の石造りのアーケードになっている。 また、エルカー [Erker] と呼ばれる出窓が連なる様子も印象的。
「東」MAP Lay.B
ヘルツォーク・フリードリヒ通り [Herzog-Friedrich-Straße] (20:30)
「東」MAP Lay.B
黄金の小屋根 [Goldenes Dachl] (20:31)
"黄金の小屋根" 前の広場にて。
「東北東」MAP Lay.B
市塔 [Stadtturm] (20:31)
"黄金の小屋根" 前のヘルツォーク・フリードリヒ通り [Herzog-Friedrich-Straße] に面して建つ市塔は、中世の頃、衛兵は450年近くもの間、この市塔から街を見守り、市民に火災などの危険を警告していた。 下層階は、かつて牢獄としても使われていた。 現在、塔は一般公開されていて、133段以上の階段を上ると、高さ31メートルの展望台に到着する。
「南南東」MAP Lay.B
プファル通り [Pfarrgasse] (20:33)
右に見える塔は、聖ヤコブ大聖堂 [Dom zu St. Jakob] 。
「北北東」MAP Lay.B
聖ヤコブ大聖堂 [Dom zu St. Jakob] (20:34)
聖ヤコブ大聖堂は、ローマカトリック教会インスブルック教区の司教座聖堂で、この大聖堂は使徒ヤコブ大王に捧げられており、その守護聖人の祝日は7月25日の聖ヤコブの日に祝われる。
「東」MAP Lay.B
聖ヤコブ大聖堂 [Dom zu St. Jakob] (20:35)
「南東」MAP Lay.B
インスブルック・プロムナード・コンサート [Innsbruck promenade concerts] (20:41)
インスブルックプロムナード コンサートは、7 月初旬から 8 月初旬にかけてインスブルックの皇居の中庭で行われる一連の夏季コンサートで、ヨーロッパのブラスバンド音楽の最も重要なイベントの 1 つとなっている。
「北北西」MAP Lay.B
インスブルック・プロムナード・コンサート [Innsbruck promenade concerts] (20:42)
プロムナード・コンサートは、1994年にインスブルックのザッゲン地区で初めて開催され、その後すぐに旧市街にあるホーフブルク宮殿の中庭に会場を移した。 ホーフブルク宮殿はチロル州の君主の居城であり、ハプスブルク家の様々な貴族の居城でもあった
「北西」MAP Lay.B
インスブルックのホーフブルク宮殿 [Hofburg Innsbruck] (20:50)
ホーフブルク宮殿オーストリアのインスブルックにあるハプスブルク家のかつての宮殿で、ウィーンのホーフブルク宮殿、シェーンブルン宮殿とともに、オーストリアで最も重要な3つの文化的な建物の1つと考えられている。
「北西」MAP Lay.B
ユニバーシティストリート [Universitätsstraße] (20:55)
写真中央の壁面に、手を広げた熊の絵が描かれている建物が Hotel Grauer Bär (ホテル灰色熊)。
ホテルに戻り、今日は、これにてお終い。
「北東」MAP Lay.B