旅の栞(ドロミテ・チロル)
7月31日

ザルツブルグ (ホテル) ~ ゼーフェルダー・シュピッツ ~
インスブルック ~ハイルインチロル ~
ザルツブルグ (ホテル)




宿泊ホテル: ホテル・グラウアー ベア [Hotel Grauer Bär] (06:55)
ホテルでの朝食風景。
「北」
ホテルでの朝食 (07:14)
事前に申し込んでおけば、日本食も用意してもらえる。
「東」
Hotel Grauer Bär のフロント (07:14)
Hotel Grauer Bär のロビー (07:27)
朝食後、ホテル前を散策 (07:28)
インスブルックのイエズス会教会 [Jesuit Church Innsbruck] 前にて。
「南東」
朝食後、ホテル前を散策 (07:29)
黄色の建物が、ホテル・グラウアー ベア [Hotel Grauer Bär] 。
「北西」
朝食後、ホテル前を散策 (07:31)
インスブルックのイエズス会教会 [Jesuit Church Innsbruck] 前にて。
「南南西」
ゼーフェルト [Seefeld]
オーストリアのチロル州インスブルック=ラント郡の都市で、ドイツ国内にも非常に小さな町でゼーフェルトと名づけられたものがあり、区別する為に "Seefeld in Tirol" と公式には書かれる。
人口は3100人程度(2001年時点)と小規模だが、ノルディック競技の会場として有名 (インスブルックで1964年と1976年の2度行われた冬季オリンピックでいずれも70m級ジャンプの会場となっている)。
また夏季も高原のリゾート地としてハイキングなどが楽しめる。
スキーリゾート、ゼーフェルト [Seefeld] の駐車場 (08:47)
駐車場にてトレッキングの準備中。
「東南東」
スキーリゾート、ゼーフェルト [Seefeld] の駐車場 (08:47)
左の縦格子状の壁面をもつ建物は、屋内駐車場。 この建物の屋上がケーブルカー駅に連絡している。
「北」
スキーリゾート、ゼーフェルト [Seefeld] の駐車場 (08:47)
駐車場にてトレッキングの準備中。
「東」
スキーリゾート、ゼーフェルト [Seefeld] の駐車場 (08:47)
駐車場にてトレッキングの準備中。
「東南東」
ケーブルカー駅に向かう (08:49)
建物内の階段を上って屋上に出たとこが、ケーブルカー駅に連絡している。
「北」
上段写真の、入口上の施設案内
入口 (EINGANG / ENTRANCE / ENTRATA): ドイツ語、英語、イタリア語で表記されている。
ドイツ語の 「Zu den Kassen und Bahnen」 は、「レジ(切符売り場)と鉄道(乗り物)へ」という意味。
この地点は、屋内駐車場の屋上に当たる (08:51)
「北北西」
この地点は、屋内駐車場の屋上に当たる (08:52)
前方の建物が、ロスヒュッテ山岳鉄道 (ケーブルカー) [Bergbahnen Rosshütte] 駅。
「北」
この地点は、屋内駐車場の屋上に当たる (08:52)
右の建物が、ロスヒュッテ山岳鉄道 (ケーブルカー) [Bergbahnen Rosshütte] 駅。
「北北西」
今回のトレッキング行程
Talstation Seefeld: ゼーフェルト渓谷駅 (1,230m) A Standseilbahn: ケーブルカー Rosshütte 駅 (1,760m) B Seefelder Jochbahn: ゼーフェルダー・ヨッホ・ロープウェイ Seefelder Joch 駅 (2,064m) Panorama-Höhenweg: パノラマ・ハイキングコース Seefelder Spitze (2,220m)
A Standseilbahn: ケーブルカー (08:58)
山麓から標高1,760mのロッシュッテ [Rosshütte] までを結ぶケーブルカー。
「北東」
A Standseilbahn: ケーブルカー (08:59)
山麓から標高1,760mのロッシュッテ [Rosshütte] までを結ぶケーブルカー。
「北東」
A Standseilbahn: ケーブルカー (09:00)
「北東」
A Standseilbahn: ケーブルカー (09:00)
「南南東」
A Standseilbahn: ケーブルカー (09:00)
「南西」
A Standseilbahn: ケーブルカー (09:02)
「北東」
A Standseilbahn: ケーブルカー (09:03)
「北東」
A Standseilbahn: ケーブルカー (09:03)
「東」
A Standseilbahn: ケーブルカー (09:04)
「東北東」
A Standseilbahn: ケーブルカー (09:06)
「東」
A Standseilbahn: ケーブルカー (09:07)
「東北東」
ケーブルカーの山頂駅 "ロスヒュッテ [Rosshütte] " (09:08)
「東」
ケーブルカーの山頂駅 "ロスヒュッテ [Rosshütte] " (09:08)
「西」
Rosshütte スキー場 (09:09)
ケーブルカーの山頂駅で、ロープウェイの乗り継ぎ点でもある。
「南南東」
Rosshütte スキー場 (09:10)
ゼーフェルダー・ヨッホバーン [Seefelder Jochbahn] (ロスヒュッテ と ゼーフェルトスキー場を結ぶロープウェイ) の駅前からの眺め。
「東」
Rosshütte スキー場 (09:11)
ゼーフェルダー・ヨッホバーン [Seefelder Jochbahn] (ロスヒュッテ と ゼーフェルトスキー場を結ぶロープウェイ) の駅前からの眺め。 中央の、屋根が扇状になっている建物が、先程乗ってきたケーブルカーの山頂駅エントランス。
「西南西」
Rosshütte スキー場 (09:11)
ゼーフェルダー・ヨッホバーン [Seefelder Jochbahn] (ロスヒュッテ と ゼーフェルトスキー場を結ぶロープウェイ) の駅前からの眺め。
「南」
Rosshütte スキー場 (09:11)
ゼーフェルダー・ヨッホバーン [Seefelder Jochbahn] (ロスヒュッテ と ゼーフェルトスキー場を結ぶロープウェイ) の駅前からの眺め。
「南東」
Rosshütte スキー場 (09:11)
ゼーフェルダー・ヨッホバーン [Seefelder Jochbahn] (ロスヒュッテ と ゼーフェルトスキー場を結ぶロープウェイ) の駅前からの眺め。
「東」
今回のトレッキング行程
Talstation Seefeld: ゼーフェルト渓谷駅 (1,230m) A Standseilbahn: ケーブルカー Rosshütte 駅 (1,760m) B Seefelder Jochbahn: ゼーフェルダー・ヨッホ・ロープウェイ Seefelder Joch 駅 (2,064m) Panorama-Höhenweg: パノラマ・ハイキングコース Seefelder Spitze (2,220m)
B Seefelder Jochbahn: ゼーフェルダー・ヨッホ・ロープウェイ ( Rosshütte 駅) (09:12)
左の看板は、「 山頂駅にトイレはありません!」と ドイツ語、英語、イタリア語で記されている。
右の看板は、営業時間、運賃表 (ユーロ) が記されている。
「北北西」
B Seefelder Jochbahn: ゼーフェルダー・ヨッホ・ロープウェイ ( Rosshütte 駅) (09:12)
Rosshütte (海抜 1,760m) から Seefelder Joch* (海抜 2,064m) まで、空中散歩。

因みに、ヨッホ [joch] は、ドイツ語で「鞍部 (あんぶ) 」を意味する。
「北東」
B Seefelder Jochbahn: ゼーフェルダー・ヨッホ・ロープウェイ ( Rosshütte 駅) (09:12)
Rosshütte (海抜 1,760m) から Seefelder Joch* (海抜 2,064m) まで、空中散歩。

因みに、ヨッホ [joch] は、ドイツ語で「鞍部 (あんぶ) 」を意味する。
「東」
B Seefelder Jochbahn: ゼーフェルダー・ヨッホ・ロープウェイ ( Rosshütte 駅) (09:13)
Rosshütte (海抜 1,760m) から Seefelder Joch* (海抜 2,064m) まで、空中散歩。

因みに、ヨッホ [joch] は、ドイツ語で「鞍部 (あんぶ) 」を意味する。
「東」
Seefelder Joch 駅 (2,064m) からの眺め (09:21)

「西」
Seefelder Joch 駅 (2,064m) からの眺め (09:21)
中央に見える町並みは、"Seefeld in Tirol" の町並み。
「西」
Seefelder Joch 駅 (2,064m) (09:22)
「南」
Seefelder Joch 駅 (2,064m) (09:23)
「南」
"Seefelder Joch" 展望台からの眺め (09:33)
中央に見える町並みは、"Seefeld in Tirol" の町並み。
「南西」
"Seefelder Joch" 展望台からの眺め (09:34)
「西」
"Seefelder Joch" 展望台からの眺め (09:34)
「北北西」
"Seefelder Joch" 展望台からの眺め (09:34)
「北西」
"Seefelder Joch" 展望台からの眺め (09:35)
「西」
"Seefelder Joch" 展望台にて (09:35)
「南」
"Seefelder Joch" 展望台にて (09:35)
「南」
今回のトレッキング行程
Talstation Seefeld: ゼーフェルト渓谷駅 (1,230m) A Standseilbahn: ケーブルカー Rosshütte 駅 (1,760m) B Seefelder Jochbahn: ゼーフェルダー・ヨッホ・ロープウェイ Seefelder Joch 駅 (2,064m) Panorama-Höhenweg: パノラマ・ハイキングコース Seefelder Spitze (2,220m)
ここからは、ひたすら "Seefelder Spitze*" を目差して、トレッキング (09:37)

Spitze (シュピッツェ) はドイツ語で 「先端」 「頂上」 「先頭」 を意味する名詞。
因みに、犬の "スピッツ" (独: Spitz) は口先が尖っている事から、そう呼ばれている。
「南」
Panorama-Höhenweg: パノラマ・ハイキング (09:38)
「南」
Panorama-Höhenweg: パノラマ・ハイキング (09:40)
「東」
Panorama-Höhenweg: パノラマ・ハイキング (09:42)
「南南西」
Panorama-Höhenweg: パノラマ・ハイキング (09:42)
「南」
Panorama-Höhenweg: パノラマ・ハイキング (09:44)
「北西」
Panorama-Höhenweg: パノラマ・ハイキング (09:45)
「西北西」
Panorama-Höhenweg: パノラマ・ハイキング (09:45)
「南」
Panorama-Höhenweg: パノラマ・ハイキング (09:46)
「東南東」
Panorama-Höhenweg: パノラマ・ハイキング (09:46)
「西」
Panorama-Höhenweg: パノラマ・ハイキング (09:47)
「南南西」
Panorama-Höhenweg: パノラマ・ハイキング (09:47)
「南東」
Panorama-Höhenweg: パノラマ・ハイキング (09:48)
「東南東」
Panorama-Höhenweg: パノラマ・ハイキング (09:48)
「北西」
Panorama-Höhenweg: パノラマ・ハイキング (09:48)
「西北西」
Panorama-Höhenweg: パノラマ・ハイキング (09:48)
「南西」
Panorama-Höhenweg: パノラマ・ハイキング (09:50)
「北北東」
Panorama-Höhenweg: パノラマ・ハイキング (09:53)
「北」
Panorama-Höhenweg: パノラマ・ハイキング (09:53)
「西」
Panorama-Höhenweg: パノラマ・ハイキング (09:54)
「南東」
Panorama-Höhenweg: パノラマ・ハイキング (10:02)
「西」
Panorama-Höhenweg: パノラマ・ハイキング (10:02)
「南南西」
Panorama-Höhenweg: パノラマ・ハイキング (10:03)
「南南西」
Panorama-Höhenweg: パノラマ・ハイキング (10:04)
「南南西」
Panorama-Höhenweg: パノラマ・ハイキング (10:04)
「南東」
Seefelder Spitze (2,220m) にて (10:08)
「北北西」
Seefelder Spitze (2,220m) からの眺め (10:08)
中央の峰は、ライター・シュピッツェ [Reither Spitze] (標高2,374m) 。
「南」
Seefelder Spitze (2,220m) からの眺め (10:08)
「南南東」
Seefelder Spitze (2,220m) にて (10:08)
「北」
Seefelder Spitze (2,220m) にて (10:09)
記念碑の銘板の内容
ERBAUT AUGUST 2000(2000年8月建設)
GESTIFTET V. DER GEMEINDE SEEFELD(ゼーフェルト自治体による寄贈)
ENTWURF + ANFERTIGUNG AGRAR-GEMEINSCHAFT SEEFELD(ゼーフェルト農業共同体による設計と製作)
「東」
Seefelder Spitze (2,220m) にて (10:09)
「東」
Seefelder Spitze (2,220m) にて (10:09)
「東」
Seefelder Spitze (2,220m) にて (10:10)
「東」
Seefelder Spitze (2,220m) にて (10:10)
「南東」
Seefelder Spitze (2,220m) にて (10:11)
「西」
Seefelder Spitze (2,220m) にて (10:11)
「西」
Seefelder Spitze (2,220m) にて (10:12)
「東」
Seefelder Spitze (2,220m) にて (10:13)
「東」
Seefelder Spitze (2,220m) からの眺め (10:13)
「北」
Seefelder Spitze (2,220m) (からの眺め 10:13)
「北西」
Seefelder Spitze (2,220m) からの眺め (10:13)
「西」
Seefelder Spitze (2,220m) にて (10:13)
「南東」
Seefelder Spitze (2,220m) からの眺め (10:15)
左のピークは、ライター・シュピッツェ [Reither Spitze] (標高2,374m) 。
「南」
Seefelder Spitze (2,220m) からの眺め (10:15)
右のピークは、ライター・シュピッツェ [Reither Spitze] (標高2,374m) 。
「南南東」
Seefelder Spitze (2,220m) からの眺め (10:15)
ベンチに止まっている鳥は、キバシガラス (黄嘴烏)
「西」
Seefelder Spitze (2,220m) からの眺め (10:16)
ベンチに止まっている鳥は、キバシガラス (黄嘴烏)
「西」
Seefelder Spitze (2,220m) からの眺め (10:16)
遠方の町並みは、人口 3,616人(2025年1月時点)のゼーフェルトの町で、スキーやハイキングなどの観光地として知られている。
「西」
Panorama-Höhenweg: パノラマ・ハイキング (帰路) (10:16)
ここからは、来た道を引き返す。
「北東」
Panorama-Höhenweg: パノラマ・ハイキング (帰路) (10:18)
「西」
Panorama-Höhenweg: パノラマ・ハイキング (帰路) (10:19)
「北北東」
Panorama-Höhenweg: パノラマ・ハイキング (帰路) (10:19)
「北北東」
Panorama-Höhenweg: パノラマ・ハイキング (帰路) (10:23)
「北東」
Panorama-Höhenweg: パノラマ・ハイキング (帰路) (10:24)
「北」
Panorama-Höhenweg: パノラマ・ハイキング (帰路) (10:24)
「北」
Panorama-Höhenweg: パノラマ・ハイキング (帰路) (10:25)
「西北西」
Panorama-Höhenweg: パノラマ・ハイキング (帰路) (10:27)
「東」
Panorama-Höhenweg: パノラマ・ハイキング (帰路) (10:35)
「東」
Panorama-Höhenweg: パノラマ・ハイキング (帰路) (10:43)
「東」
今回のトレッキング行程
Talstation Seefeld: ゼーフェルト渓谷駅 (1,230m) A Standseilbahn: ケーブルカー Rosshütte 駅 (1,760m) B Seefelder Jochbahn: ゼーフェルダー・ヨッホ・ロープウェイ Seefelder Joch 駅 (2,064m) Panorama-Höhenweg: パノラマ・ハイキングコース Seefelder Spitze (2,220m)
Rosshütte 駅 (1,760m) (帰路) (11:22)
Rosshütte のケーブルカー駅。
「西北西」
Rosshütte 駅 (1,760m) (帰路) (11:27)
Rosshütte のケーブルカー駅からの眺め。
「西南西」
Rosshütte 駅 (1,760m) (帰路) (11:28)
Rosshütte のケーブルカー駅。
「東」
A Standseilbahn: ケーブルカー (帰路) (11:31)
ケーブルカーからの眺め。
「北北西」
A Standseilbahn: ケーブルカー (帰路) (11:32)
ケーブルカーからの眺め。 カルトヴァッサー湖 [Kaltwassersee] 。
「北北西」
A Standseilbahn: ケーブルカー (帰路) (11:34)
「西南西」
A Standseilbahn: ケーブルカー (帰路) (11:34)
「西南西」
A Standseilbahn: ケーブルカー (帰路) (11:37)
「南西」
Talstation Seefeld: ゼーフェルト渓谷駅 (1,230m) (帰路) (11:37)
「南西」
チロルのゼーフェルト [Seefeld in Tirol] の町並み (11:53)
人口 3,616人(2025年1月時点)のゼーフェルトの町で、スキーやハイキングなどの観光地として知られている。
「南」
ゼーフェルト [Seefeld] の町並み (11:54)
ドイツ国内にも非常に小さな町でゼーフェルトと名づけられたものがあり、区別する為に "Seefeld in Tirol" と公式には書かれる。
「南南東」
ゼーフェルト [Seefeld] の町並み (11:54)
「南南東」
ゼーフェルト [Seefeld] の町並み (11:54)
「南南東」
ゼーフェルト [Seefeld] の町並み (11:54)
「南南東」
車内の様子 (11:57)
「東北東」
昼食のレストラン (12:13)
チロラー アルペンビューネ ゲシュヴィスター グンドルフ [Tiroler Alpenbühne Geschwister Gundolf] 。
「東北東」
バスから降りて、レストランへ向かう (12:13)
「南」
昼食のレストラン (12:58)
チロラー アルペンビューネ ゲシュヴィスター グンドルフ [Tiroler Alpenbühne Geschwister Gundolf] 。
「北北東」
昼食のレストラン (13:02)
「南南西」
朝食後、一旦、宿泊ホテルへ戻る (13:02)
宿泊ホテル・グラウアー ベア [Hotel Grauer Bär] に一旦戻り、小休止の後、午後のツアーに出かける。
「南南西」
レン通り [Rennweg] (14:05)
バスから後方撮影。 右の緑の塔は、聖ヤコブ大聖堂 [Dom zu St. Jakob] 。 木に隠れている建物は、王宮。
「南南西」
フンガーブルクバーン・コングレス駅 [Hungerburgbahn Station Congress] (14:05)
コングレスハウス (会議場) の北にあるフンガーブルクバーンの乗り場。
「南南西」
レン通り [Rennweg] (14:05)
インスブルッカー・ホーフガルテン [Innsbrucker Hofgarten*] の中を通る、レン通り。

Hofgarten は、ドイツ語で「王宮付属庭園」の意。
「南南西」
フンガーブルクバーン・ORF チロル.駅 [Hungerburgbahn Station ORF Tirol*] (14:06)

オーストリアの公共放送局・チロル [独: Österreichischer Rundfunk (ORF)Tirol] が近くにある。
「北北西」
ミューラウ橋 [Mühlauer Brücke] (14:08)
「東」
オーストリアの高速道路 B171 からの眺め (14:10)
「北北東」
ハル・イン・チロル[Hall in Tirol]
インスブルックから東へ約10kmに位置するハレ [Halle] またはハル [Hall] は、ケルト語で塩を示す言葉であり、製塩所の存在から中高ドイツ語*の "hal" を由来とする。 ハルの旧市街には、中世風の狭い路地に古い町並みが残っている。 小さな町だが、岩塩の産出と交易で繁栄し、ドルの語源となったとも言われる、ター ラー銀貨 [Thaler] を16世紀から製造していた由緒ある町。 当時、世界でも最も価値があった銀貨 Guldiner はハルで造られていた。 やがて、隣のインスブルックがチロルの中心となると、発展から取り残されたハルは昔のままの姿を保つことができた。
町の中心的な広場であるオーベラー・ シュタットプラッツ Oberer Stadtplatz 広場の西側には、外壁に多くの紋章と紅白の鎧戸を付けた市庁舎 Rathaus 、 その向かいに13世紀末創建の教区教会 Pfarrkirche がそびえている。 教会脇の礼拝堂、マグダレーネン・カペレの内部の壁画も必見。
町から離れた場所に建つ ハーゼック城 Burg Hasegg は、付属の ミュンツ塔 Münzerturm からイン川と街道を見張るための城であったが、1567年にコイン鋳造所となり、1809年まで多くのコインが製造された。 1975年には 製造が再開され、 現在もイベントに 応じた記念コインが造られている。 城内はコイン博物館 Museum der Münze Hall となっている。

中高ドイツ語は、1050-1350 年頃に使われていたドイツ語。
オーストリアのチロル州にある案内標識の一例 (14:18)

A12: インスタール高速道路(Autobahn A12)への案内。
Tulfes - Rinn: トゥルフェスおよびリンの町への案内。
Ampass: アンパスの町への案内。
Glungezer bahn: グルンゲッツァーバーン(スキー場やハイキングコースへのロープウェイ)
への案内で、施設までは6kmです。

「北東」
シュタットグラーベン通り [Stadtgraben] (14:21)
「西北西」
グアリーノニ通り [Guarinonigasse] (14:23)
「南」
アグラムス通り [Agramsgasse] (14:25)
「西」
シュロッサー通り [Schlossergasse] (14:28)
「西」
シュール通り [Schulgasse] (14:29)
「南南東」
チロル地方裁判所ホール [Bezirksgericht Hall in Tirol] (14:30)
現在、チロル州で最も美しいバロック様式の中庭の一つを誇る広大な修道院広場 [Stiftsplatz] には、地方裁判所が置かれてい
「東」
修道院広場の小学校 [Volksschule am Stiftsplatz] (14:30)
シュティフトプラッツ小学校は、1710 年頃に建設された建物で、かつてイエズス会ギムナジウム がはいっていた。  バロック様式の家具が備わった屋内は、特に美しい。
歴史的に見て、この場所には長い伝統があり、16世紀に貴婦人王立修道院が設立された際、イエズス会の修道女たちがこのホールにやって来て、修道女たちの精神的なケアを行い、イエズス会の大学とギムナジウム (1573年) を設立した。 大学とギムナジウムは1773年に解散され、ギムナジウムは1795年にフランシスコ会によって再建された。 現在、このフランシスコ会のギムナジウムは旧市街の外れ、フランシスコ会修道院の西側に位置している。
「南西」
ヘルツ・イエズス大聖堂 [Herz-Jesu-Basilika] の塔 (14:31)
「南南西」
チロルのハルにあるイエズス会教会 [Jesuitenkirche Hall in Tirol] (14:32)
1571年には、修道院の修道女たちの精神的なケアを目的としてイエズス会の学校が設立され、1573年からは、中等学校も運営されていた。 修道院は1671年から1684年にかけて全面的に改修され、修道院広場 [Stiftsplatz] にある2つの教会は、チロル州で数少ない後期宮廷ルネサンス様式の教会建築となっている。 1610年に奉献された教会(1653年のスタッコ装飾あり)は、17世紀後半にバロック様式に改築され、その後、修道院は1773年に解散された。 現在、チロル州で最も美しいバロック様式の中庭の一つを誇る広大な敷地には、地方裁判所が置かれています。
「東」
イエズス会教会の正面にある聖母子像 (14:32)
ミヒャエル・ガッサー [Michael Gasser] 作 (1653年)
「東」
Jesuitenkirche (Hall in Tirol) (14:34)
拝廊部。
「北」
Jesuitenkirche (Hall in Tirol) (14:34)
身廊式の内部。
「東」
Jesuitenkirche (Hall in Tirol) (14:36)
拝廊部。
「北」
修道院広場にある聖心大聖堂 [Herz-Jesu-Basilika] (14:38)
貨幣鋳造がシュパルベレッグ城からハーゼック城に移されてから2年後、フェルディナント2世大公の妹であるマグダレーナ大公妃は、姉妹や他の貴族の女性たちと共に、1569年に新設された修道院に移った。 ジョヴァンニ・ルケーゼによって建てられたこの修道院は、1611年と1691年に大胆で印象的なスタッコ細工で装飾されたが、その後1783年の解散に伴って、豊富な美術コレクションの大部分が破壊された。 1912年以降、この旧修道院は再び聖心修道女会の修道院として使用されている。
「南南西」
聖心大聖堂のファザード (14:38)
「南南西」
マリアと幼子イエス (14:39)
マリアは王冠を被っており、笏 (しゃく) を右手に持っている。 マリアの頭上には星がちりばめられた金色の輪のような後光があり、背後からは光が放射状に広がっている。
「南南西」
聖人像 ? (14:39)
「南南西」
聖人像 ? (14:39)
「南南西」
ムスター通り [Mustergasse] (14:46)
「西」
オーバーラー市立広場 [Oberer* Stadtplatz] (14:48)

Oberer は、英語の Upper (上、上部) と同義。
「北」
オーベラー・市立広場 [Oberer* Stadtplatz] (14:48)
中央の塔は、聖ニコラウス 教区教会 [Pfarrkirche St. Nikolaus] 。
聖ニコラウス 教区教会の境内地への入口の上には、聖ニコラス [Saint Nikolaus] 像が立っている。

Oberer は、英語の Upper (上、上部) と同義。
「西」
聖ニコラス [Saint Nikolaus] 像 (14:49)
聖ニコラウス 教区教会 [Pfarrkirche St. Nikolaus] の境内地への入口にある像。
「西」
聖ニコラス [Saint Nikolaus] (14:49)
聖ニコラウス 教区教会 [Pfarrkirche St. Nikolaus] の境内地への入口にある像。
「西」
オーベラー・市立広場 [Oberer Stadtplatz] (14:49)
中央の塔は、教区教会・聖ニコラウス [Pfarrkirche St. Nikolaus] 。
この教会は 1281 年に初めて奉献され、村の成長とともに 2 度拡張され、1430 年頃に後期ゴシック様式のホール教会として完成した。 元々のゴシック様式の尖塔 (1345年) は1670年の地震で崩壊したため。 その後、バロック様式の玉ねぎ型ドームに建て替えられた。
「西」
バロック様式の玉ねぎ型ドーム (14:49)
「西」
バロック様式の玉ねぎ型ドーム (14:49)
「西」
バロック様式の玉ねぎ型ドーム (14:49)
「西」
オーベラー・市立広場 [Oberer Stadtplatz] (14:50)
中央の、台形状の茶色の屋根の建物は、市庁舎 [Rathaus Hall in Tirol] の建物。

「西」
左は聖ジョセフ教会、右は市庁舎 [Rathaus Hall in Tirol] の建物 (14:51)
左の聖ジョセフ教会 (ピンク色) の下にあって、そして教区教会の周りの古い墓地の壁に沿って、共通の屋根を持つ1階建ての商業ビルは15世紀から16世紀に遡り、オーベラー・市立広場 [Oberer Stadtplatz] の街並みを特徴づけている。
「西」
市庁舎の外壁の上に飾られた、ハルの紋章や他の歴史的な紋章 (14:52)
「西」
市庁舎の塀の上に飾られた、ハルの紋章や他の歴史的な紋章 (14:52)
「西」
突き当たりの建物は、市庁舎 [Rathaus Hall in Tirol] (14:56)
この市庁舎は町の中心部であるオーバーラー・シュタットプラッツ [Oberer Stadtplatz] に位置しており、その歴史的な外観が特徴。
起源は、 もともとは13世紀末から14世紀初頭にかけて、ボヘミア王でもあったハインリヒ・フォン・ゲルツ=チロル伯によって"城[Stadtburg]"として建てられた。 市庁舎への転用は、1406年にハプスブルク家のレオポルト4世公によって町に寄贈されて以来、市庁舎として利用されている。 建築の特徴は、1447年の火災後に再建されました。 外塀上の壁面に見られる色鮮やかな紋章のフレスコ画が非常に印象的。 ハル・イン・チロルはかつて塩の採掘や銀貨 (ターラー) の鋳造で栄えた町で、この市庁舎はその繁栄の歴史を象徴する重要な建造物の一つとなっている。
「北西」
塩の樽を抱えるライオンを描いた、ハルの紋章 (14:56)
ハル・イン・チロルは、13世紀に岩塩の産地として発展し、かつては銀貨の鋳造でも栄えた歴史を持つ町。
"ハル [Hall]" という地名は、ケルト語で「塩」を意味し、かつて岩塩の採掘で栄えた歴史を町の名に、とどめている。
「西北西」
左の建物は市庁舎 (14:56)
この市庁舎は町の中心部である オーベラー・市立広場 [Oberer Stadtplatz] に位置しており、周辺は観光客で賑わっている。
因みに、右の建物の壁面に、剣のような金属が多数貼り付けられているのは、アンカープレートで、タイロッドが壁の外側で終わる部分には、画像のような金具 (アンカープレート) が取り付けられている。
これらの部品は、組積造 (レンガや石造り) の建物の外壁が横方向に膨らむのを防ぎ、構造的な補強として機能している。 これにより、建物の安定性と耐久性が確保されている。
アンカープレートは鋳鉄、錬鉄、または鋼鉄で作られることが多く、装飾的なスタイルで作られている場合もよくある。
このような建築要素は、特にヨーロッパの古い建物で頻繁に見られる。

参考図解 WEB サイト (他者のサイト)
「北西」
市庁舎 [Rathaus Hall in Tirol] (14:58)
起源は、 もともとは13世紀末から14世紀初頭にかけて、ボヘミア王でもあったハインリヒ・フォン・ゲルツ=チロル伯によって"城[Stadtburg]"として建てられた。 市庁舎への転用は、1406年にハプスブルク家のレオポルト4世公によって町に寄贈されて以来、市庁舎として利用されている。 建築の特徴は、1447年の火災後に再建されました。 外塀上の壁面に見られる色鮮やかな紋章のフレスコ画が非常に印象的。 ハル・イン・チロルはかつて塩の採掘や銀貨 (ターラー) の鋳造で栄えた町で、この市庁舎はその繁栄の歴史を象徴する重要な建造物の一つとなっている。
「北」
ハルの紋章 (14:58)
塩の樽を抱えるライオンを描いたハルの紋章。
"ハル [Hall]"という地名は、ケルト語で「塩」を意味しており、かつて岩塩の採掘で栄えた歴史がある。
「北」
光線の輪の中の聖母 (14:58)
これは、チロル地方の宗教的慣習の中心的なモチーフである「光線の輪の中の聖母」(三日月の聖母または「三日月上の神の母」とも呼ばれる)を描いたもの。
このフレスコ画には、アーモンド形の光背 (マンドルラ) に囲まれ、三日月の上に立つ幼子キリストを抱く聖母マリアが描かれている。 この表現は、聖書のヨハネの黙示録に登場する「太陽の女」を想起させる。 チロル地方では、聖母マリアは何世紀にもわたってこの地域の特別な守護聖人とみなされており、そのため市庁舎などの公共建築物には、このようなファサード画が広く描かれている。
「北北東」
市庁舎 [Rathaus Hall in Tirol] (14:58)
「北北西」
市庁舎 [Rathaus Hall in Tirol] (14:59)
「北北東」
市庁舎 [Rathaus Hall in Tirol] (15:00)
「北」
ラテン語の碑文 (15:00)
意訳
1406年、卓越した忠誠心と愛国心を持つハレ市民に対し、レオポルト4世公によって市庁舎建設のために寄贈された王宮を記念して、この碑を感謝と敬虔な心とともに、この都市の市民が1902年の市制記念祭に捧げる。

「東北東」
市庁舎 [Rathaus Hall in Tirol] (15:00)
「北北西」
市庁舎 [Rathaus Hall in Tirol] (15:00)
右の壁面には、碑文が埋め込まれている。 (2段上の写真を参照)
「北」
左の建物は市庁舎 、右の建物は聖ニコラウス 教区教会 (15:01)
「東」
聖ニコラウス 教区教会 [Pfarrkirche St. Nikolaus] (15:01)
「東南東」
墓地のゴシック様式のアーケード付き歩道 (15:03)
かつて教区教会を囲んでいた墓地の、ゴシック様式のアーケード付き歩道があり、そこには19世紀前半の十字架を背負ったキリストの彫刻や15世紀と16世紀の墓石が置かれている。
因みに、右端のピンクの建物は、セントジョセフ礼拝堂 [Josefskapelle]
「東北東」
墓地のゴシック様式のアーケード付き歩道 (15:03)
かつて教区教会を囲んでいた墓地のゴシック様式のアーケード付き歩道があり、そこには19世紀前半の十字架を背負ったキリストの彫刻や15世紀と16世紀の墓石が置かれている。
「北西」
聖マグダレーナ礼拝堂 [St. Magdalenen-Kapelle, Hall in Tirol] (15:04)
かつて市営墓地の礼拝堂だった聖マグダレーナ礼拝堂。 1330年の改修により現在の姿となった。 この2階建てのロマネスク様式の建物は、上層部のみが宗教的な役割を果たし、1923年以降は戦没者追悼の場となっている。
この正方形の建物の一階の部分は、かつて使徒聖ヤコブに捧げられた礼拝堂でしたが、1831年に破壊され、現在は店舗として使用されている。 (下段画像を参照)
「東」
写真の中央部の建物が、裏通りから見た "聖マグダレーナ礼拝堂" で、一階部分が店舗になっている。
画像出典: Google ストリートビュー
世界大戦の犠牲者を追悼する記念碑の銘板 (15:04)

銘板には、ドイツ語で「世界大戦の犠牲者に」と刻まれており、さらに、
第一次世界大戦 (1914年~1918年) と 第二次世界大戦 (1939年~1945年) の期間が刻まれている。
「東」
聖マグダレーナ礼拝堂の内部 (15:05)
東壁 (左壁面) には15世紀初頭のフレスコ画が二つ描かれており、手前には、4人の聖人に挟まれたマリアと、その向こうには、東方三博士の行列が描かれている。 南壁 (正面) には2つのフレスコ画があり、右側の、作者不明の「最後の審判」 (1466年) では、悪人と善人の魂が神の審判を受けている。 その中には、売春の象徴である長い金髪の帽子をかぶったベールを脱いだ女性もいる。 その左は、「子羊の礼拝」(1610年)を描いた絵画で、キリストの象徴である子羊の前に立つマリアと聖徒たちの集まりが描かれている。
「南南東」
聖マグダレーナ礼拝堂の内部 (15:06)
「南」
ホール渓谷 [Halltal] から出土した、後期ゴシック様式の翼のある祭壇画 (15:06)
このゴシック様式の翼のある祭壇画は、もともとハルタール渓谷の聖マグダレーナ教会に建っていた
「南東」
最後の審判のフレスコ画 (15:06)
作者不明の「最後の審判」 (1466年) では、悪人と善人の魂が神の審判を受けている。 その中には、売春の象徴である長い金髪の帽子をかぶったベールを脱いだ女性もいる。

このフレスコ画は、永遠の罰を描いた恐ろしい描写で溢れていいる。
嘗ては、美しい長方形の墓から、死者は復活すると思われていた。 
神の罰は、恐ろしい悪魔が教皇、司教、貴族を含む罪人たちを罰する。
ワニの形をした地獄の顎は、審判の日に口を開けて罪人を食い尽くす。 (右下)
「南」
後期ゴシック様式の翼のある祭壇画 (15:07)
祭壇の下部にある小さな区画 (プレデッラ) にも、聖人の彫像が収められている。
左のパネルには、聖バルバラ、右のパネルには子羊を連れた聖アグネスが描かれている。
「南東」
ホール渓谷 [Halltal] から出土した、翼のある祭壇画 (15:07)
このゴシック様式の翼のある祭壇画は、もともとハルタール渓谷 [Halltal] の聖マグダレーナ教会に建っていた。
「南南東」
4人の聖人に挟まれたマリアのフレスコ画 (15:07)
「東」
ホール渓谷 [Halltal] から出土した、後期ゴシック様式の翼のある祭壇画 (15:08)
中央に幼児キリストを抱いた聖母マリアと聖人たちの彫刻が配置されている。
サイドパネルには、キリストの生誕や東方三博士の礼拝など、聖書に基づいた場面が描かれてる。
「東」
ホール渓谷 [Halltal] から出土した、後期ゴシック様式の翼のある祭壇画 (15:08)
下部 の祭壇の基部にあたる部分 (プレデッラ) にも、聖家族や彫刻が収められている。
「東」
東方三博士の行列が描かれたフレスコ画 (15:09)
「東」
ヨーロッパの街角でよく見かける ロートアイアン[Wrought Iron] 看板 (15:11)
「南東」
ロートアイアン[Wrought Iron] 看板 (15:11)

ロートアイアン看板は、熟練職人が鉄を熱し、ハンマーで叩き・曲げる「鍛鉄 (たんてつ) 」技術で作るヨーロッパ伝統の工芸品。 手作りの温もりと重厚な高級感があり、門扉、フェンス、階段手摺り、窓飾りなどに使われ、年月とともに味わい深さが増すのが特徴。
「東」
ジークムント像とジークムントの泉がある広場 (15:13)
「西南西」
ジークムント・フォン・チロル [Sigmund von Tirol] の像 (15:13)
ジークムント・フォン・チロル (1427年 - 1496年) は、前方オーストリア公 (在位:1439年 - 1490年) およびチロル伯でした。 彼は、金貨「グロシュ」から発展した大型銀貨 "グルデングロッシェン [Guldengroschen] "を初めて発行した人物として、貨幣史においても非常に重要な役割を果たした。
「西南西」
ジークムント・フォン・チロル [Sigmund von Tirol] の像 (15:13)
オーストリア、チロル州のハル・イン・チロルは、かつて塩の生産と貨幣鋳造で栄えた歴史ある場所。
「西」
ジークムント像とジークムントの泉がある広場 (15:13)
「西南西」
シュミードガッセ [Schmiedgasse] (15:15)
左上には、ロートアイアン [Wrought Iron] 看板が飾られている。

ロートアイアン看板は、熟練職人が鉄を熱し、ハンマーで叩き・曲げる「鍛鉄 (たんてつ) 」技術で作るヨーロッパ伝統の工芸品。 手作りの温もりと重厚な高級感があり、門扉、フェンス、階段手摺り、窓飾りなどに使われ、年月とともに味わい深さが増すのが特徴。
「西南西」
ジークムントの泉 [Sigmundsbrunnen] (15:15)
ジークムント像とジークムントの泉。
「北北西」
右のベージュ色の建物は、音楽学校 [Music School Hall in Tirol - Home] (15:15)
右を走る、国道 B171号線 の地下通路を通って、反対側の歩道へ向かう。
「東南東」
階段上の、左の建物は音楽学校 (15:16)
「西」
左の建物は音楽学校 (15:17)
「西」
音楽学校内の通路を通って中庭に出る (15:17)
正面に見える塔は、ハーゼック城 [Burg Hasegg] の ミュンツ塔 [Münzerturm] で、中世の面影を色濃く残す歴史的な城砦。
「南南東」
右の建物は、ヨハネス教会 [Johanneskirche] (15:17)
正面に見える塔は、ハーゼック城 [Burg Hasegg] の ミュンツ塔 [Münzerturm] で、中世の面影を色濃く残す歴史的な城砦。
「南南東」
右の建物は、ヨハネス教会 [Johanneskirche] (15:18)
正面に見える塔は、ハーゼック城 [Burg Hasegg] の ミュンツ塔 [Münzerturm] で、中世の面影を色濃く残す歴史的な城砦。
「南南東」
正面の建物は、音楽学校 [Music School Hall in Tirol - Home] (15:19)
「北北東」
音楽学校の右に見える塔は、ヘルツ・イエズス大聖堂 [Herz-Jesu-Basilika] の塔(15:19)
「北東」
ハーゼック城 [Burg Hasegg] の中庭 (15:21)
この城は、中世の面影を色濃く残す歴史的な城砦で、かつてチロルの中心地として栄えたハルの街の象徴であり、特に通貨の歴史において非常に重要な役割を果たした。 右に見えている塔は、ミュンツ塔 [Münzerturm] 。
「南南東」
ハーゼック城 [Burg Hasegg] の中庭 (15:22)
現在、城内は博物館になっており、世界初の自動鋳造機のレプリカや、直径の大きな銀貨などの貴重なコレクションが見学できる。 1477年に造幣局が設置され、ここで鋳造された大型銀貨「ターラー [Thaler] 」が、現在の通貨単位「ドル [Dollar] 」の語源になったと言われている。
「北北東」
ハーゼック城 [Burg Hasegg] の中庭 (15:22)
ネポムクの聖ヨハネ [Johannes Nepomuk] の彫像。
聴罪司祭*をはじめとした聖職者や水難からの庇護者として船員や橋の守護聖人としても崇敬されている。

彼の頭上にある5つの星は、彼がモルダウ川 (プラハのカレル橋の下を流れる川) に投げ込まれて殉教した際、水面に5つの星が現れたという伝説に由来している。 人差し指を口に当てているのは、彼が王妃の告解の内容を王 (ヴェンツェル4世) に明かすことを拒み、「告解の秘密」を守り通したことを象徴している。 手に十字架を持っているのは、キリストへの献身と殉教を表す一般的な聖人の属性。

罪の告白を聴き,赦免を与える司祭。
「北」
ハーゼック城 [Burg Hasegg] の中庭 (15:22)
この城は、1306年に岩塩坑やイン川の渡渉点*、古い塩の道を監視・保護する砦として建設された歴史的な城塞で、その後、15世紀後半にジークムント大公やマクシミリアン1世によって、風格ある城へと拡張された。

渡渉点 (としょうてん) は、歩いて水を渡る地点の意。
「南東」
ハーゼック城 [Burg Hasegg] の中庭 (15:22)
「南東」
ハーゼック城 [Burg Hasegg] の中庭 (15:26)
「南西」
コイン・プレス機 (15:29)
ハル・イン・チロル造幣局 [Münze Hall] の前に展示されている歴史的な貨幣鋳造機 "プレジャーストック [Prägestock] " 。
「北」
コイン・プレス機 (15:30)
ハル・イン・チロル造幣局 [Münze Hall] の前に展示されている歴史的な貨幣鋳造機 "プレジャーストック [Prägestock] " 。
「北東」
見学を終え、先回り駐車をしているバスへ向かう (15:30)
「西南西」
見学を終え、先回り駐車をしているバスへ向かう (15:33)
「北北東」
見学を終え、先回り駐車をしているバスへ向かう (15:35)
「西南西」
アンブラス城 [Schloss Ambras Innsbruck]
オーストリア共和国チロル州の州都であるインスブルックにある、海抜587メートルの丘上に建つルネサンス建築の城。
神聖ローマ帝国アンデクス伯の権力の座であったが、ハプスブルク家の所有となり、歴史的な芸術収集家であったオーストリア大公フェルディナント2世の居城 (1567 - 1595年) ともなった。 フェルディナント2世は、密かに身分違いの結婚をした豪商出身の妻 フィリッピーネ・ヴェルザー への贈り物として中世の要塞をルネサンス様式に再建し、彼の趣味として世界的に有名なコレクションを収容する博物館として、当初より博物館を目的として建てた。 その結果、世界最古の博物館となっている。 現在は、政府機関オーストリア城塞城主組織によって管理されている。

因みに、アンブラス城 [Schloss Ambras] の語源は、10世紀頃の文献に登場する「Ambras」という地名に由来している。 この地名は、城が位置するインスブルック近郊の丘の地域を指しており、 古代からの地域名がそのまま城の名称として引き継がれている。
アンブラス城 [Schloss Ambras Innsbruck] (15:57)
「北北東」
アンブラス城 [Schloss Ambras Innsbruck] (15:57)
「北」
アンブラス城 [Schloss Ambras Innsbruck] (15:57)
「西」
アンブラス城 [Schloss Ambras Innsbruck] (15:58)
「西」
アンブラス城 [Schloss Ambras Innsbruck] (15:58)
「北北東」
アンブラス城 [Schloss Ambras Innsbruck] (15:59)
「北東」
アンブラス城 [Schloss Ambras Innsbruck] (16:00)
「北東」
アンブラス城 [Schloss Ambras Innsbruck] (16:00)
「東北東」
アンブラス城 [Schloss Ambras Innsbruck] (16:02)
「東北東」
この後、一旦、宿泊ホテルに戻る (16:07)
ホテルで小休止の後、近くにある聖ヤコブ大聖堂 [Dom zu St. Jakob] の内部見学に向かう。
「西北西」
聖ヤコブ大聖堂 [Dom zu St. Jakob]
インスブルック大聖堂は、聖ヤコブ大聖堂 (ドイツ語:Dom zu St. Jakob ) としても知られ、オーストリアのインスブルック市にあるローマカトリック教会インスブルック教区の18世紀のバロック様式の大聖堂で、使徒ゼベダイの子、聖ヤコブに捧げられている。 建築家 ヨハン・ヤコブ・ヘルコマー の設計に基づいて、この大聖堂は12世紀のロマネスク様式の教会の跡地に1717年から1724年の間に建設された。 内部は身廊をまたぐ3つのドーム天井と、内陣の上にランタン付きのドームがある。 聖ヤコブ大聖堂は、アサム兄弟によって部分的に施工された豪華なバロック様式の内装により、チロルで最も重要なバロック建築の1つと考えられている。

インスブルック大聖堂は、二つの重要な宝物で知られている。 主祭壇の上には、ルーカス・クラーナハ(父)による1530年頃の絵画「マリア・ヒルフ (救いの聖母)」が飾られています。 これはキリスト教世界で最も崇拝されている聖母マリア像の一つとされている。 また、大聖堂の北側廊には、 1620年に建立された、ドイツ騎士団総長であったオーストリア大公マクシミリアン3世の天蓋付きの墓がある。 大聖堂は第二次世界大戦中に大きな被害を受けたが、数年のうちに完全に修復された。
聖ヤコブ大聖堂 [Dom zu St. Jakob] (16:39)
聖ヤコブ大聖堂は、アサム兄弟によって部分的に施工された豪華なバロック様式の内装により、チロルで最も重要なバロック建築の1つと考えられている。
「東北東」
聖ヤコブ大聖堂 [Dom zu St. Jakob] (16:39)
主祭壇上部の半円形部分には、ハンス・アンドレが第二次世界大戦後 (1950年頃) に聖三位一体と聖母マリア、そして大聖堂の姿を描いている。
大聖堂は、8世紀初頭に建設されたが、第二次世界大戦で大きな被害を受け、戦後に修復されている。
作品名は、 聖母と大聖堂を伴う三位一体 [Die Allerheiligste Dreifaltigkeit mit Maria und dem Dom] で、
内容は、 中心にキリスト、神、精霊からなる三位一体が描かれ、その傍らに聖母マリアが配置されている。 画面の右下には、インスブルック大聖堂自体の姿も描かれている。

「東北東」
聖ヤコブ大聖堂 [Dom zu St. Jakob] (16:40)
主祭壇はキューニグル伯爵公子司教によって寄贈され、ブリクセン教区の守護聖人である聖インゲヌイン聖アルブインの像が両脇に並んでいる。 壮麗な銀の祭壇は、オーストリアにおける後期バロック工芸品の最も傑出した例の1つで、1712年にパラティーナ選帝侯カール3世フィリップによって寄贈された。 この非常に装飾的な聖櫃の枠は、1729年と1750年に拡張されいる。 時には教会の守護者の銀の胸像と、1740年頃に制作された2つのマニエリスム派の銀の小像で飾られることもある。 1600年、フーベルト・ゲルハルトがモデルとなって作られた。
「東」
聖ヤコブ大聖堂 [Dom zu St. Jakob] (16:40)
主祭壇の堂々とした大理石造りの建物には、大聖堂の最も貴重な宝物である、ルーカス・クラーナハ(父)による1530年頃の絵画「マリア・ヒルフ (救いの聖母)」が収められている。
もともとドレスデンのザクセン選帝侯領の絵画ギャラリーに属していた、このユニークな聖母子像は、「天の女王の威厳、聖母の魅力、そして母の優しさ」に満ちている。 バロック様式の聖母マリア崇拝を代表するこの絵画は、ザクセン選帝侯ヨハン・ゲオルク1世からレオポルト5世大公に贈られたもので、1650年以来教会に所蔵されている。
聖ヤコブ大聖堂 [Dom zu St. Jakob] (16:41)
内陣の上にランタン付きの主ドーム。 ドーム内には、聖ヤコブが旗を手に持った天上の将軍として描かれ、スペインのキリスト教軍を率いてムーア人と戦っている。
「東」
聖ヤコブ大聖堂 [Dom zu St. Jakob] (16:41)
内陣の上にランタン付きのドーム。 左端の茶色の天井は、左翼廊のドーム。
「北東」
聖ヤコブ大聖堂 [Dom zu St. Jakob] (16:42)
内陣の上にランタン付きのドーム。 右端の茶色の天井は、右翼廊のドーム。
「南東」
聖ヤコブ大聖堂 [Dom zu St. Jakob] (16:42)
バイエルン出身の、アサム兄弟の兄、コスマス・ダミアン・アサム によって描かれた、天井のフレスコ画
「西」
聖ヤコブ大聖堂 [Dom zu St. Jakob] (16:42)
右の壁面に設けられている説教壇は、インスブルックの彫刻家ニコラウス・モルによる作品で、1725年のバロック様式の傑作である。 説教壇は全体が金箔と銀メッキで覆われ、台座を支える3つの神聖な美徳、4人の福音書記者のシンボル、そして共鳴板上の多数の天使とケルビムで飾られている。
「西」
聖ヤコブ大聖堂 [Dom zu St. Jakob] (16:43)
「南西」
聖ヤコブ大聖堂 [Dom zu St. Jakob] (16:43)
「東南東」
聖ヤコブ大聖堂 [Dom zu St. Jakob] (16:44)
写真中央のドーム天井は、左翼廊の天井。 右のドーム天井は、内陣の天井。
左から、説教壇、オーストリア大公マクシミリアン3世の天蓋付きの墓碑、主祭壇と並んでいる。
左翼廊の側祭壇 (墓碑の後方) には、グラスマイヤー作の聖母被昇天の絵画と聖ヨセフと聖ヨアキムの像が安置されている。
「北東」
聖ヤコブ大聖堂 [Dom zu St. Jakob] (16:45)
写真中央のドーム天井は、右翼廊の天井。 左のドーム天井は、内陣の天井。
柱の上部や天井に、ちりばめられた漆喰細工 (スタッコ) は、アサム兄弟の弟、エジド・クィリン・アサムによる作品で、形と色彩の両方において、ルネッサンスの視覚的表現力の豊かさを反映し、絵画の支配的な存在感を支えている。
右翼廊の側祭壇には、グラスマイヤー作の幼子イエスを抱く聖アンナの絵画の複製が安置されている。 オリジナルは第二次世界大戦中に破壊された。
その左の、内陣アーチを支えている柱に添って、小さな側祭壇がある。 これは、1893年にドミニクス・トレンクヴァルダーが制作した「ピエタ像」で、その上には、対抗宗教改革期にオーストリアでカトリック信仰の明確化に重要な役割を果たしたインスブルック司教区の守護聖人である聖ペトルス・カニシウスの像が配置されている。 碑文には、「S. PETRUS CANISIUSDIOEC. PATAV. PATRONUS」 (聖ペトルス・カニシウス・インスブルック 司教区の守護聖人) と記されている。
「南南東」
聖ヤコブ大聖堂 [Dom zu St. Jakob] (16:46)
主祭壇の左にある祭壇は、1893年にドミニクス・トレンクヴァルダーが制作したナザレのイエスの像で、金色の豪華な衣装をまとった、王座に座る聖心のイエス・キリスト [Sacred Heart of Jesus Christ the King] を表している。 イエス・キリスト像の胸には、聖心 [Sacred Heart] を掲げ、王の象徴である光輪を背負って王座に座っている。 像の上部には、バロック様式の主祭壇をインスブルック大聖堂に寄贈したブリクセン司教領主 カスパー・イグナツ・クニグル司教を記念するバロック様式の記念碑が安置されている。 その祈念碑の碑文には、「MONUMENTUM COMITUM KUNIGL」 (クニグル伯爵家の記念碑) と記されている。
「東」
聖ヤコブ大聖堂 [Dom zu St. Jakob] (16:46)
1620年に建立された、ドイツ騎士団総長であったオーストリア大公マクシミリアン3世の天蓋付きの墓碑。
1620年頃に作られたこの墓碑は、ブロンズ製の4本のねじれた柱が天蓋を支えており、柱には葡萄の葉や鳥、小さな動物などの装飾が施されている。
この作品は、フーベルト・ゲルハルトカスパル・グラスによって原型が作られ、1618年にハインリヒ・ラインハルトによって鋳造された。

碑文のラテン語原文(主要部)
墓碑の台座やプレートに刻まれている銘文の核心部分は以下の通り。

MAXIMILIANVS DEI GRATIA ARCHIDVX AVSTRIAE,
ADMINISTRATOR ET MAGNVS MAGISTER PER GERMANIAM ITALIAVMQVE EQVESTRIS ORDINIS TEVTONICI.
OBIIT ANNO DOMINI MDCXVIII, DIE II. NOVEMBRIS.

日本語訳
神の恩寵によるオーストリア大公マクシミリアン、
ドイツおよびイタリアにおけるドイツ騎士団の管理者にして総長。
主の年1618年11月2日に崩御せり。

「北東」
聖ヤコブ大聖堂 [Dom zu St. Jakob] (16:46)
1620年に彫刻家カスパル・グラス [Caspar Gras] によって完成された、オーストリア大公マクシミリアン3世の墓の天蓋部分。 跪いて祈りを捧げるブロンズ像は、マクシミリアン3世本人の像。 彼は騎士としての鎧を身に纏っているが、兜を脱ぎ、神の前で謙虚に祈る姿で表現されている。 聖ゲオルギオスが彼の後ろに立ち、彼の肩に手を添え、導くように配置されている。 その後ろには、聖ゲオルギオスによって退治された竜の像が配されている。

「北東」
聖ヤコブ大聖堂 [Dom zu St. Jakob] (16:46)
1620年に彫刻家カスパル・グラス [Caspar Gras] によって完成された、オーストリア大公マクシミリアン3世の墓の天蓋部分。 跪いて祈りを捧げるブロンズ像は、マクシミリアン3世本人の像。 彼は騎士としての鎧を身に纏っているが、兜を脱ぎ、神の前で謙虚に祈る姿で表現されている。 聖ゲオルギオスが彼の後ろに立ち、彼の肩に手を添え、導くように配置されている。 その後ろには、聖ゲオルギオスによって退治された竜の像が配されている。 ゲオルギオスが左手に持っているのは、竜を仕留めた槍。 
「北東」
聖ヤコブ大聖堂 [Dom zu St. Jakob] (16:46)
彫刻家ニコラウス・モルは、大聖堂の西端を占める壮麗なオルガンの正面も彫刻した。 主祭壇の対となるオルガンは、精緻な彫刻と人物装飾が施された上部の豪華な金箔張りの筐体を持ち、チロル地方で最も美しいバロックオルガンの1つとされている。
「西南西」
聖ヤコブ大聖堂 [Dom zu St. Jakob] (16:47)
バイエルン出身の、アサム兄弟の兄、コスマス・ダミアン・アサム によって描かれた、天井のフレスコ画
「東」
聖ヤコブ大聖堂 [Dom zu St. Jakob] (16:48)
「東」
ホテル ザイラー [Hotel Sailer] (17:59)
夕食のレストラン。
ホテル ザイラー [Hotel Sailer] (19:34)
ホテル ザイラー [Hotel Sailer] (19:35)
「南」
ホテル前のアダム通り [Adamgasse] (19:35)
「北」
ホテル前のアダム通り [Adamgasse] (19:35)
この後、宿泊ホテル・グラウアー ベア [Hotel Grauer Bär] へ戻り、就眠。
「南」