ヒトラーが戦争後にやりたかった大事業
1939年9月1日、ヒトラー率いるドイツ軍がポーランドに侵攻し、その2日後にイギリスとフランスがドイツに宣戦布告をした。ここから、終戦まで5年以上におよぶ、泥沼の第2次世界大戦が勃発したのだ。
じつはヒトラーは、みずから仕掛けたこの戦争を、「始まり」と同じように電撃的に終わらせるというシナリオを描いていた。
事実、開戦から1年もたたないうちにデンマークやノルウエー、オランダ、ベルギー、そしてフランスを降伏させるという快進撃をみせている。
だが、なぜヒトラーはそんなに事を急いだのだろうか。
じつは、さっさと戦争を終わらせて、ほかに人生をかけて取り組みたい大事業があったからだ。
それは、世界首都「ゲルマニア」の建設だった。
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魅力あふれる都市づくりへの意欲
生前、ヒトラーは何度も「私は建築家になりたかった」と身近な人物に話している。
彼は一時期美術家を志しており、美術学校を受験したこともあった。受験は失敗したものの、美に対する興味が薄れることはなかったのだろう。スケッチがうまく、縮尺通りの断面図や見取り図を描く技術を持っていた。
そして、準備は着々と進められた。ヒトラーは、自分が雇った建築家など数人しか入ることのできない秘密の部屋をつくり、そこに、新しい都市の全体模型を完成させた。1936年当時のことである。
30メートルもあるメインストリートを擁したこのジオラマを、ヒトラーは飽きもせずに眺めていたという。
ヒトラーが思い描くゲルマニアは、単なるドイツの首都ではなく "世界の首都" にふさわしい大都市だった。
当時べルリンの人口は急速に増加しており、ヨーロッパ経済をリードしていたパリに次ぐ第2位につけていた。
そんな大都市でありながら、ベルリンの街にはパリのような魅力がなかった。シャンゼリゼ通りのような街路樹が美しいメインストリートもなければ、ナポレオンが建てた重厚な凱旋門もない。
だから、ヒトラーはベルリン市内のインフラや建物のほとんどを壊して、世界首都にふさわしい完全なる人工都市をつくりたかった。ありていに言えば、すべてを自分好みに変えて厳格に統制したかったのだ。
だが、もちろん国民の前でそんなことは言えない。 建設作業員には、「常に最大であらねばならない」「ドイツ人の自尊心を取り戻してやるためだ」「我々は劣っていない」とゲキを飛ばした。
世界首都の巨大模型
ヒトラーの言葉通り、完成予定のゲルマニアは何もかもが巨大だった。
まず、南北に延びるメインストリートの幅はシャンゼリゼ通りよりも20メートル広い120メートル、全長は5キロメートルとした。
そして、その通りにはオペラ劇場やコンサートホール、会議場、2万人を収容する大衆映画館、ベッド数が1500ある21皆建てのホテルなどが配置されることになつていた。
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メインストリートの南の出発点はガラス張りの中央駅だ。この駅には上下4層のプラットホームがあり、 その前には幅330メートルもある駅前広場が広がる。
そして、そこから800メートル先には、花崗岩でできた高さ117メートル、幅170メートル、奥行き119メートルの建造物がそびえたっていた。
ナポレオンの凱旋門ならぬ "ヒトラーの凱旋門" である。
ここには第1次世界大戦の犠牲者180万人の名前を刻む予定だった。
その凱旋門をくぐって大通りを北に進むと、パチカンのサン・ピエトロ大聖堂のようなドームを持つ建物が見えてくる。
これは、15万人を収容できる集会ホールで、直径250メートルのドームの下には柱のない3万8000平方メートルの空間が広がる。
そして、ドームの前の円形広場は「アドルフ・ヒトラー広場」と名づけられた。
近くには敷地面積が200万平方メートルの総統宮殿があり、一度に1000人が食事できる部屋や公式会見のための大サロンが8つ、400席の劇場がつくられる予定だった。
何もかもが、ヒトラーの征服欲を満足させるのにふさわしいつくりになっていたのだ。
永遠のオリンピックスタジアム
ゲルマニアの中には、40万人の観客を収容するスタジアムの建設も予定されていた。
高さ2メートルを超える模型も完成していて、内部の空間まで緻密につくり込まれ、スポットライトの光が当てられていた。
このような模型を眺めている時のヒトラーは、ふだんの寡黙な雰囲気から一変し、いつになく興奮した様子でしゃべったという。
そして、うわずった声でこう言った。
「1940年は東京でオリンピックが行われるが、その後は永久にこのスタジアムで開かれるのだ」
またある時は、「1950年には万国博覧会をやろう。それまで建物は空き家にしておいて、博覧会会場に使うのだ」と夢を語った。
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ヒトラーの自殺と敗戦で消える
夢の実現に向けて戦争中も工事は続けられた。1950年までに世界首都ゲルマニアを完成させて、世界にお披露目する予定だったのだ。
しかし、連合軍が100万の兵をノルマンディーに上陸させ、ドイツの支配からパリを解放すると、追い詰められたヒトラーは総統地下壕の一室で自殺する。
ドイツは敗戦国となり、ヒトラーの都市計画が実現することはなかったのだ。
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