ナポレオンの儀式 [Le Sacre de Napoléon]

2024年5月31日(金)10:00をもちましてURLは下記の通り変更になります。
https://arisada.wjg.jp/france/The_Coronation_of_Napoleon.html

1804年12月2日、パリ・ノートルダム大聖堂でナポレオンの戴冠式が行われた。 この式典にダヴィッドが招かれ、ナポレオンの母の上の席の左側でスケッチする姿が描かれている。 識別できる人物、百四十六名のリアリティにこだわったダヴィッドは、丹念なデッサンを描き、主な出席者の衣装を借り受け、全精力を傾けて完成させた。 臨場感を出すため空間は実際より縮小され、人物は等身大に描かれている。 右側前景の人物たちが影となっていて、左からの光を受けて輝く、中央のナポレオンを引き立てている。 ナポレオンや皇后ジョゼフィーヌの刺繡、サテンの布地や白テンの毛皮の質感、宝石の輝きなど、光の中の衣装・宝石が見事に描写されている。 戴冠式を機に、大聖堂の内陣は、トロンプ=ルイユ(だまし絵)で描かれた木の作りによって、新古典主義様式に改装され、補色の赤と緑の色彩が響きあう画面に壮麗な人々がずらりと並ぶ構図を、重厚な背景が安定感をもって支えている。 (ヴェルサイユ宮殿には、1815年以降亡命したダヴィッドがブリュッセルで制作した、この絵画の後期の複製が所蔵されている。)

1804年12月2日、 バリのノートルダム寺院で行われた儀式により、ナポレオン1世はフランスの皇帝となつた。 ローマ法王ピウス7世によって「聖別」のみを受けたナポレオンは、自らの手で月桂樹の冠を頭に載せている。 なぜ、教皇から冠を戴かなかったのかといえば、それは、この権力は神から授かったものではなく、国民から選ばれて皇帝になった事を示すためであった。 つまり、王と教会との、これまでの関係に終止符を打つためのデモンストレーションであった。 ところが、ナポレオンから、この時の、絵の依頼を受けたダヴイッドは、ナポレオンから妃ジョゼフィーヌへと冠を授けるシーンを描いた。 最近、ダヴイッドが描いたスケッチが見つかった。 そこに描かれていたイメージは、左手で剣を持ちながら右手で冠を掴み自分の頭上に翳すシーンだった。 (スケッチに描かれていた冠は、準備されていたカメオの王冠ではなく、妃ジョゼフィーヌへ授けるための冠に似ている。)
 一度はその構図で下絵も描いてみた。 しかしそうした異例の戴冠を後世に残すのは、果たしてナボレオンにとって (また天才画家である自分にとって) 良いことなのか? 教会に対するこの傲慢さは将来的にも許されるものか? 革命期の価値観の転変をつぶさに見てきた身としては、ローマ・カトリックへのあからさまな反逆を絵画化するのは危険に思えた。 こうして、ナポレオンの戴冠シーンは描かれず、皇帝による皇妃への戴冠の構図が決定された。 (この決定には、弟子フランソワ・ジェラールの助言があったと思われる。)

ナポレオンは身長も数十センチは嵩上げされ、肥満の影すらない、堂々たる美丈夫ぶりであり、その前に跪ずく年上の愛妻ジョゼフィーヌは、この時四十一歳で、実際よりも若く描かれている。 六十二歳のピウス七世は、白い法衣をまとい、ナポレオンのすぐ後ろに背を丸めて座っている。 右手の指の形*からこの場を祝福しているのがわかる。 とはいえ、この所作はダヴィッドの創作 (教皇はこれ以前からナポレオンと激しく対立していた) 。 スケッチを見れば分かるように、ピウス七世の両手は膝の上に置かれたままになっている。  もう一つの創作は、本当はここに居なかった人物を描いていることで、正面二階の貴賓席で微笑む、ナポレオンの母と左端に立っている兄のジョゼフ・ボナパルトは欠席していた。 また、ナポレオンの母の席のすぐ上階、斜め左、ひとりスケッチ帳を構え式次第をデッサン中のダヴィッド本人は、出席していたが、この席ではなかった。

人差し指と中指をかざす仕種は、「受胎告知」で聖母マリアの受胎を祝福する大天使ガブリエルと同じポーズ。


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