旅の栞(ドイツ)
7月12日
ハンブルク(Hamburg) ~ リューベック(Lübeck) ~
シュヴェリーン城(Schweriner Schloss) ~ ベルリン(Berlin)
2024年5月31日(金)10:00をもちましてURLは下記の通り変更になります。
https://arisada.wjg.jp/deutschland/newpage3.html
ハンブルク(Hamburg) ハンブルクの正式名称は、自由ハンザ都市ハンブルク。 古くから交易により栄えた都市で、北ヨーロッパの商人たちにより結成されたハンザ同盟のなかでも、中心的な存在であった。 808年、カール大帝が城塞を建設したことに始まり、13 ~ 15世紀には、ハンザ同盟都市として繁栄した。 1943年に連合軍の空襲で徹底的に破壊されるも、その後の復興は早く、ヨーロッパでも有数の港町となっている。 また、作曲家メンデルスゾーンとブラームスの生地*でもある。 旧市街 [Altstadt] は、エルベ川 [Die Elbe] (MAP) の北岸、ウイリ・ブラント通り [Willy-Brandt Straße] (MAP) 一帯に広がる地域。 このあたりは、ニコライ運河 [Nikolaifleet] (MAP)など数多の運河が流れており、港町らしい景色を楽しめる。 エルベ川沿いには煉瓦造りの倉庫が並ぶ。 (ハンブルクの倉庫街は2015年に世界文化遺産に登録されている。) ![]() 2. 弦楽六重奏曲第1番第2楽章 (ブラームス) * メンデルスゾーンの生家跡、ブラームスの生家跡 |
|
![]() |
![]() |
Crowne Plaza ホテル (07:20) 朝食後、ハンブルク市街、ニコライ運河、エルベ川沿いの倉庫街へ向かう。 MAPLay. A ![]() |
Crowne Plaza ホテル [Crowne Plaza Hamburg] (07:21) 朝食を済ませ、市内見学へ向かう。 MAPLay. A ![]() |
![]() |
|
ハンブルク中央駅 [Hamburg Hauptbahnhof] (車窓から) (08:35) 「東」MAPLay. A ![]() |
|
![]() |
|
ハンブルク中央駅 [Hamburg Hauptbahnhof] (車窓から) (08:35) 「東」MAPLay. A ![]() |
|
![]() |
|
福音教会 [St. Peter's Church] (車窓から) (08:37) 「南」MAPLay. A ![]() |
|
![]() |
|
メンケルベルク通り [Mönckebergstraße] (08:40) メンケベルク通りは、ハンブルク中央駅からハンブルク市庁舎を結ぶ通りで、デパート、一流ブランド店、レストラン、カフェなど多くある。 (ガイド待ちのため一旦下車) 「東」MAPLay. A ![]() |
|
![]() |
|
メンケルベルク通り [Mönckebergstraße] (08:40) ここがハンブルクの中心地。 右の尖塔のある建物は、新ルネサンス様式のハンブルク市庁舎 [Hamburg Rathaus] 。 出来たのは1897年で、壁面に飾られている銅像は、神聖ローマ帝国の皇帝とドイツ歴代の王。 その上部にハンザ同盟の紋章が飾られ、更にその上部に職人達の胸像が飾られている。 建物は花崗岩と砂岩で出来ており、重い建物を支えるため、基礎部にはゲルマンの森にあった4000本以上の樫の木の杭が使われている。 また、この近くにある倉庫街の建物や岸壁を造る際の基礎工事にも多くの樫の木杭が使われている。 海水や泥中での木材基礎の耐久性は驚異的で、400年以上の耐久性が実証されている。 (参考文献↓) 「西南西」MAPLay. A ![]() |
|
![]() |
|
https://committees.jsce.or.jp/mokuzai/system/files/005.pdf | |
![]() |
|
ハンブルクの税関運河とフリーポートエリアの断面図 建物の基礎と岸壁の基礎に樫の木の杭が使用されている事を示している。 画像出典:Wikipedia |
|
![]() |
|
メンケルベルク通り [Mönckebergstraße] (08:41) この通りの名は、1890年、1893年、1896年、1899年、1902年、1904年 - 1905年、1908年にハンブルク市長を務めたヨハン・ゲオルク・メンケベルク [Johann Georg Mönckeberg] の名に因んで、名付けられた。 「西南西」MAPLay. A ![]() |
|
![]() |
|
メンケルベルク通り [Mönckebergstraße] (08:41) 高い尖塔のある建物は、福音教会 [St. Peter's Church] 。 「東」MAPLay. A ![]() |
|
![]() |
|
カイエン [Kajen] 通り (08:49) 右端に連なるレンガ造りの建物は、ハンブルク港にある世界最大の歴史的倉庫複合施設 シュパイヒャーシュタット [Speicherstadt] 。 (2015年に世界文化遺産に登録) 「東南東」MAPLay. A ![]() |
|
![]() |
|
カイエン [Kajen] 通り (08:49) 左手前の小さな建物は、HOHE BRÜCKE 2。 建物の壁面には、解説パネルが貼られている。 (この建物は、現在、"Hamburger Elbinsel-Tour" と言うツアー業者が使用している。) 「東南東」MAPLay. A ![]() HOHE BRÜCKE 2 Dieses Haus wurde 1887- 88 im Anschluß an den Neubau der Hohen Brüche als Wohn- und Dienstgebäude des Kranwärters erbaut, der die drei öffentlichen Kräne östlich der Brücke bediente. Der historistische, zinnenbekrönte Backsteinbau steht auf einem Granitsockel. Ein Turm betont die zur Alstermündung gerichtete Südostecke. Das Haus entstand gleichzeitig mit der jenseits des Zollkanals gelegenen Speicherstadt im Rahmen der Neubauten zum Hamburger Zollanschluß 1888. (要約) ホーエ橋 2 この家は、橋の東側にある3つの公用クレーン (MAP) にサービスを提供していたクレーンキーパーの住宅およびサービス用建物として、ホーエンブリューシュの建設後に1887年から1888年に建てられました。 歴史的で、銃眼を備えたレンガ造りの建物は、花崗岩の基礎の上に建っている。 塔はアルスター河口に面した南東の角を強調しています。 この家は、1888年にハンブルク税関の新しい建物の一部として、通関運河の向こう側にあるSpeicherstadtと同時に建設されました。 |
|
![]() |
|
シュパイヒャーシュタット [Speicherstadt] (08:49) カイエン [Kajen] 通りからの景観。 「南」MAPLay. A ![]() |
|
![]() |
|
カイエン [Kajen] 通り (08:49) 「西南西」MAPLay. A ![]() |
|
![]() |
|
ダイヒ通り [Deichstraße] (08:51) Deichstraßeは14世紀に遡り、ドイツのハンブルクの旧市街 (アルトシュタット) [Altstadt] にある最も古い通り。 嘗てのドイツの家は、石造りではなく柳の枝を編み込んだ土壁と木組みで出来ていたため、何度も修復や建て替えが行われてきた。 1842年5月5日から5月8日にかけてハンブルクの旧市街 (de:Hamburg-Altstadt) の大部分を破壊する大火があったが、それらは慎重に修復され、17〜19世紀の家々を含み、これらの全ては旧港地区の左側にある。 ハンブルクには二カ所の旧市街が残されているが、世界文化遺産に登録されているのは、もう一つの旧市街 (チリハウスを含む商館街) (MAP) で、ここではない。 ヨハン・ゼバスティアン・バッハ [Johann Sebastian Bach] が生きていた1685年~1750年頃のハンブルクはドイツで一番大きな街であった。 「南南西」MAPLay. A ![]() |
|
![]() |
|
狭い路地を抜けるとニコライ運河 [Nicolai Canal] に至る (08:51) 「東南東」MAPLay. A ![]() |
|
![]() |
|
狭い路地を抜けるとニコライ運河 [Nicolai Canal] に至る (08:52) ダイヒ通りの裏側にあるニコライ運河はハンブルクの昔の港らしい風景が残る唯一の場所。 「東南東」MAPLay. A ![]() |
|
![]() |
|
ニコライ運河 [Nicolai Canal] (08:52) 地図には、ニコライフレー [Nikolaifleet] と記されているが、fleet は何らかの集まりを意味する言葉で、ここでは船舶の集まりを意味して名付けられたものと思われる。 前方を横切る橋は、ホーエ橋 [Hohe Brücke] 。 「南」MAPLay. A ![]() |
|
f![]() |
|
ニコライ運河 [Nicolai Canal] (08:52) 写真の中央に建っている高い塔は、高さ143mある元ニコライ教会で、今は聖ニコライ記念館になっている。 この記念館は、1933 - 1945年の戦争と専制政治の犠牲者のためのハンブルクの中心的な記念場所となっている。 1943年のハンブルクへの空襲で、元ニコライ教会は破壊されてしまった。 今は建物を維持管理するための保存工事をしている。 以前は広島を考えようと書かれた垂れ幕が掛かっていた。 「北北東」MAPLay. A ![]() |
|
![]() |
|
ニコライ運河 [Nicolai Canal] (08:53) ニコライ運河はアルスター川 (MAP) がエルベ川に注ぐ湾曲した河口部に造られている。 アルスター川の水源はここから北に50Kmの所にある湧き水が水源となっている。 ニコライ運河は湾曲部で一番綺麗なところであったため、一番古くから人が住んでいた。 ハンブルクの街は、アルスター川が上流から運んできた川砂が堆積した所に人が住み始めたのが始まりで、中世以来、ヨーロッパ屈指の港町として栄えていった。 都市は、まず砦が築かれ、キリスト教布教の拠点が設けられ、そして交通の要衝として港町が築かれたところに始まった。 市街地は中世にエルベ川に注ぐ支流アルスター川が堰き止められ、運河が整備されたところに発達した。 「東」MAPLay. A ![]() |
|
![]() |
|
ハンブルクの近代化の推移 出典:港町ハンブルクにおける近世の都市空間構造 |
|
![]() |
|
ニコライ運河 [Nicolai Canal] (08:53) 運河の水位は全て北海の潮の満ち引きに左右される。 今はちょうど引き潮に当たり川底が露出している。 満潮時の水位は、家の壁に残る水垢の付着位置を見れば想像が付く。 また、写真中央にバルコニーを支える為の樫の木の杭が露出している。 (前掲) 「北」MAPLay. A ![]() |
|
![]() |
|
ニコライ運河 [Nicolai Canal] (08:53) 中世の頃はこの辺りには個人の小さなビール醸造所があったり、貿易商人が住んでいた。 またハンブルクの政治を動かしていた人達も住んでいた。 「北北東」MAPLay. A ![]() |
|
![]() |
|
ニコライ運河 [Nicolai Canal] とダイヒ通り [Deichstraße] を繫ぐ桟橋 (08:53) この橋は ポントン (独語:Ponton) と呼ばれる舟橋になっており、潮の満ち引きに応じて上下する。 「西北西」MAPLay. A ![]() |
|
![]() |
|
ニコライ運河 [Nicolai Canal] とダイヒ通り [Deichstraße] を繫ぐ桟橋 (08:59) この橋は ポンツーン (英語:Pontoon) と呼ばれる舟橋になっており、潮の満ち引きに応じて上下する。 「西南西」MAPLay. A ![]() |
|
![]() |
|
この階段を上がるとダイヒ通り [Deichstraße] (09:00) 「西北西」MAPLay. A ![]() |
|
![]() |
|
ダイヒ通り [Deichstraße] (09:01) 「北北東」MAPLay. A ![]() |
|
![]() |
|
ダイヒ通り [Deichstraße] (09:02) 「北北東」MAPLay. A ![]() |
|
![]() |
|
カイエン [Kajen] 通り (09:02) 「南東」MAPLay. A ![]() |
|
![]() |
|
税関運河 (ツォル運河) [Zollkanal] (09:03) 名前の由来は、この運河沿いに並んでいる倉庫街が保税倉庫であるため名付けられた。 保税倉庫とは、輸入手続きが済んでいない外国貨物(=保税貨物)を入れておく倉庫で、倉庫内に貨物が置かれている限り、関税は掛からない仕組みになっている。 商取引成立後、倉庫から荷物が運び出される時に初めて関税が掛けられた。 そのため、倉庫街には数カ所税関が設けられている。 運河は倉庫街と市街を隔離する形で造られていたため五つの橋が架けられていたが、第二次世界大戦の時に一つの橋を残し、全て破壊された。 因みに、ハンブルクを空爆したのはイギリス軍で、残された一つの橋は ブロークス橋 [Brooksbrücke] (MAP) 。 「西南西」MAPLay. A ![]() |
|
![]() |
|
税関運河 (ツォル運河) [Zollkanal] (09:03) パノラマ写真 |
|
![]() |
|
税関運河 (ツォル運河) [Zollkanal] (09:03) 金文字で "HANSEATIC TRADE CENTER" (ハンザ貿易センター) と書かれた対岸の新しいビルの所まで、嘗ては倉庫街であったが、新しい建物に置き換えられている。 「南西」MAPLay. A ![]() |
|
![]() |
|
税関運河 (ツォル運河) [Zollkanal] (09:03) 東側 (左) は、嘗ての倉庫が列をなしている倉庫街。 倉庫街は1888年~1906年の間に造られた。 「南」MAPLay. A ![]() |
|
![]() |
|
税関運河 (ツォル運河) [Zollkanal] (09:03) 「西」MAPLay. A ![]() |
|
![]() |
|
税関運河 (ツォル運河) [Zollkanal] (09:04) 「東南東」MAPLay. A ![]() |
|
![]() |
|
税関運河に架かる歩行者専用橋 (09:04) 「南」MAPLay. A ![]() |
|
![]() |
|
税関運河に架かる歩行者専用橋 (09:04) 「東南東」MAPLay. A ![]() |
|
![]() |
|
税関運河に架かる歩行者専用橋 (09:04) 岸壁の露出した部位にも樫の木の杭が使用されている。 (前掲) 「北北東」MAPLay. A ![]() |
|
![]() |
|
税関運河 (ツォル運河) [Zollkanal] (09:04) 向こうに見える橋は、ブロークス橋 [Brooksbrücke] 。 Brooksbrücke橋はハンブルクで最も古い橋の1つで、17世紀には、当時の木造のブルックス橋が現在の税関運河にまたがっていた。 「東南東」MAPLay. A ![]() |
|
![]() |
|
税関運河 (ツォル運河) [Zollkanal] (09:05) 「西」MAPLay. A ![]() |
|
![]() |
|
税関運河 (ツォル運河) [Zollkanal] (09:05) 左の岸壁に、嘗ての荷揚げ作業をイメージさせるクレーンが置かれている。 この運河は水深が浅いため、本船はエルベ川に停泊させておき、艀に積み替えて来た荷物をクレーンで荷揚げしていた。 荷揚げされた荷物は馬車に乗せ替え倉庫に運ばれていた。 左手に見える尖塔は、聖カタリナ教会 [St. Katharinen Church] 。 「東」MAPLay. A ![]() |
|
![]() |
|
税関運河 (ツォル運河) [Zollkanal] (09:06) 右手に見える尖塔は、聖ミヒャエル教会 [Hauptkirche St. Michaelis] 。 この教会の時計は直径8m、周囲が25mあって、ドイツで一番大きな時計。 「西」MAPLay. A ![]() |
|
![]() |
|
税関運河 (ツォル運河) [Zollkanal] (09:06) この辺りは、北海から110Kmの位置にあり、また、上流から流れてきた土砂が川底を埋め、大きな船舶の入港を困難にしている。 そのため、絶えず浚渫作業が行われ、港の機能を維持している。 左手に見える尖塔は、聖カタリナ教会 [St. Katharinen Church] 。 「東」MAPLay. A ![]() |
|
![]() |
|
税関運河に架かる歩行者専用橋 (09:06) この辺りは、世界文化遺産に登録された、19世紀後半から20世紀初頭の様子を伝える地域で、現在のハンブルク港とは趣が違う。 (現在のハンブルク港↓) 「北」MAPLay. A ![]() |
|
![]() |
|
現代のハンブルク港 岸壁には、沢山のガントリークレーンが並んでいる。 出典:Googleマップ |
|
![]() |
|
税関運河 (左) と倉庫街 (右) (09:07) 左の工事中の尖塔は、高さ143mある元ニコライ教会で、今は聖ニコライ記念館になっている。 中央の尖塔は、聖カタリナ教会 [St. Katharinen Church] 。 「東北東」MAPLay. A ![]() |
|
![]() |
|
税関運河 (ツォル運河) [Zollkanal] (09:08) 中央のやや右に見える見える尖塔は、聖ミヒャエル教会 [Hauptkirche St. Michaelis] 。 この教会の時計は直径8m、周囲が25mあって、ドイツで一番大きな時計。 「西」MAPLay. A ![]() |
|
![]() |
|
倉庫街(シュパイヒャーシュタット) (09:09) 倉庫街の倉庫は、保税倉庫を意味し、保税倉庫とは、輸入手続きが済んでいない外国貨物(=保税貨物)を入れておく倉庫で、倉庫内に貨物が置かれている限り、関税は掛からない仕組みになっている。 商取引成立後、倉庫から荷物が運び出される時に初めて関税が掛けられた。 そのため、倉庫街には数カ所税関が設けられている。 左手の尖塔は、聖カタリナ教会 [St. Katharinen Church] 。 「東」MAPLay. A ![]() |
|
![]() |
|
倉庫街(シュパイヒャーシュタット)の範囲を示す地図 (Googleマップ) | |
![]() |
|
ハンブルクの倉庫街とチリハウスを含む商館街はドイツの世界遺産の一つであり、ハンブルクが世界屈指の国際商業都市として急成長を遂げた19世紀後半から20世紀初頭の様子を伝える倉庫街(シュパイヒャーシュタット)と商館街(コントーアハウス地区)を対象としている。 登録名にあるように、後者にはフリッツ・ヘーガー
[Fritz Höger] による表現主義建築の傑作チリハウス [Chilehaus] が含まれる。 (2015年に世界文化遺産登録) 出典:Wikipedia (今回は、チリハウスを含む商館街は訪れていない。) |
|
![]() |
|
シュパイヒャーシュタット [Speicherstadt] (MAP) (09:09) 陸橋を通って、 ケールヴィーダーフレー [Kehrwiederfleet] (MAP) へ向かう。 「南」MAPLay. A ![]() |
|
![]() |
|
歩行者専用橋 (09:09) この橋 (陸橋) は、税関運河の上をまたぎ陸をまたぎケールヴィーダーフレーの上まで一続きに造られた観光客用の歩道橋。 「北」MAPLay. A ![]() |
|
![]() |
|
シュパイヒャーシュタット [Speicherstadt] (MAP) (09:09) ケールヴィーダーフレー [Kehrwiederfleet] (MAP) 。 「東南東」MAPLay. A ![]() |
|
![]() |
|
シュパイヒャーシュタット [Speicherstadt] (MAP) (09:10) ケールヴィーダーフレー [Kehrwiederfleet] 。 「東南東」MAPLay. A ![]() |
|
![]() |
|
シュパイヒャーシュタット [Speicherstadt] (MAP) (09:10) パノラマ写真 |
|
![]() |
|
シュパイヒャーシュタット [Speicherstadt] (MAP) (09:10) ケールヴィーダーフレー [Kehrwiederfleet] に架かる橋上にて。 「南南東」MAPLay. A ![]() |
|
![]() |
|
ケールヴィーダーフレー [Kehrwiederfleet] (09:10) この地域の建物や岸壁の基礎には樫の木の杭が使用されている。 (前掲) 「西南西」MAPLay. A ![]() |
|
![]() |
|
ケールヴィーダーフレー [Kehrwiederfleet] (09:11) 「東」MAPLay. A ![]() |
|
![]() |
|
ケールヴィーダーフレー [Kehrwiederfleet] (09:11) 「東」MAPLay. A ![]() |
|
![]() |
|
シュパイヒャーシュタット [Speicherstadt] (MAP) (09:11) ケールヴィーダーフレー [Kehrwiederfleet] に架かる橋上にて。 「北」MAPLay. A ![]() |
|
![]() |
|
シュパイヒャーシュタット [Speicherstadt] (MAP) (09:14) 税関運河に架かる歩行者専用橋。 「南南東」MAPLay. A ![]() |
|
![]() |
|
税関運河に架かる歩行者専用橋 (09:14) 左手に見える尖塔は、聖ミヒャエル教会 [Hauptkirche St. Michaelis] 。 シュパイヒャーシュタットを後にし、バスへ向かう。 「北」MAPLay. A ![]() |
|
![]() |
|
歩行者専用橋から見るカイエン [Kajen] 通り (09:15) 「西北西」MAPLay. A ![]() |
|
![]() |
|
カイエン 10 駐車場 [Kajen 10 Parking] から見る税関運河 (09:16) 「東南東」MAPLay. A ![]() |
|
![]() |
|
ブロークス橋 [Brooksbrücke] (車窓から) (09:19) Brooksbrücke 橋はハンブルクで最も古い橋の1つで、17世紀には、当時の木造のブルックス橋が現在の税関運河にまたがっていた。 1870年頃、交通量の増加に対応するために木造の橋は破壊され、石の橋に置き換えられたが、この橋は長くは続かず、1885年に シュピヒャーシュタット [Speicherstadt] の建設に伴って更新される事になった。 この橋は、シュピヒャーシュタットへの主要橋として1887年に完成した。 当時、税関運河には五つの橋が架かっていたが第二次世界大戦の際、他の橋は全て破壊され、当時、残された唯一の橋であった。 (MAP) 。 「南東」MAPLay. A ![]() |
|
![]() |
|
ニコライ運河に架かるホルツ橋 [Holzbrücke] からの眺め (車窓から) (09:19) 工事中の塔は、聖ニコライ教会 (聖ニコライ記念館) [Mahnmal St. Nikolai] 。 ホルツ橋 [Holzbrücke] は木製の橋を意味するが、現在は石の橋になっている。 「北東」MAPLay. A ![]() |
|
![]() |
|
ハンブルク市庁舎 [Hamburg Rathaus] 前の市民の広場 (09:27) 昨日まで "シュティットガルトのワイン祭り" が行われていたので、屋台の解体が続いている。 「南西」MAPLay. A ![]() |
|
![]() |
|
ハンブルク市庁舎のファサード (09:27) 中央バルコニーに立つ二つの像の内、左側は9世紀にザクセン族を平定したカール大帝 (シャルルマーニュ) の像。 右側は、12世紀にハンブルクに商業特権を与えた皇帝フリードリヒ赤髭王 (バルバロッサの像) 。 中央バルコニーの二体を含めバルコニーには神聖ローマ皇帝の20体の立像が並んでいる。 「南南西」MAPLay. A ![]() |
|
![]() |
|
ハンブルク市庁舎のファサード (09:28) ファサードに並ぶ20体の立像の内、左から6番目が ハインリヒ1世 [Heinrich I] で、初代ドイツ国王。 「南」MAPLay. A ![]() |
|
![]() |
|
ハンブルク市庁舎のファサード (09:29) 新ルネサンス様式のハンブルク市庁舎 [Hamburg Rathaus] 。 出来たのは1897年で、壁面に飾られている銅像は、神聖ローマ帝国の皇帝とドイツ歴代の王。 その上部にハンザ同盟の紋章が飾られ、更にその上部に職人達の胸像が飾られている。 中央バルコニーの上には、ハンブルグの守護女神ハンモニア [Hammonia] を描いたモザイク画ある。 その上部にはラテン語で書かれた銘文がある。 "Libertatem quam peperere maiores digne studeat servare posteritas" 「先人たちの勝ちとった自由を後世の人々が厳粛に守らんことを」 更にその上には、市の紋章が飾られている。 「南南西」MAPLay. A ![]() |
|
![]() |
|
ハンブルク市庁舎の中庭へ向かう (09:34) 「西北西」MAPLay. A ![]() |
|
![]() |
|
中庭のヒュギエイア [Hygieia] の噴水 (09:35) 1892年にハンブルクで大流行したコレラによる犠牲者、約8600人を追憶するために噴水が作られた。 噴水の中央に立つのは疫病を表す竜を制する健康と衛生を司るギリシア神話の女神ヒュギエイア。 この女神はエルベ川の方を向いて立てられている。 昔は水の汚染から、よくコレラが流行したが、1897年に市庁舎が完成した頃には、ハンブルクにも水道が完備し、コレラの流行を制する事が出来るようになった。 この事実を象徴する形で、女神ヒュギエイア像が建てられている。 「北西」MAPLay. A ![]() |
|
![]() |
|
ハンブルク市庁舎の中庭 (09:35) パノラマ写真 |
|
![]() |
|
ハンブルク市庁舎の中庭 (09:35) 「西北西」MAPLay. A ![]() |
|
![]() |
|
ヒュギエイア [Hygieia] の噴水 (09:36) ヒュギエイア [Hygieia] は、ギリシア神話に登場する女神で、健康の維持や衛生を司る。 ローマ神話ではサルース [Salus] の名で呼ばれる。 医術の祖アポローンの子である医神アスクレーピオスの娘で、古くはアスクレーピオス信仰において父神の脇侍として信仰された。 父神と同様に一匹の蛇を従えた若い女性として絵画に表されることが多く、薬か水を入れたと思しき壺 (または杯) を携えていることもある。 この蛇と杯をモチーフにした「ヒュギエイアの杯」が薬学のシンボルに用いられることが多い。 「北北東」MAPLay. A ![]() 出典:Wikipedia |
|
![]() |
|
ハンブルク市庁舎の中庭 (09:36) 「北東」MAPLay. A ![]() |
|
![]() |
|
ハンブルク市庁舎の中庭 (09:37) ヒュギエイア [Hygieia] の噴水の下には、ローマ神話から引用した、水の効用を表す6体の神々の座像が飾られている。 この写真では、左に貝を持つ神、そのに右に鏡を持つ女神、更にその右に船を持つ神が確認出来る。 「北東」MAPLay. A ![]() |
|
![]() |
|
ハンブルク市庁舎の中庭 (09:37) 「北東」MAPLay. A ![]() |
|
![]() |
|
ハンブルク市庁舎の中庭 (09:38) 「東」MAPLay. A ![]() |
|
![]() |
|
ハンブルク市庁舎の中庭 (09:38) 「東北東」MAPLay. A ![]() |
|
![]() |
|
ハンブルク市庁舎の中庭 (09:38) 「東南東」MAPLay. A ![]() |
|
![]() |
|
ハンブルク市庁舎の中庭 (09:38) ヒュギエイア [Hygieia] の噴水の下には、ローマ神話から引用した、水の効用を表す6体の神々の座像が飾られている。 この写真では、壺に水を汲む女神が確認出来る。 「南」MAPLay. A ![]() |
|
![]() |
|
ハンブルク市庁舎の中庭 (09:38) ヒュギエイア [Hygieia] の噴水の下には、ローマ神話から引用した、水の効用を表す6体の神々の座像が飾られている。 この写真では、船の櫂を持つ神が確認できる。 「南南東」MAPLay. A ![]() |
|
![]() |
|
ハンブルク市庁舎の中庭 (09:39) ヒュギエイア [Hygieia] の噴水の下には、ローマ神話から引用した、水の効用を表す6体の神々の座像が飾られている。 この写真では、左に船を持つ神、真ん中に船の櫂を持つ神、右に魚を掴んでいる神が確認出来る。 「西」MAPLay. A ![]() |
|
![]() |
|
ヒュギエイア [Hygieia] の噴水 (09:39) 「北」MAPLay. A ![]() |
|
![]() |
|
ヒュギエイア [Hygieia] の噴水 (09:40) 右手で捧げているのはヒュギエイアの杯 [Bowl of Hygieia] 。 ヒュギエイアの杯とは、ギリシア神話に登場する名医アスクレピオスの娘のヒュギエイアが持っていた杯。 ヘビの巻きついた杯として表現される。 アスクレピオスの杖と並び医療・医術の象徴として世界的に広く用いられているシンボルマークである。 特にアスクレピオスの杖が医学のシンボルとされるのに対し、ヒュギエイアの杯は薬学のシンボルとして用いられる場合が多い。 「北東」MAPLay. A ![]() 出典:Wikipedia |
|
![]() |
|
ハンブルク市庁舎 [Hamburg Rathaus] (09:42) この後、ハンブルクを後にリューベック [Lübeck] へ向かう。 「西北西」MAPLay. A ![]() |
|
![]() |
|
ハンブルク中央駅 [Hamburg Hbf] (車窓から) (09:47) 「北北西」MAPLay. A ![]() |
リューベック [Lübeck] リューベックは、トラーヴェ川 [Trave] (MAP) の中州に出来た街で、バルト海 [Baltic Sea] から16Kmに位置する北ドイツの代表都市。 嘗ては、ハンザ同盟の中核都市として繁栄を謳歌し、「ハンザの女王」とよばれた。 塩などの交易で財をなした商人たちの手によって造り上げられた港町で、ホルステン門や市庁舎など、当時の栄華を象徴する建築物が数多く残されている。 正式名称をハンザ都市リューベック [Die Hansestadt Lübeck] という。 因みに、ルフトハンザ航空の「Lufthansa」は「空のハンザ同盟」 の意。 リューベックの名の由来は、旧ユーゴスラビアに住んでいた南スラヴ人 (クロアチアとか スロベニア等の人々) が 初めてこのリューベックの地を見つけ、スラブ語で "美しい物の中の一つ" を意味するリュービッツェと名付け居住していた。 その後、ドイツ諸侯の一人ザクセン・バイエルン公ハインリヒ (獅子公) が東方植民の一環として、ここにドイツ人を移住させ、エルベ川 (MAP) 以東のスラヴ人居住地域に1158年、新たに建設都市を創り上げた。 その頃より、リュービッツェがリューベッカに変わり、更に今日のリューべックに変化したものと考えられている。 1987年に「リューベックのハンザ同盟都市」としてユネスコの世界遺産に登録されている。 ![]() |
|
![]() |
|
ホルステン門 [Holstentor] (車窓から) (10:41) ホルステン門はリューベック旧市街の入り口に建っている、リューベックの象徴とも言われる建造物。 北ドイツ特有の煉瓦造りで、門の両端に立つ塔は現在は市歴史博物館 [Stadtgeschichtliches Museum] として使われており、17世紀当初の都市の姿を再現した模型などが展示されている。 しかし、中州の上に建っているため、煉瓦の重みに耐え切れずに建物の一部が陥没し、塔が西側 (手前) に傾いている。 「東」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
ホルステン門 [Holstentor] (車窓から) (10:41) ホルステン門 [Holstentor] は、ドイツのリューベックにある歴史的建造物で、1469年から1477年にかけて造られた。 ユーロ導入以前の旧50ドイツマルク紙幣 (↓) 等の図柄にも採用されており、また1987年に「リューベックのハンザ同盟都市」としてユネスコの世界遺産にも登録されている。 門の上部にはラテン語で CONCORDIA DOMI FORIS PAX (内に結束、外に平和を) という文字が掲げられている。 「東」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
![]() |
表 | 裏 |
初版発行 1962年6月18日 出典:Wikipedia |
|
![]() |
|
出典:Wikipedia |
|
![]() |
|
ホルステン門 [Holstentor] (車窓から) (10:41) 2本の尖塔が印象的な街のシンポル。 1469〜1477年の建造で、かつて は港の防衛に、現在は市歴史博物館 [Stadtgeschichtliches Museum] として使われている。 門をくぐった右手のレンガ積みの建物群は1579-1745年に建てられた塩倉庫で、ハンザ同盟の時代、リューネブルク [Lüneburg] (MAP) で採掘された岩塩がリューベックに運ばれ、ここを拠点にニシンの塩漬けの材料としてバルト海地域に輸送されていた。 この古い貿易ルートは、"古き塩の道" [Alte Salzstraße] と呼ばれている。 「東」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
バスを降りホルステン門へ向かう (10:47) 中央に見える二つの尖塔は、聖マリエン (マリア) 教会 [Marien Kirche] 。 1250〜1350年にハンザ同盟の商人が建てたゴシック様式の教会で、北ドイツで最も美しく、レンガ造りの建物としては最大級。 この教会で最も有名なのが、8512本のパイプを持つ世界最大級のパイプオルガンで夏にはコンサー 卜も開かれる。 嘗て、巨匠ブクステフーデが専属オルガニストを務 めていた教会で、バッハ [Johann Sebastian Bach] が青年時代に、遠路はるばるこのオルガンを聴きに訪れたというエピソードが残っている。 「東南東」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
トラーヴェ川 [Trave] (10:47) トラーヴェ川の向こうに見えるのが、中州に出来たリューベックの街。 写真の中央に2つの尖塔を持つ "聖マリエン (マリア) 教会" 、その右に1つの尖塔を持つ "聖ペーター教会" 、更にその右に2つの尖塔を持つ "リューベック大聖堂" がある。 真ん中にある "聖ペーター教会"は現在、修復工事中でシートで覆われているが、そのシートには、"神の目" が描かれており、神は人々を常に見守っていることを示唆している。 「南南東」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
トラーヴェ川 [Trave] (10:48) この辺りの鰊 (にしん) は、塩分の少ない水で産卵することを好み、4月頃になると多くの鰊が産卵のためトラーヴェ川の比較的河口に近い所まで遡上して来る。 そのため春には釣り人で一杯。 (Lübecker Hering) 「南南東」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
トラーヴェ川 [Trave] (10:48) トラーヴェ川沿いにホルステン門に向かって歩く。 「南南東」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
トラーヴェ川 [Trave] (10:49) トラーヴェ川沿いにホルステン門に向かって歩く。 「東南東」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
トラーヴェ川 [Trave] (10:49) トラーヴェ川沿いにホルステン門に向かって歩く。 写真中央の2つの尖塔は、聖マリエン (マリア) 教会 [Marien Kirche] 。 「東南東」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
トラーヴェ川 [Trave] (10:50) 駐車場から歩いてきた川沿いの道。 (後方を撮影) 「北北東」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
トラーヴェ川 [Trave] (10:50) 写真の中央に見える尖塔は、聖ペーター教会。 現在工事中で建物はシートで覆われており、そのシートには大きな1つ目が描かれている。 この目には宗教的意味合いがあって、"神の目" が常に人々を見守っていることを示唆している。 「南南東」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
トラーヴェ川 [Trave] (10:50) パノラマ写真 |
|
![]() |
|
トラーヴェ川 [Trave] (10:50) 「東南東」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
トラーヴェ川沿いにホルステン門へ向かう (10:51) ラディソン・ブルー・セナター・ホテル、リューベック [Radisson Blu Senator Hotel, Lübeck] の下を通過。 「南東」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
トラーヴェ川沿いにホルステン門へ向かう (10:51) 「南東」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
トラーヴェ川沿いにホルステン門へ向かう (10:51) 「南南東」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
トラーヴェ川沿いにホルステン門へ向かう (10:52) 「南東」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
トラーヴェ川沿いにホルステン門へ向かう (10:52) 「南南東」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
後方を撮影 (10:53) 上の建物は、 ラディソン・ブルー・セナター・ホテル、リューベック [Radisson Blu Senator Hotel, Lübeck] 。 「北」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
ホルステン門 [Holstentor] (10:54) 脇道を通ってホルステン門へ向かう。 「南」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
ホルステン門 [Holstentor] の北側面 (10:54) 豊かで裕福なハンザ同盟の都市リューベックは、何世紀にも渡って壁や要塞を強化しながら外的脅威から身を守る必要があった。 特に、当時強国だったデンマークは盛んにハンザ同盟都市を侵略し海上交易を妨げていた。 そのため、街を要塞で囲み、北側の城塞門 [Burgtor] (MAP) 、南側のミューレン門 [Mühlentor] (MAP) 、西側のホルステン門の3つの門で街は守られていた。 東側は、堰き止められた ヴァーケニッツ [Wakenitz] 川 (MAP) によって街は守られ、安全な日常生活の門として ヒュクスター門 [Hüxtertor] (MAP) が使用されていた。 これらの門には、外側、中間、内側の3つの門があったが、今日では断片しか残っていない。 (参照↓) 「南」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
黄色の部分が要塞のあった場所 出典:Lübeck in historischen Karten |
|
![]() |
![]() |
嘗て4つあったホルステン門 イラスト出典:Wikipedia |
今は無きリューベックの門![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 出典:Gesellschaft Weltkulturgut Hansestadt Lübeck (gemeinnützig) e.V. |
![]() |
|
ホルステン門 [Holstentor] の北側面 (10:54) ホルステン門は、1477年に完成し、ゴシック建築の門を2つの塔がはさむ構造となっている。 第二次世界大戦で破壊されなかったものの、もともと地盤が弱い上に要塞門として造られ、しかも防衛を理由に西側 (外側) の壁のみを厚くして建てられたため、全体のバランスが崩れ、西側に傾いた状態になっている。 (↓) (壁の厚さは3m以上) 「南」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
ホルステン門 [Holstentor] の南側面 (塔の傾きを示す写真) 西側 (左) に傾いた状態になっている。 (Wikipediaでは、写真家はカメラを斜めに持っているため、写真は傾きを過大評価しています。) と記されているが、この写真は、カメラの傾を補正済み。 「北」 出典:Wikipedia |
|
![]() |
|
ホルステン門 [Holstentor] の北側面 (10:55) 塔は現在、博物館として利用されている。 写真の左にあるレンガ積みの建物群は、かつてリューネブルク [Lüneburg] (MAP) の塩を保管した倉庫で、1579-1745年に建てられた。 現在はショッピングセンターとして利用されている。 リューベックには有力な特産品はなかったが、食品の保存に重要で、高い需要を持つ塩の貿易を独占するなど、市近隣産品の遠隔地貿易によって繁栄したハンザ同盟の中核都市であった。 「南」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
ホルステン門 [Holstentor] の内側 (10:55) 「南西」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
ホルステン門 [Holstentor] の内側 (10:55) 「南西」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
ホルステン門 [Holstentor] の内側 (10:57) 「西南西」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
ホルステン門 [Holstentor] の内側 (10:58) 門の上に金文字で書かれている "1477" は門の完成年、"1871" はドイツ帝国 (1871年~1918年) 成立年。 真ん中の S.P.Q.L. の意味は、 ラテン語でローマの共和制政府を意味する S.P.Q.R. [Senatus Populusque Romanus] 「元老院とローマの人民(市民)」 は、ローマ共和国における権力の分配は、"貴族を代表する上院" と "人民" に同様に主権があることを表している。 この S.P.Q.R. の文字は、古代の国家ローマとその市民の栄光と誇りを現すものであり、当時ローマ帝国の領域であった現在のヨーロッパや北アフリカに至るあらゆる地域で公共物にすべて刻まれ、ローマ軍団の軍旗などにも使われ、市民にとっては馴染みのある文字になっている。 そのため、多くの都市州では、S.P.Q.R. という略語が自分の都市を指すように修正されて、S.P.Q.R. の最後の "Romanus" (ローマ) を "Lubecensis" (リューベック) に置き換えたものが、S.P.Q.L. 「参事会およびリューベック市民」 で、リューベック市民の栄光と誇りを表す文字として用いられている。 両端の白と赤のツートンカラーのシンボルはリューベックの旗、その内側の黒い双頭の鷲はリューベックの紋章。 「西」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
ホルステン門 [Holstentor] の内側 (10:59) ハンザ同盟の始まりは、当時、海路、陸路ともに治安が悪いため、陸海路を安全に保護することを目的に、1259年、 リューベック、ヴィスマール、ロストク の 3 都市が、安全な輸送路を確保するため協定を結んだのが始まり。 ハンザ同盟都市は、商業妨害を繰り返していたデンマーク (バイキングの拠点になっていた) から身を守るため、このような城塞を築いていた。 「西」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
ホルステン門 [Holstentor] の内側 (11:00) ホルステンの語源は、敵を観る、見張る、見詰める、と言った意味で、デンマーク語から派生した言葉だと言われている。 「北西」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
ホルステン門 [Holstentor] の内側 (11:01) 「西北西」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
ホルステン門 [Holstentor] の内側 (11:01) パノラマ写真 |
|
![]() |
|
ホルステン門 [Holstentor] の内側 (11:01) 左手の建物は塩の倉庫。 冷蔵庫がない中世の時代、塩は魚と肉の保存に使われ、黄金と同等の価値を有していた。 「西南西」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
ホルステン門 [Holstentor] の内側 (11:01) 「西北西」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
インナーホルステン門の跡地 (11:02) 嘗て、ホルステン門は4つあった。 その中の一番内側にあった門の跡地が道路鋲で示されており、また門の模型がガラスケースに入れて展示されている。 (前掲図参照) 「東南東」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
塩の倉庫の側を流れるトラーヴェ川 (11:02) この川はバルト海と繋がっており、船舶を利用して塩の交易が行われていた。 「南西」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
塩の倉庫の側を流れるトラーヴェ川 (11:02-03) パノラマ写真 |
|
![]() |
|
塩の倉庫 (左) と ホルステン門 (右) (11:02) 右手前の橋は、ホルステン橋 [Holstenbrücke] 。 「西」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
ホルステン橋 [Holstenbrücke] から見るトラーヴェ川 (11:03) 「南」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
インナーホルステン門の模型 (11:03) 嘗て、ホルステン門は4つあった。 その中の一番内側にあった門の跡地が道路鋲で示されており、また門の模型がガラスケースに入れて展示されている。 (前掲図参照) (19世紀に、交通の妨げになる小さな門は壊され、ホルステン門だけが残された。) 「南」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
インナーホルステン門の模型 (11:03) 嘗て、ホルステン門は4つあった。 その中の一番内側にあった門の跡地が道路鋲で示されており、また門の模型がガラスケースに入れて展示されている。 (前掲図参照) (19世紀に、交通の妨げになる小さな門は壊され、ホルステン門だけが残された。) 「西」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
インナーホルステン門の模型 (11:04) 嘗て、ホルステン門は4つあった。 その中の一番内側にあった門の跡地が道路鋲で示されており、また門の模型がガラスケースに入れて展示されている。 (前掲図参照) (19世紀に、交通の妨げになる小さな門は壊され、ホルステン門だけが残された。) 「北」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
インナーホルステン門の模型 (11:04) 嘗て、ホルステン門は4つあった。 その中の一番内側にあった門の跡地が道路鋲で示されており、また門の模型がガラスケースに入れて展示されている。 (前掲図参照) (19世紀に、交通の妨げになる小さな門は壊され、ホルステン門だけが残された。) 「北東」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
インナーホルステン門の模型 (11:04) 嘗て、ホルステン門は4つあった。 その中の一番内側にあった門の跡地が道路鋲で示されており、また門の模型がガラスケースに入れて展示されている。 (前掲図参照) (19世紀に、交通の妨げになる小さな門は壊され、ホルステン門だけが残された。) 「北東」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
ホルステン通り [Holstenstraße] (11:04) ホルステン通りから見るホルステン門。 「西」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
ホルステン通り [Holstenstraße] (11:04) 左の車が停まっている所の道路鋲が、嘗て、インナーホルステン門があった場所。 「西」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
1872年トラーヴェ川の氾濫を示すプレート (11:07) 1872年11月13日のトラーヴェ川の氾濫を示した記念プレート。 1872年11月12日から13日にかけての、バルト海の嵐によって生じた高潮による洪水で、当初、北西部からの嵐によって、海水が袋状で出口のないバルト海とフィンランド湾に向かって押し流され、その後、風向きが北東に変わった時、海水は嵐によって、一気にリューベック方向に吹き寄せられ、膨れあがった海水はトラーヴェ川を逆流し、リューベックに洪水をもたらした。 バルト海の洪水の原因は常に嵐によって生じている。 (↓) 「東南東」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
出典:Google マップ | |
![]() |
![]() |
下のプレート (11:07) Niedrigste Fussbodenhöhe +7.80m am Pegel (フロアの最低高さ 標高+7.80m) |
上のプレート HOCHWASSER.LINIE VOM 13. NOV. 1872 (1872年11月13日の洪水時の水位) 出典:Wikipedia |
![]() |
|
第二次世界大戦以前の古い町並み (11:07) "聖ペーター教会"は現在、修復工事中でシートで覆われているが、そのシートには、"神の目" が描かれており、神は人々を常に見守っていることを示唆している。 「東北東」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
第二次世界大戦以前の古い町並み (11:07) "聖ペーター教会"は現在、リューベック大学の教会になっている。 ペーターはキリストの十二使徒の一人で、ペトロと同義語。 カトリック教会ではペトロを初代のローマ教皇とみなしている。 「東北東」MAPLay. B ![]() 有名な話 最後の晩餐のあと、キリストはペトロに「あなたは鶏が鳴く前に3度、私を知らないというだろう」と予言し、ペトロは「絶対にありえない」と否定するが、翌日キリストが連行され、ペトロがその様子をうかがっていると、周囲から「おまえもキリストの弟子だろう」と詰め寄られると「違う」と否認してしまう。 ペトロは再三問われ、3度目に否認した直後、鶏が雄たけびを上げ、その声を聞いてペトロはキリストの予言を思い出し、涙にくれる。 最期は、ローマへ宣教し、ネロ帝の迫害下で逆さ十字架にかけられて殉教したとされている。 (ペトロは、ドイツ語でペーター、ギリシア語でペテロ、英語でピーター、フランス語でビエール、イタリア語でピエトロ と呼ばれている。) |
|
![]() |
|
劇場人形博物館 [Theater Figuren Museum] (11:08) この辺りの建物の壁材は、赤色砂岩が使われている。 「南東」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
劇場人形博物館 [Theater Figuren Museum] (11:08) リューベックではレンガの製造が盛んで、特産品になっている。 南ドイツやデンマークなどへ今でも輸出している。 「南南東」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
劇場人形博物館 [Theater Figuren Museum] (11:09) 手前のピノキオが飾られている所が人形博物館、その向こうのドラゴンが飾られている所が劇場。 「南」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
人形博物館 [Figuren Museum] (11:09) 「南」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
第二次世界大戦以前の古い町並み (11:10) この辺りは、戦災を免れている。 「西南西」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
コルク通り [Kolk] (11:11) 戦災を免れた、第二次世界大戦以前の古い町並み。 「南南東」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
コルク通り [Kolk] (11:11) 「南」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
ホルステン通り [Holstenstraße] (11:11) 「西」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
ホルステン通り [Holstenstraße] (11:12) 「西」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
リューベック市庁舎 [Lübecker Rathaus] とマルクと広場 (11:16) リューベックはハンザ同盟を構成する100都市の中心的な都市であった。 ハンザ同盟は、バルト海沿岸とヨーロッパ北部地域の商人組合によって設立された商業団体である。 13世紀から15世紀にかけて、参加地域の海運経済圏を支配し、同盟都市に多大な富をもたらした。 この場所に最初に市庁舎がつくられたのは1158年から翌1159年にかけてであるが、現在の市庁舎の原型となる増築が始まったのは1226年からで、後期ロマネスク様式をもちいて始められた。 3棟の建物が並んだ市庁舎は、織物の取引所や屋内市場しての役目を果たしていた。 高い切妻は釉を塗った黒レンガで造られ、隣接する建物の最上層と結合している。 鋭い尖塔と、風を通す丸い穴が特徴的。 (マルクト広場では、スポーツイベントが行われていた。) 「東北東」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
リューベック市庁舎 [Lübecker Rathaus] とマルクと広場 (11:17) マルクト広場では、スポーツイベントが行われていた。 「東北東」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
リューベック地図のジオラマ (11:18) リューベックは6ヶ所に教会があり、2つの塔を持つ教会が2ヶ所、1つの塔を持つ教会が3ヶ所、塔を持たない教会が1ヶ所あることから、7つの塔の街とも呼ばれている。 それぞれハンザの時代から職業ごとに役割が分かれており、聖マリア教会は議員や商人、聖ヤコブ教会は船乗り、聖エギーディエン教会は職人、聖ペトリ教会は漁師のための教会であった。 因みに、聖マリア教会 (聖マリエン教会) は、司教座教会の大聖堂に対抗して市民の寄付によって立てられた教会で、商人の力が強大であった事が窺える。 (↓) (この街、全体が1987年ユネスコの世界文化遺産に登録されている。) 「南西」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
出典:地理誌叢 Vol.54 No. 1 pp.17~23 (2012―12) |
|
![]() |
|
リューベック市庁舎 [Lübecker Rathaus] とマルクト広場 [Markt] (11:20) この場所に最初に市庁舎がつくられたのは1158年から翌1159年にかけてだが、リューベックは1226年に、神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世によっ て帝国自由都市として認可され、その後、市庁舎の大部分が改造され現在の市庁舎の原型となった。 13世紀には南側の破風や風を通すための大きな丸穴がある壁がつくられ、14世紀にはファザードがつくられた。今日のゴシック様式の建物の原型ができあがったのは15世紀半ばで、16世紀末には外階段などのルネサンス様式の装飾が追加された。 現在でもリューベック市議会はこの市庁舎で開かれている。 「東南東」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
リューベック市庁舎 [Lübecker Rathaus] (11:20) 市庁舎には、左 (北) の白い壁面の建物と右 (東) のレンガ造りの建物が含まれる。 設計は、ハンス・ヘンドリック・ヴァン・パエッシェン [Hans Hendrik van Paesschen] 。 「東北東」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
リューベック市庁舎 [Lübecker Rathaus] とマルクト広場 [Markt] (11:20) 左の黒みがかった建物 (市庁舎) の上部 4 階部分に開いている穴は、バルト海から吹き抜ける強風を通すための風穴で、一見 4 階建てにみえるこの建物は、実際には 2 階建て。 3 階と 4 階にみえる部分は 1 枚の壁からなる単なる装飾であり、その後ろには何もない。 (↓) このような装飾は、町の権力を誇示する目的で、大きく見せかけていた。 この建築様式は、リューベックで最初に用いられ、ここからバルト海沿岸の都市に広まっていった。 つまり、リューベック市庁舎は、ハンザ都市に特有の都市景観を創り出す建築物のルーツであると言える。 「南東」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
出典:Google Map | |
![]() |
![]() |
マリエン教会の屋根から撮影された市庁舎 出典:Wikipedia |
工事やイベントが行われていない時の市庁舎の様子 出典:Wikipedia |
![]() |
|
リューベック市庁舎 [Lübecker Rathaus] とマルクト広場 [Markt] (11:22) 市庁舎の一部は現在工事中。 「北東」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
ニーダーエッガー [Niederegger] の本店 (11:40) 13世紀から続く老舗、リューベックの名物マジパン (マルチパン) [Marzipan] の店。 MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
ニーダーエッガー [Niederegger] の本店 (11:41) 13世紀から続く老舗、リューベックの名物マジパン (マルチパン) [Marzipan] の店。 「東南東」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
ニーダーエッガー [Niederegger] の本店 (11:41) 13世紀から続く老舗、リューベックの名物マジパン (マルチパン) [Marzipan] の店。 「東南東」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
ニーダーエッガー [Niederegger] の本店 (11:42) 13世紀から続く老舗、リューベックの名物マジパン (マルチパン) [Marzipan] の店。 「南東」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
ブライテ通り [Breite Str.] から見るリューベック市庁舎 [Lübecker Rathaus] (11:50) 中央やや左手に、1586年に建てられた出窓がある。 繁栄の時代には、リューベックの商人は自分たちの市庁舎を美しく飾った。 出窓はリューベックの双頭鷲とハンザ同盟の赤 - 白の盾で飾られいる。 (↓) 「北北西」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
出典:Wikimedia Commons |
|
![]() |
|
ブライテ通り [Breite Str.] から見るリューベック市庁舎 [Lübecker Rathaus] (11:50) 中央やや左手に、 1594年、彫刻家ロバートコッペン [Robert Coppens] によって建てられたオランダ様式のルネッサンスの階段がある。 (↓) 「南西」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
出典:Wikimedia Commons |
|
![]() |
|
ブライテ通り [Breite Str.] から見るリューベック市庁舎 [Lübecker Rathaus] (11:51) 「南南西」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
ブライテ通り [Breite Str.] (11:51) 「北北西」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
ブライテ通り [Breite Str.] から見るリューベック市庁舎 [Lübecker Rathaus] (11:51) 写真の左手に、通りに迫り出したヴォールトのあるところは、市庁舎の正面玄関で、嘗て、ヴォールトの上には上院が市民に話しかける為の「上院バルコニー」があった。 しかし、20世紀に改築され、現在は無くなっている。 (↓) 「南西」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
![]() |
1910年頃の写真 ヴォールトの上には「上院バルコニー」があった。 出典:Wikipedia |
現在の写真 ヴォールトの上にはバルコニーはなく、屋根のみになっている。 |
![]() |
|
ブライテ通り [Breite Str.] から見るリューベック市庁舎 [Lübecker Rathaus] (11:52) リューベックは1226年に、神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世によって帝国自由都市として認可され、その結果、「リューベック法」で知られている成文法がハンザ同盟により採択された。 その後、市庁舎の大部分が改造された。 1298年にロング・ホールが増築され、1442年にはゴシック様式の客殿つまり、謁見館が建てられた。 この建物は18世紀にもロココ調に模様替えされている。 最後の大掛かりな増築は、ドイツ・ルネサンス様式の石灰岩を使った優美な建物で、1570年頃にブライテ通りに面した謁見館の翼部に建てられた。 「南西」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
ブライテ通り [Breite Str.] から見るリューベック市庁舎 [Lübecker Rathaus] (11:52) この市庁舎の壁を形づくっている煉瓦の色は離れると赤紫がかった黒色のようにみえるが、近づくと黒みがかった緑色に見える。 リューベック周辺では石材が手に入りにくく、その一方で粘土質の土が豊富であったため、煉瓦が豊富に作られていた。 市庁舎の壁に使われているレンガは、牛 (動物) の血に塩を混ぜた液体に煉瓦を漬け込み焼いたため、このような色になっている。 1230年頃からこのような手法が使われた。 「南西」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
左はブライテ通り [Breite Str.] 、右はメング通り [Mengstraße] (11:55) ブライテ通りからメング通りへ向かう。 「南西」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
メング通り [Mengstraße] (11:56) 左の建物は、司教座教会の大聖堂に対抗し市民の寄付で建てた、聖マリア教会 (聖マリエン教会) 。 すぐ右横の白い建物は、ブッデンブロークハウス [Buddenbrookhaus] 。 「西南西」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
ブッデンブロークハウス [Buddenbrookhaus] (11:56) リューベックの生んだ文豪卜ーマス・マンの祖父母の家で、 1841~1914年までマン家の所有だった。 少年時代の卜ーマスは4歳年上の作家ハインリヒとともに頻繁に訪れていたという。 戦争で前壁と地下室を残して破壊されたが、1993年からはマン兄弟記念館 [Heinrich und Thomas Mann-Zentrum] として、マン家の人々ゆかりの品が数多く展示されている。 マンの一族は由緒あるリューベックの豪商で、この家を舞台に商人一族の興亡を描いた名作「ブッテンブローク家の人々」で、卜ーマス・マンはノーベル文学賞を受賞している。 ちなみに、トーマス・マンの生家は、 ここからほど近いBreite Str. 38番地 (MAP) 。 「北北西」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
ブッデンブロークハウス [Buddenbrookhaus] (11:56) この記念館が開館される際、日本人のファンが本を寄贈したと言われている。 「北東」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
聖マリア教会 (聖マリエン教会) [Marienkirche] (11:57) 司教座教会の大聖堂に対抗し市民の寄付で建てた、聖マリア教会 (聖マリエン教会) 。 塔の高さは125mもあり、リューベックで1番大きな教会建物。 建物および建造物は1350年に完成した、14世紀のレンガゴシック教会。 「南」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
聖マリア教会 (聖マリエン教会) [Marienkirche] (11:58) 中央に見える二つの尖塔は、聖マリエン (マリア) 教会 [Marien Kirche] 。 1250〜1350年にハンザ同盟の商人が建てたゴシック様式の教会で、北ドイツで最も美しく、レンガ造りの建物としては最大級。 この教会で最も有名なのが、8512本のパイプを持つ世界最大級のパイプオルガンで夏にはコンサー 卜も開かれる。 嘗て、巨匠ブクステフーデが専属オルガニストを務 めていた教会で、バッハ [Johann Sebastian Bach] が青年時代に、遠路はるばるこのオルガンを聴きに訪れたというエピソードが残っている。 「南」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
メング通り [Mengstraße] (11:59) ブレーメンと同じ造りの建物が並ぶ通り。 「西北西」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
メング通り [Mengstraße] (12:01) シャブリハウス [Schabbelhaus] と書かれた看板のある建物は、レストラン。 「西北西」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
シャブリハウス [Schabbelhaus] (12:01) 馬に乗った飾りのある看板の店は、シャブリ [Schabbel] と言う家族が経営するレストラン。 「西南西」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
メング通りにある "赤ちゃんポスト" (12:03) カトリックでは中絶が出来ないため、やむを得ず育てられない赤ちゃんはここに託される。 "Geben Sie lhr Kind in gute Hände." (あなたの子供を差し伸べる救いの手に託しなさい。) 「西北西」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
メング通りにある "赤ちゃんポスト" (12:04) "BABYKLAPPE" (赤ちゃんフラップ) ここを開けると鈴が鳴り、直ぐに係の人が駆けつけてくれる。 因みに、ドイツでは、犬、猫などのペット用のポストもあるとのこと。 「北西」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
"BEWAHRT DURCH LIEBE" (12:04) (愛によって保護されている) ここ10年で、14名の赤ちゃんが託されたそうです。 このような赤ちゃんポストは、この街だけではなく、大きな街に行くと、相当数あるとのこと。 費用は都市の税金で賄われている。 ドイツは今でもナチス時代からの、優生思想が残っており、一定基準以上 (高学歴、高収入など) の男性の精子が売買されている。 ドイツでは今、それが問題になっている。 「東北東」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
ワイン商 カール・テスドルフ [Carl Tesdorpf] (12:04) リューベックでは、今日に至るまで「ロートスポン」 [Rotspon] の伝統が受け継がれ、フランスワインをドイツで熟成、ボトリングした、現代版「ロートスポン」をリリースしている。 創業1678年のリューベック最古の現役ワイン商。 「北北西」MAPLay. B ![]() ロートスポンの歴史 リューベックの名物赤ワイン "ロートスポン" [Rotspon] は、赤い木樽という意味。 リューベックは、ハンザ同盟が13世紀に設立されたときの豊かな貿易の町で、特にフランスとの間で塩の貿易が盛に行われていた。 塩はニシンの保存など、防腐剤としてフランス人にとって重要であった。 ある日、近郊のリューネブルク (MAP) で採れた塩をリューベックの帆船がフランスのボルドー (MAP) へ運び、帰りに空になった樽にボルドー産のワインを詰めて持ち帰った。 後日、樽を開けてみると、元のボルドーワインよりも美味しくなっていた事に気づく。 この事実が徐々に知れ渡り、後に世界中で知られるようになった。 今ではリューベック特有のワインとして名物になっている。 恐らく、樽に付着していた塩が、ワインの味 (熟成?) に影響を及ぼしたものと思われる。 今は、ステンレス製容器でフランス産ワインを輸入し、リューベックでロートスポンに加工生産している。 (リューベックではブドウ栽培は行われていない。) |
|
![]() |
|
メング通り [Mengstraße] (12:05) 「東南東」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
メング通り [Mengstraße] (12:06) 「東南東」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
アン・デア・ウンタートラーヴェ [An der Untertrave] 通り (12:07) リューベックの旧市街通りで、トラーヴェ [Trave] 川に沿って走る海岸道路。 左の建物は、Finder's Café 。 「南南東」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
![]() |
Finder's Café (12:07) 1569 年から文化財に指定されている建造物。 3本の石柱は遺跡の柱を再利用している。 白い柱は後付けされた金属製の柱で、倒壊を防ぐための補強柱。 リューベックの街はトラーヴェ川の中州に建っているため、地盤沈下を起こしやすい。 「北」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
アン・デア・ウンタートラーヴェ [An der Untertrave] 通り (12:07) 「南南東」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
アルフ通り [Alfstraße] (12:08) 奥に見えている2の尖塔は、聖マリア教会 (聖マリエン教会) [Marienkirche] 。 左の建物は、ホテル アノ 1216 [HOTEL ANNO 1216] 。 「東」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
ホテル アノ 1216 [HOTEL ANNO 1216] (12:09) 創業1216年、著名な切妻屋根があり、一流の文化財となっているホテル。 何世紀にもわたる芸術的なスタイルを反映し、よく保存された特徴は、リューベックの歴史を深く掘り下げることを可能にしている。 建物は、2011年に "Hotel Anno 1216" に改装され、 2013年に歴史的建造物の保存に関する職人技で、全国賞を受賞している。 「北東」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
ホテル アノ 1216 [HOTEL ANNO 1216] (12:09) 政府要人とかVIPが訪れたときは、このホテルが利用される。 過去に、チャールズ皇太子やデンマーク国王が泊まっている。 「北東」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
フィッシュ通り [Fischstraße] (12:10) 奥に見えている2の尖塔は、聖マリア教会 (聖マリエン教会) [Marienkirche] 。 「東」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
ホルステン通り [Holstenstraße] (12:12) 旧市街の見学が終わり、再びホルステン門へ。 「西南西」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
ホルステン通り [Holstenstraße] (12:13) 旧市街の見学が終わり、再びホルステン門へ。 「西南西」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
ホルステン通り [Holstenstraße] (12:13) 旧市街の見学が終わり、再びホルステン門へ。 「西南西」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
ヴァル通り [Wallstraße] (12:16) ここでバスに乗車し、シュベリーン [Schwerin] (MAP) へ向かう。 「東北東」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
リューベック大聖堂 [Dom zu Lübeck] (車窓から) (12:20) 中央の2つの尖塔は、リューベック大聖堂。 「東南東」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
トラーヴェ川越しに見るリューベックの街 (車窓から) (12:21) 「北東」MAPLay. B ![]() |
|
![]() |
|
リューベック大聖堂 [Dom zu Lübeck] (車窓から) (12:22) 中央の2つの尖塔は、リューベック大聖堂。 大聖堂は1230年に創建され、リューベックの旧市街地の南端にある。 塔の高さは115mで、外観はレンガ造り。 「北西」MAPLay. B ![]() |
シュヴェリーン [Schwerin] シュヴェリーンは、ドイツ連邦共和国の都市。 メクレンブルク=フォアポンメルン州の州都。 旧東独圏である。人口は約96,000人。 「七つの湖の街」とも称され、周辺を多くの淡水湖に囲まれている。 その最大のものがシュヴェリーン湖であり、観光客も多く訪れる。 交通の要所に位置しており、農作物の集散地として重要な役割を果たした。 また、第二次世界大戦後の東ドイツ政権下で工業化が進められた。 シュヴェリーン城 [Schweriner Schloss] シュヴェリーン城は、シュヴェリーン市内のシュヴェリーン湖 [Schweriner See] (MAP) にある島の上に建てられており、別名、"北のノイシュヴァンシュタイン城" [Neuschwanstein des Nordens] や "おとぎ話の城" [Märchenschloss] とも呼ばれる。 現在の宮殿の主要部分は、1845年から1857年にかけて、有名な建築家ゴットフリート・ゼンパー [Gottfried Semper] 、フリードリヒ・オーギュスト・シュテューラー [Friedrich August Stüler] 、ゲオルグ・アドルフ・デムラー [Georg Adolf Demmler] 、エルンスト・フリードリヒ・ツヴィルナー [Ernst Friedrich Zwirner] の協力のもとに建設された。 この城はヨーロッパで最も重要な歴史主義建築作品の1つと考えられ、2015年1月に世界遺産の暫定リストに記載された。 (現時点では、世界遺産に登録されていない。) 何代にもわたって、メクレンブルク (後のメクレンブルク=シュヴェリーン) 大公・公爵の宮殿であった。 今日では、建物の一部がメクレンブルク=フォアポンメルン州議会の議場となっている。 ![]() |
|
![]() |
|
シュヴェリーン城 [Schweriner Schloss] (車窓から) (13:32) グラーフ・シャック・アレー [Graf Schack Allee] 通りからの眺め。 「東南東」MAPLay. C ![]() |
|
![]() |
![]() |
昼食のレストラン (13:49-14:16) MAPLay. C ![]() |
|
![]() |
|
昼食のレストラン "Alt Schweriner Schankstuben" (古いシュベリーンの居酒屋) (14:37) 「東」MAPLay. C ![]() |
|
![]() |
|
シュヴェリーンの肉屋市場 [Schweriner Schlachtermarktes] (14:37) 右手にあるレンガ造りの建物が、昼食のレストラン "Alt Schweriner Schankstuben"。 「北北東」MAPLay. C ![]() |
|
![]() |
|
シュヴェリーンの肉屋市場 [Schweriner Schlachtermarktes] (14:38) 彫刻家ステファン・ホロタ [Stephan Horota] によってデザインされた噴水「Brunnen von "Herrn Pastorn sin Kauh"」。 円柱の上に牛の銅像があり、その周りは、曲 "Herrn Pastor sien Kauh" のシーンを表した円形の青銅レリーフで飾られており、レリーフは牧師と様々な村人を示している。 Mr. Pastor sien Kauh は Rundgesang (輪唱) としても歌われている低地ドイツ民謡。 内容は牧師が飼っていた雌牛の死に纏わる事柄が歌われている。 雌牛はイースターまで元気で幸せに暮らしていたが、ペンテコステ [Pentecostes] の日に、何の前触れも無く、牛小屋で死んでいた。 その雌牛は直ぐに解体され、肉は村民に分配された。 この出来事に対する村民達の様々な思いが、歌となっている。 (YouTube) 「北」MAPLay. C ![]() |
|
![]() |
|
右側の通りは、リッター通り [Ritterstraße] (14:41) 昼食を済ませ、シュベリーン城へ向かう。 「南東」MAPLay. C ![]() |
|
![]() |
|
リッター通り [Ritterstraße] (14:41) シュベリーン城へ向かう。 「南南西」MAPLay. C ![]() |
|
![]() |
|
工事中の州首相府 [State Chancellery] (14:43) シュヴェリーンは、メクレンブルク=フォアポンメルン州の州都。 バルト海の交易で富を築いたと言うことで、ギリシャ神話の海の神 "ポセイドン" が、中央の屋根の上に飾られている。 玄関の右手に立っている3本の旗は、左から欧州連合 (EU) の旗、ドイツの国旗、州の旗となっている。 「南西」MAPLay. C ![]() |
|
![]() |
|
シュロス通り [Schloßstraße] (14:43) 正面に見えてきたのは、シュヴェリーン城 [Schweriner Schloss] 。 通りに石畳が残っている地域は、戦争で被害を受けていない地域。 右の工事中の建物は、州首相府 [State Chancellery] 。 工事が行われていない時の写真。 (↓) 「南東」MAPLay. C ![]() |
|
![]() |
|
州首相府 [State Chancellery] 写真出典:Googleマップ |
|
![]() |
|
シュヴェリーン城 [Schweriner Schloss] (14:48) 973年には、シュヴェリーンの大きな湖にある島には、オボトリト人のPolabian Slav部族の砦があったという記録が残っており、恐らく、この跡地にシュヴェリーン城が建っているものと思われる。 現在の宮殿の主要部分は、1845年から1857年にかけて、有名な建築家4名:ゴットフリート・ゼンパー [Gottfried Semper] 、フリードリヒ・オーギュスト・シュテューラー [Friedrich August Stüler] 、ジョージ・アドルフ・デムラー [Georg Adolf Demmler] 、エルンスト・フリードリヒ・ツヴィルナー [Ernst Friedrich Zwirner] の協力のもとに建設された。 「南東」MAPLay. C ![]() (参考) 日本語ではどちらも城と訳される、Schloss と Burg の違い。 Schloss(シュロス) - 主に住居で、貴族が家族と一緒に住んでいた建物 (宮殿)。 城の壁はそれほど厚くないことが多い。 Burg (ブルク) - 要塞で、敵の攻撃から町や住民を守るため、厚い壁で囲まれていた。 中世において重要であった。 |
|
![]() |
|
シュヴェリーン城 [Schweriner Schloss] (14:48) 中央の騎馬像は、クリスチャン・ゲンショフ [Christian Genschow] 作、メクレンブルク家の父祖、オボトリト [Obotrite] 族長ニクロト [Niklot] (1090 - 1160)の像。 シュヴェリーン城は、何代にもわたって、メクレンブルク (後のメクレンブルク=シュヴェリーン) 大公・公爵の宮殿であった。 今日では、メクレンブルク=フォアポンメルン州議会の議場となっている。 「東南東」MAPLay. C ![]() |
|
![]() |
|
Sculpture in the Burggarten ①The Female Goatherd ②Allegory of Water ③Memorial Stone to Grand Duchess Auguste ④Victory ⑤Sundial ⑥Heracles Subduing the Cretan Bull ⑦Shepherd Attacked by Panther ⑧David with the head of Goliath ⑨Memorial to Grand Duke Paul Friedrich ⑩Obotrites Harnessing Their War-Horses 出典:入場パンフレット |
Overview of the most important parts of the building![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
![]() |
|
レンネー通り [Lennéstraße] (14:48) 中央やや右手に青い幟旗が立っている建物は、シュヴェリーン州立博物館 [Staatliches Museum Schwerin] 。 「北」MAPLay. C ![]() |
|
![]() |
|
シュロスガーテン (城の庭) [Schlossgarten] (14:55) 「北」MAPLay. C ![]() |
|
![]() |
|
シュヴェリーン湖 [Schweriner See] (14:55) 「南東」MAPLay. C ![]() |
|
![]() |
|
シュロスガーテン (城の庭) [Schlossgarten] (14:56) 「北北西」MAPLay. C ![]() |
|
![]() |
|
シュロスガーテン (城の庭) [Schlossgarten] (14:56) 「東南東」MAPLay. C ![]() |
|
![]() |
|
シュロスガーテン (城の庭) [Schlossgarten] (14:57) 「北」MAPLay. C ![]() |
|
![]() |
|
シュロス・ガーテン (城の庭) [Schlossgarten] (14:57) 右手のガラス窓に鋳鉄格子のある建物は、オランジェリー [Orangery]* 。 「北北西」MAPLay. C ![]() * オレンジ [Orange] の育つ場所から温室を意味する。 |
|
![]() |
|
オランジェリーの中庭 [Orangery Court] (14:58) 「西北西」MAPLay. C ![]() |
|
![]() |
![]() |
オランジェリーの中庭 [Orangery Court] (14:59) 「北北西」MAPLay. C ![]() |
|
![]() |
|
オランジェリー [Orangery] (15:00) ガラス窓に鋳鉄格子のある部屋は、オランジェリー [Orangery]* 。 「北西」MAPLay. C ![]() * オレンジ [Orange] の育つ場所から温室を意味する。 |
|
![]() |
|
オランジェリー [Orangery] (15:00) 「北西」MAPLay. C ![]() |
|
![]() |
|
オランジェリー [Orangery] (15:00) 「北北東」MAPLay. C ![]() |
|
![]() |
|
オランジェリーの中庭 [Orangery Court] (15:01) 「北北東」MAPLay. C ![]() |
|
![]() |
|
オランジェリーの中庭 [Orangery Court] (15:01) 「北」MAPLay. C ![]() |
|
![]() |
|
オランジェリーの中庭 [Orangery Court] (15:01) 列柱 (コロネード) [Colonnade] 上の遊歩道には、ヘラクレスがクレータの牡牛を捕獲する様子を表した、"Heracles Subduing the Cretan Bull" の彫刻がある。 「東北東」MAPLay. C ![]() |
|
![]() |
|
列柱 (コロネード) [Colonnade] 上の遊歩道からの眺め (15:02) 「北北西」MAPLay. C ![]() |
|
![]() |
|
列柱 (コロネード) [Colonnade] 上の遊歩道からの眺め (15:02) 「北北西」MAPLay. C ![]() |
|
![]() |
|
列柱 (コロネード) [Colonnade] 上の遊歩道からの眺め (15:02) 「西北西」MAPLay. C ![]() |
|
![]() |
|
庭園を巡る遊歩道 (15:03) 「西北西」MAPLay. C ![]() |
|
![]() |
|
庭園を巡る遊歩道 (15:04) 「南東」MAPLay. C ![]() |
|
![]() |
|
庭園を巡る遊歩道からの眺め (15:04) 左端手前の石像は、日時計 [Sundial] 。 「東南東」MAPLay. C ![]() |
|
![]() |
|
庭園を巡る遊歩道 (15:04) 白い石像は、勝利の女神 [Victoria] 。 「東南東」MAPLay. C ![]() |
|
![]() |
|
庭園を巡る遊歩道 (15:05) 「北北東」MAPLay. C ![]() |
|
![]() |
|
大公妃オーギュストへの記念石 [Memorial Stone to Grand Duchess Auguste] (15:07) プリンセスオーガスタロイス、ジュニアライン (オーギュストロイス、1822年5月26日 - 1862年3月3日) は、メクレンブルクシュヴェリン大公、フレデリックフランシス2世の最初の配偶者として、メクレンブルクシュヴェリン大公夫人だった。 「北」MAPLay. C ![]() |
|
![]() |
|
庭園を巡る遊歩道 (15:07) この遊歩道の下に人工洞窟がある。 「西」MAPLay. C ![]() |
|
![]() |
|
庭園を巡る遊歩道 (15:08) この遊歩道の下に人工洞窟がある。 「西」MAPLay. C ![]() |
|
![]() |
|
大公妃オーギュストへの記念石 [Memorial Stone to Grand Duchess Auguste] (15:08) プリンセスオーガスタロイス、ジュニアライン (オーギュストロイス、1822年5月26日 - 1862年3月3日) は、メクレンブルクシュヴェリン大公、フレデリックフランシス2世の最初の配偶者として、メクレンブルクシュヴェリン大公夫人だった。 「北北西」MAPLay. C ![]() |
|
![]() |
|
シュロスガーテン (城の庭) [Schlossgarten] (15:09) 「西南西」MAPLay. C ![]() |
|
![]() |
![]() |
(15:10) | (15:11) |
![]() |
![]() |
人工洞窟 [Artificial Grotto] (15:11) 城の最下階からシュヴェリーン湖に続く人工洞窟。 MAPLay. C ![]() |
|
![]() |
|
人工洞窟 [Artificial Grotto] (15:12) 右手の石組みは、人工洞窟で、その上は遊歩道になっている。 「西北西」MAPLay. C ![]() |
|
![]() |
|
列柱 (コロネード) [Colonnade] (15:12) オランジェリーの中庭 [Orangery Court] を取り囲んでいる列柱。 「南西」MAPLay. C ![]() |
|
![]() |
|
オランジェリーの中庭 [Orangery Court] への入口 (15:13) 入口は列柱 (コロネード) [Colonnade] によって構成されている。 「北西」MAPLay. C ![]() |
|
![]() |
|
シュロスガーテン (城の庭) [Schlossgarten] (15:14) 「北北西」MAPLay. C ![]() |
|
![]() |
|
シュヴェリーン城 [Schweriner Schloss] (15:15) 「北北西」MAPLay. C ![]() |
|
![]() |
|
シュロスガーテン翼 (棟) [Schlossgarten Wing] 前の広場 (15:16) 前方の湖は城湖 [Burgsee] で、それに沿って走る道は、レンネー通り [Lennéstraße] 。 (注意) 城湖 [Burgsee] と シュヴェリナー湖 [Schweriner See] は繫がっているが、シュロス島 [Schlossinsel] に架かる2つの橋を境にして西側を [Burgsee] 、東側を[Schweriner See] と呼んでいる。 「西北西」MAPLay. C ![]() |
|
![]() |
|
シュロスガーテン翼 (棟) [Schlossgarten Wing] (15:19) シュヴェリーン城は、何代にもわたって、メクレンブルク (後のメクレンブルク=シュヴェリーン) 大公・公爵の宮殿であった。 今日では、メクレンブルク=フォアポンメルン州議会が一部、議場として使用している。 (↓) 「東北東」MAPLay. C ![]() |
|
![]() |
![]() |
州議会 [Landtag] 着色部の上階、3フロアーを使用している。 出典 |
|
![]() |
|
シュロスガーテン翼 (棟) [Schlossgarten Wing] (15:20) シュヴェリーン城は、何代にもわたって、メクレンブルク (後のメクレンブルク=シュヴェリーン) 大公・公爵の宮殿であった。 今日では、メクレンブルク=フォアポンメルン州議会が一部、議場として使用している。 (↑) 「東北東」MAPLay. C ![]() |
|
![]() |
|
ブルク湖翼 (棟) [Burgsee Wing] (15:22) 右の建物はブルク湖翼 (棟) で、メクレンブルク=フォアポンメルン州議会 [Landtag Mecklenburg-Vorpommern] が一部使用している。 「北東」MAPLay. C ![]() |
|
![]() |
|
ブルク湖 [Burgsee] (15:22) 「北北西」MAPLay. C ![]() |
|
![]() |
|
ブルク湖 [Burgsee] と レンネー通り [Lennéstraße] (15:22) パノラマ写真 |
|
![]() |
|
ブルク湖 [Burgsee] と レンネー通り [Lennéstraße] (15:22) 「北」MAPLay. C ![]() |
|
![]() |
|
シュロス橋 [Schlossbrücke] から見るシュヴェリーン城 [Schweriner Schloss] (15:25) 「南東」MAPLay. C ![]() |
|
![]() |
|
シュロス橋 [Schlossbrücke] から見るシュヴェリーン城 [Schweriner Schloss] (15:25) 「南東」MAPLay. C ![]() |
|
![]() |
|
シュロス橋 [Schlossbrücke] から見るシュロス通り [Schloßstraße] (15:25) 橋の袂の欄干飾りは、ハーネスを装着した "Obotrites" の軍馬 [Obotrites Harnessing Their War-Horses] 。 「西北西」MAPLay. C ![]() |
|
![]() |
|
シュロス橋 [Schlossbrücke] の袂にて (15:29) 欄干飾りは、ハーネスを装着した "Obotrites" の軍馬 [Obotrites Harnessing Their War-Horses] 。 右後方に見えるのは、シュヴェリーン城 [Schweriner Schloss] 。 「東南東」MAPLay. C ![]() |
|
![]() |
![]() |
シュロス橋 [Schlossbrücke] にて (15:29) 「南東」MAPLay. C ![]() |
|
![]() |
|
シュロス橋 [Schlossbrücke] と シュヴェリーン城 [Schweriner Schloss] (15:30) 「南南東」MAPLay. C ![]() |
|
![]() |
|
シュヴェリーン城とシュロス橋 (15:31) ヴェルダー通り [Werderstraße] からの眺め。 「南南西」MAPLay. C ![]() |
|
![]() |
|
シュヴェリーン城とシュロス橋 (15:31) パノラマ写真 |
|
![]() |
|
シュヴェリーン城とシュロス橋 (15:31) ヴェルダー通り [Werderstraße] からの眺め。 「南」MAPLay. C ![]() |
|
![]() |
|
シュヴェリーン湖 [Schweriner See] と シュヴェリーン城 (15:31) ヴェルダー通り [Werderstraße] からの眺め。 「南東」MAPLay. C ![]() |
|
![]() |
|
シュヴェリーン湖 [Schweriner See] と シュヴェリーン城 (15:31) パノラマ写真 |
|
![]() |
|
シュヴェリーン湖 [Schweriner See] と シュヴェリーン城 (15:31) ヴェルダー通り [Werderstraße] からの眺め。 「東北東」MAPLay. C ![]() |
|
![]() |
|
シュヴェリーン湖 [Schweriner See] と シュヴェリーン城 (15:31) パノラマ写真 |
|
![]() |
|
シュヴェリーン州立博物館 [Staatliches Museum Schwerin] (15:31) 「北北東」MAPLay. C ![]() |
|
![]() |
|
シュヴェリーン湖 [Schweriner See] と シュヴェリーン城 (15:31) ヴェルダー通り [Werderstraße] からの眺め。 「南東」MAPLay. C ![]() |
|
![]() |
|
シュヴェリーン湖 [Schweriner See] と シュヴェリーン城 (15:31-32) パノラマ写真 |
|
![]() |
|
シュヴェリーン湖 [Schweriner See] と シュヴェリーン城 (15:32) ヴェルダー通り [Werderstraße] からの眺め。 「南東」MAPLay. C ![]() |
|
![]() |
|
ヴェルダー通り [Werderstraße] にて (15:35) 「南東」MAPLay. C ![]() |
|
![]() |
|
ヴェルダー通り [Werderstraße] にて (15:35) 「南東」MAPLay. C ![]() |
|
![]() |
|
シュヴェリーン城 (左) 、シュロス橋 (中) 、ヴェルダー通り (右) (15:37) 「南西」MAPLay. C ![]() |
|
![]() |
|
ヴェルダー通りからの眺め (15:37) この後、ベルリン[Berlin] へ向かう。 「南」MAPLay. C ![]() |
|
![]() |
![]() |
Raststätte Prignitz West (17:09) サービスエリア・プリニッツウェストで小休止。 「西」MAPLay. C ![]() |
Raststätte Prignitz West (17:09) サービスエリア・プリニッツウェストで小休止。 「東北東」MAPLay. C ![]() |
![]() |
|
夕食のレストラン "Wirtshaus Alte Stadt-Mauer" (18:55) 「南」MAPLay. C ![]() |
|
![]() |
![]() |
(18:55) | (19:06) |
![]() |
![]() |
(19:09) | (19:21) |
![]() |
![]() |
(19:27) | (19:06) |
夕食のレストラン "Wirtshaus Alte Stadt-Mauer" この後、宿泊ホテル "Tryp by Wyndham Berlin City East" へ向かう。 MAPLay. C ![]() |
|
![]() |
|
宿泊ホテル "Tryp by Wyndham Berlin City East" (20:15) MAPLay. C ![]() |
|
![]() |
|
宿泊ホテル "Tryp by Wyndham Berlin City East" (20:16) MAPLay. C ![]() |
|
![]() |
|
宿泊ホテル "Tryp by Wyndham Berlin City East" (20:16) 「南西」MAPLay. C ![]() |
|
![]() |
|
宿泊ホテル "Tryp by Wyndham Berlin City East" (20:45) MAPLay. C ![]() |