シャガール、雅歌

[Chagall, le Cantique des Cantiques]

2024年5月31日(金)10:00をもちましてURLは下記の通り変更になります。
https://arisada.wjg.jp/france/Solomon.html

雅歌Ⅰ (1960年)
《そなたの2つの乳房は2頭の小鹿》 という歌詞を、黄色と青の2頭のガゼルで的確に隠喩している。
雅歌Ⅱ (1957年)
この絵は、シャガールの妻を描いている。 シャガールは1910年パリに赴き、5年間の滞在の後、故郷へ戻る。 1915年に母が病死。 同年にベラと結婚。 1922年、故郷に見切りをつけ、ベルリンを経由して1923年には再びパリへ戻る。 1941年、第二次世界大戦の勃発を受け、ナチスの迫害を避けてアメリカへ亡命し、その折り、同行した同郷人で最初の妻ベラ・ローゼンフェルトは1944年フランスに戻る前にアメリカで病死する。 中央の生命の木の中に横たわっている女性は、シャガールの最初の妻ベラ・ローゼンフェルトを描いたものである。 1947年にパリへ戻った後、1950年から南フランスに永住することを決意し、フランス国籍を取得する。 1952年、当時60歳代のシャガールはユダヤ人女性ヴァランティーヌ・ブロツキーと再婚する。 生命の木の根元に小さく描かれているのは、この二番目の妻ヴァランティーヌ・ブロツキー (ヴァヴァ) である。 下に描かれているのは、イスラエルのエルサレム町。 右上に、青い服を着て、冠をかぶり、竪琴を持った人物は、ソロモンの父ダビデ王を表している。 ダビデ王は、幼少の頃から竪琴の名手と伝えられている。
雅歌Ⅲ (1960年) 
この絵はシャガール自身の結婚式を描いている。 左に立っている二人がシャガールと妻のヴァランティーヌ・ブロツキーで、この二人を囲む様に、天使と平和のシンボルである白い鳩などが描かれている。 そして、中心部分に、上下に二つの町が描かれており、逆さに描かれた下の町の真ん中に、緑色のドーム形の屋根をもち、その上に十字架が立っている建物がある。 これは、ロシア正教会を描いたもので、シャガールの生まれ故郷であるロシアの村を表現している。 上の町はニース市から北西30kmほどにあるヴァンスの旧市街を描いており、シャガールは亡命先のアメリカから1947年にフランスへ戻った後、1966年から20年近く、二番目の妻であるヴァランティーヌ・ブロツキーとこの町で暮らしていた。 絵の左下に、荷物を背負って杖を持った男性が描かれているのは、シャガール自身を描いたもので、ロシアを出てフランスへ赴き、アメリカに亡命して後、再びフランスに戻り、晩年をヴァンスで過ごしたシャガール自身の一生を表現している。 右下で寝そべっている二人は、シャガールと同郷人で最初の妻ベラ・ローゼンフェルトを描いている。
 因みに、ニースに近いサン=ポール=ド=ヴァンスの墓地には、シャガールと共に二番目の妻ヴァランティーヌ・ブロツキー (ニックネームはヴァヴァ) も一緒に眠っている。
雅歌Ⅳ (1958年)
二人が馬に乗って、天高く飛び去るシーンは、ソロモンの両親、ダビデ王バト・シェバの結婚式を描いたもので、ダビデ王は冠をかぶり、顔は青に描かれている。 この顔色は、ユダヤの言葉で、「感動で顔が青くなる」 と言う表現があり、王が感動している様子を描いている。 下にはエルサレムの町とユダヤの民が描かれている。
雅歌Ⅴ (1965-1966年)
左はエルサレム、右はシャガールの出身地ヴィテプスクを描いている。 踊っている人で溢れかえる空は鮮やかな色彩の太陽がダビテの星の形で表現されている。


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