プレリュードとフーガ ニ短調 BuxWV 140
[Präludium und Fuge in d-Moll BuxWV 140]

作曲:ディートリヒ・ブクステフーデ
奏者:ヘルムート・ヴァルヒャ (オルガン)

2024年5月31日(金)10:00をもちましてURLは下記の通り変更になります。
https://arisada.wjg.jp/deutschland/Praludium_und_Fuge.html

 ディートリヒ・ブクステフーデ [Dieterich (Dietrich) Buxtehude] (1637 頃〜1707) は、17世紀の北ドイツおよびバルト海沿岸地域、プロイセンを代表する作曲家・オルガニストで、J・S ・バッハ [Johann Sebastian Bach] 以前の最大のオルガン音楽の巨匠といわれている。  リューベックの聖マリア教会 (MAP) のオルガニストとして、その名声はヨーロッパ全域に及び、1705年には、かのバッハも、ブクステフーデのオルガン演奏を聴くためにリューベツクを訪れた、というエピソード*はよく知られている。 とくにファンタジックで大胆な和声を用いたオルガン曲は若き日のバッハに大きな影響を与えた。
「プレリュードとフーガ」と題する作品は、さまざまな様式や要素が一体となった「音による大壁画」とも言えると、 1774年にブクステフーデの作品目録(略号:BuxWV)を編纂したゲオルク・カールシュテット [Georg Karstädt] が述べている。 ここでの「プレリュードとフーガ ニ短調BuxWV14O」もそのひとつで、5つの部分から成り、それぞれの部分は独自の個性をもちながら展開し、圧倒的な終結部を迎えて曲を閉じている。

1705年10月、バッハは4週間の休暇を取り、リューベックに旅行した。 アルンシュタット (MAP) からリューベック (MAP) までの約400km (MAP) を徒歩で向かったと言われる。 そして当地の聖母マリア教会のオルガニストを務めるディートリヒ・ブクステフーデの演奏に学んだ。 当時68歳と高齢だったブクステフーデもバッハの才能を買い、自分の娘マリア・マルグレータとの結婚を条件に後継者になるよう持ちかけた。 聖母マリア教会のオルガニストの地位は若いバッハにとって破格であったが、彼はブクステフーデの申し出を辞退した。

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