旅の栞(Holland,Belgium)
10月21日 (地図)
ハーグ [Den Haag] ~ アントワープ [Antwerp]
2024年5月31日(金)10:00をもちましてURLは下記の通り変更になります。
https://arisada.wjg.jp/olanda/newpage4.html
ハーグ [Den Haag] アムステルダムとロッテルダムに次ぐ北海に面したオランダ第3の都市で、正式名称はスフラーフェンハーヘ ['s-Gravenhage] ("伯爵の生け垣" を意味する) 。 国会議事堂や各国の大使館が集まる政治の中心都市で、事実上のオランダの首都である。 ベアトリス女王の宮殿もあることから、ロイヤルシティとも呼ばれている。 |
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宿泊ホテル メルキュール・デンハーグ・セントラル [Mercure Den Haag Centraal] (07:57) MAP A |
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ノールドアインデ宮殿 [Paleis Noordeinde] (08:21) 16世紀以降、何度も改築が施され、現在の姿となった。以前は司法機関の建物として使われていたが、現在はオランダ王室の執務宮殿となっている。 「西南西」MAP B |
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ノールドアインデ宮殿前に立つウィレム1世 [Willem I] の騎馬像 (08:21) ウィレム1世は、初代オランダ国王およびルクセンブルク大公。 かつて10ギルダー紙幣に肖像が使用されていた。 「北西」MAP B |
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平和宮 [Vredespaleis] (08:27) 1899年にデン・ハーグで行われた万国平和会議で、ハーグ陸戦条約が採択、アンドリュー・カーネギーの資金によって建設、1913年に完成した。 同宮殿には常設仲裁裁判所、国際司法裁判所、ハーグ国際法アカデミー、図書館、カーネギー財団がある。 尚、皇太子徳仁親王妃雅子さんの実父、小和田 恆 (おわだ ひさし) さんは2012年12月現在、国際司法裁判所判事として、ここで努めています。 「西南西」MAP C |
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平和宮 [Vredespaleis] (08:27) 花壇には、世界の平和を願う "May peace prevail on Earth" と書かれたポールが立っている。 「西南西」MAP C |
平和宮 [Vredespaleis] (08:30) 「西南西」MAP C |
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平和宮 [Vredespaleis] (08:31) 「西南西」MAP D |
平和宮 [Vredespaleis] (08:32) 「西南西」MAP D |
デルフト [Delft] デルフトブルーで知られる陶器で有名な町。 画家フェルメールの故郷としても知られるほか、独立戦争 (八十年戦争) の指導者ウィレム1世 [Willem I] が居を構えた地でもある。 |
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新教会 [Nieuwe Kerk] (08:57) 14世紀後半建造のゴシック様式の教会。 地下には ウィレム1世 [Willem I] の墓があり、その子孫である現オランダ王室の代々のメンバーも眠っている。 「北西」MAP E |
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マリア·ジェシー教会 [Maria van Jessekerk] (08:58) ネオゴシック様式 のローマカトリック 教区教会で、デルフト時代に建てられた。 「南東」MAP F |
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マルクト [Markt] 広場 (08:58) いわゆる、英語で市場を意味するマーケット [Market] のことで、ここで市が開かれていた。 「南西」MAP F |
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新教会 [Nieuwe Kerk] (08:58) 「北北東」MAP G |
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マルクト [Markt] 広場 (09:00) 中央にある建物は市庁舎 [Stadhuis] 。 13世紀の建物で、嘗ては牢獄であった。 「南西」MAP H |
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マルクト [Markt] 広場 (09:02) 写真の中央にある市庁舎 [Stadhuis] は、マルクト広場の南西部にあり新教会と向かい合っている。 「南西」MAP H |
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(09:04) 「北東」MAP I |
(09:06) 「北東」MAP J |
新教会 [Nieuwe Kerk] マルクト広場の北東部に高くそびえ立つ、町のシンボル。 |
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新教会 [Nieuwe Kerk] (09:07) 「北西」MAP K |
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デ・ポースレン・フレス [De Porceleyne Fles] (ロイヤル·デルフト) (09:34) 創業1653年、ロイヤルの冠をもつデルフト焼きの老舗。 17世紀から続く唯一の工房で、伝統的な手法を守っている。 「北西」MAP L |
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デ・ポースレン・フレス [De Porceleyne Fles] (ロイヤル·デルフト) (09:34) 博物館を併設しており、博物館の建物や中庭の一部は、見事な陶器で出来ている。 「西」MAP L |
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デ・ポースレン・フレス [De Porceleyne Fles] (ロイヤル·デルフト) (09:35) ショップも併設されており、すべてのコレクションが揃っている。 「北」MAP L |
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デ・ポースレン・フレス [De Porceleyne Fles] (ロイヤル·デルフト) (09:35) 併設されている博物館で、アンティーク・コレクションを観ることが出来る。 MAP M |
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(09:37) MAP M |
(09:40) MAP M |
デ・ポースレン・フレス [De Porceleyne Fles] (ロイヤル·デルフト) 絵付けの様子や陶器の出来るまでの工程を見ることができる。 |
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デ・ポースレン・フレス [De Porceleyne Fles] (ロイヤル·デルフト) (09:41) 「レンブラントの夜警」を原寸大で描いた、デルフト焼きの大作。 MAP M |
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デ・ポースレン・フレス [De Porceleyne Fles] (ロイヤル·デルフト) (09:42) 併設されている博物館で、アンティーク・コレクションを観ることが出来る。 MAP M |
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デ・ポースレン・フレス [De Porceleyne Fles] (ロイヤル·デルフト) (09:46) 併設されている博物館で、アンティーク・コレクションを観ることが出来る。 MAP M |
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デ・ポースレン・フレス [De Porceleyne Fles] (ロイヤル·デルフト) (09:46) 「レンブラントの夜警」を原寸大で描いた、デルフト焼きの大作。 MAP M |
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デ・ポースレン・フレス [De Porceleyne Fles] (ロイヤル·デルフト) (09:46) 併設されている博物館で、アンティーク・コレクションを観ることが出来る。 MAP M |
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デ・ポースレン・フレス [De Porceleyne Fles] (ロイヤル·デルフト) (09:47) 併設されている博物館で、アンティーク・コレクションを観ることが出来る。 MAP M |
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デ・ポースレン・フレス [De Porceleyne Fles] (ロイヤル·デルフト) (09:48) 併設されている博物館で、アンティーク・コレクションを観ることが出来る。 MAP M |
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デ・ポースレン・フレス [De Porceleyne Fles] (ロイヤル·デルフト) (09:49) 併設されている博物館で、アンティーク・コレクションを観ることが出来る。 MAP M |
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デ・ポースレン・フレス [De Porceleyne Fles] (ロイヤル·デルフト) (09:51) 併設されている博物館で、アンティーク・コレクションを観ることが出来る。 MAP M |
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デ・ポースレン・フレス [De Porceleyne Fles] (ロイヤル·デルフト) の工房 (09:54) MAP N |
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デ・ポースレン・フレス [De Porceleyne Fles] (ロイヤル·デルフト) の工房 (09:55) MAP N |
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デ・ポースレン・フレス [De Porceleyne Fles] (ロイヤル·デルフト) の工房 (09:55) MAP N |
キンデルダイク [Kinderdijk] ロッテルダムの南東約 13 km の位置にあり、レク川 [Lek] とノールト川 [Noord] に挟まれた地区である。 ここの風車網は1997年に「キンデルダイク=エルスハウトの風車網」としてユネスコの世界遺産に登録されている。 1740年前後に造られた19基の風車は1950年まで実際に稼働していた。 嘗て、風車はオランダ全土に9000基あったといわれ、海抜下の土地の干拓には、なくてはならない存在であった。 1900年代になると、風車に代わりディーゼルポンプが普及し始め、現在では電動ポンプが主になっている。 |
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オランダの干拓に欠かすことが出来なかった風車 (11:15) オランダの歴史は、俗に 「世界は神が作ったが、オランダはオランダ人が作った」 と言われるように干拓地 (ポルダー) と切り離せない。 オランダでは海岸沿いに広がる湿地や泥炭地や干潟を埋め立てて土地を広げてきた歴史がある。 オランダ最古の堤防はローマ帝国時代に遡り、初期の干拓は11世紀から13世紀の間に始まった。 海や湖を干上げる近代的な干拓の始まりは、1612年のベームスター干拓地であった。 以来オランダでは堤防に囲まれ風車・排水路・水門で雨水や地下水を排水する干拓地が広がった。 「南南西」MAP P |
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モーレンカデ・ネーデルワールト [Molenkade Nederwaard] (11:15) 「南東」MAP Q |
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モーレンカデ・ネーデルワールトからの眺め (11:15) 「南西」MAP Q |
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Molenkade Nederwaard にて (11:16) 「南西」MAP Q |
Molenkade Nederwaard からの眺め (11:18) 「南西」MAP R |
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Molenkade Nederwaard からの眺め (11:18) 「南西」MAP R |
Molenkade Nederwaard (11:19) 「南東」MAP R |
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"風見ヤギ"? (11:21) 風車のヘッド部 (羽の部分) は風上に向ける必要があり、風向を知る上で、嘗て、この様な風見があったのかも? 「東」MAP S |
Molenkade Nederwaard (11:21) 「南東」MAP T |
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キンデルダイク [Kinderdijk] 風車群 (11:22) 「南」MAP U |
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キンデルダイク [Kinderdijk] の風車群 (11:23) 「南」MAP U |
運河で遊ぶ鴨 (11:25) 「北」MAP V |
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風車群見学の起点 (11:26) 「南東」MAP O |
帰路の車窓から (11:36) 「北東」MAP W |
アントワープ /アントウェルペン [Antwerp/Antwerpen] スヘルデ川 [Schelde] の東岸に位置するベルギー第2の都市。 15世紀後半には水運を背景に毛織物交易の中心として発展し、同時にユダヤ系ベルギー人であるローデウィク・ファン・ベルケン [Lodewyk van Berken] がダイヤモンド研磨用の円盤 [Scaif] を発明したことにより、ユダヤ人のダイヤモンドカット職人が多くなり、町もダイヤモンド取引およびカット・研磨の中心として有名になった。 |
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スヘルデ川右岸にある駐車場 (12:53) スヘルデ川 [Schelde] の東岸にある駐車場でバスを降り、マルクト広場 [Grote Markt] へ向かう。 中央に見える尖塔はノートルダム大聖堂の北塔 (123m) 。 「北東」 MAP A |
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Ernest Van Dijckkaai 通り (12:54) 「北東」MAP B |
Ernest Van Dijckkaai 通り (12:57) 「北北東」MAP C |
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サイケルライ [Suikerrui] 通り (12:59) 前方の尖塔は、ノートルダム大聖堂 [Onze-Lieve-Vrouwekathedraal] 。 「東南東」MAP D |
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サイケルライ [Suikerrui] 通り (12:59) 前方の尖塔は、ノートルダム大聖堂 [Onze-Lieve-Vrouwekathedraal] 。 「東南東」MAP E |
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マルクト広場 [Grote Markt] (13:01) ギルドハウスや市庁舎に囲まれたアントワープの中心となる広場。 「東」MAP F |
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市庁舎 [Antwerpen Stadhuis] (13:04) 市庁舎は、フランドルの建築家 Cornelis Floris de Vriendt の設計により、1561 ~ 1564 年に建てられた。 主にルネッサンス様式で建てられたが、建築にイタリア人が参加したことから、イタリア & フランドル・ルネッサンス様式の建物になっている。 中央のセクションには、バロックを連想させる装飾が施されており、マルクト広場でもひときわ豪華な建物となっている。 「北西」MAP G |
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マルクト広場 [Grote Markt] (13:04) 「北西」MAP G |
マルクト広場 [Grote Markt] (13:04) 「北」MAP G |
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市庁舎 [Antwerpen Stadhuis] (13:04) 市庁舎は、フランドルの建築家 Cornelis Floris de Vriendt の設計により、1561 ~ 1564 年に建てられた。 主にルネッサンス様式で建てられたが、建築にイタリア人が参加したことから、イタリア & フランドル・ルネッサンス様式の建物になっている。 中央のセクションには、バロックを連想させる装飾が施されており、マルクト広場でもひときわ豪華な建物となっている。 「西北西」MAP G |
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マルクト広場 [Grote Markt] (13:04) 広場を囲むギルドハウスには、様々な意匠が施されており、広場の中央にはアントワープ /アントウェルペン [Antwerp/Antwerpen] の町名の由来となった、伝説に基づく記念碑 「ブラボーの噴水」 がある。 スヘルデ川の川岸の城に住む巨人ドルオン・アンティゴーンは、城付近を通り過ぎる船に通行料を求め、それに応じない者に対しては、その手を切り落として河へ放り投げた。 しかし、ついに巨人のローマ戦士シルヴィウス・ブラボー [Silvius Brabo] はアンティゴーンの息の根を止め、その手を切り落とし、河へ放り投げたと言われている。 彫刻はジェフ・ランボー [Jef Lambeaux] によるもので、ブラボーがアンティゴーンの右手を河に投げ入れるところを表現している。 (1887年) 「北」MAP G |
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マルクト広場 [Grote Markt] (13:05) 「北東」MAP G |
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マルクト広場 [Grote Markt] (13:05) 「東南東」MAP G |
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マルクト広場 [Grote Markt] (13:05) 「東」MAP G |
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ブラボー [Brabo] の噴水 (13:06) スヘルデ川の川岸の城に住む巨人ドルオン・アンティゴーンは、城付近を通り過ぎる船に通行料を求め、それに応じない者に対しては、その手を切り落として河へ放り投げた。 しかし、ついに巨人のローマ戦士シルヴィウス・ブラボー [Silvius Brabo] はアンティゴーンの息の根を止め、その手を切り落とし、河へ放り投げたと言われている。 彫刻はジェフ・ランボー [Jef Lambeaux] によるもので、ブラボーがアンティゴーンの右手を河に投げ入れるところを表現している。 (1887年) 「東」MAP G |
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ブラボー [Brabo] の噴水 (13:06) スヘルデ川の川岸の城に住む巨人ドルオン・アンティゴーンは、城付近を通り過ぎる船に通行料を求め、それに応じない者に対しては、その手を切り落として河へ放り投げた。 しかし、ついに巨人のローマ戦士シルヴィウス・ブラボー [Silvius Brabo] はアンティゴーンの息の根を止め、その手を切り落とし、河へ放り投げたと言われている。 彫刻はジェフ・ランボー [Jef Lambeaux] によるもので、ブラボーがアンティゴーンの右手を河に投げ入れるところを表現している。 (1887年) 「東」MAP G |
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ブラボー [Brabo] の噴水 (13:06) スヘルデ川の川岸の城に住む巨人ドルオン・アンティゴーンは、城付近を通り過ぎる船に通行料を求め、それに応じない者に対しては、その手を切り落として河へ放り投げた。 しかし、ついに巨人のローマ戦士シルヴィウス・ブラボー [Silvius Brabo] はアンティゴーンの息の根を止め、その手を切り落とし、河へ放り投げたと言われている。 彫刻はジェフ・ランボー [Jef Lambeaux] によるもので、ブラボーがアンティゴーンの右手を河に投げ入れるところを表現している。 (1887年) 「東」MAP G |
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マルクト広場 [Grote Markt] (13:07) 「南西」MAP G |
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マルクト広場 [Grote Markt] にある市庁舎 [Antwerpen Stadhuis] (13:09) 「西」MAP G |
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マルクト広場 [Grote Markt] にある市庁舎 [Antwerpen Stadhuis] (13:09) 「西」MAP G |
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マルクト広場 [Grote Markt] (13:10) 「北北西」MAP G |
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マルクト広場 [Grote Markt] (13:10) 「北北西」MAP G |
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マルクト広場 [Grote Markt] のギルドハウス [Guild House] (13:10) 中世の都市には、同業者の集まりであるギルドが作られ、彼らは職業という社会的関係で繋がるとともに、同じ守護聖人をもつなど宗教的関係によって結ばれていた。 広場を取り囲んでいる建物はギルドハウスで、どの建物にも最上部には、何のギルドの建物であるかを表すため金の像が載せられている。 たとえば、一番背の高い建物には 馬に乗り槍を持った聖ゲオルグ像があり、これは足で弓を射る射手ギルドの守護聖人である。 また、その右隣の建物に載せられている裸の男性像は 聖セバスチアンで、手で弓を射る射手ギルドの守護聖人である。 「北北西」MAP G |
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マルクト広場 [Grote Markt] (13:11) 「北北西」MAP G |
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マルクト広場 [Grote Markt] (13:11) 「北西」MAP G |
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マルクト広場 [Grote Markt] (13:11) 「南西」MAP G |
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昼食のレストラン "De Peerdestal"(14:29) 「南西」MAP H |
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昼食のレストラン前 (14:30) 「西」MAP H |
昼食のレストラン前 (14:31) 「南西」MAP H |
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コルテ・クーポールト通り (14:33) 「南」MAP I |
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コルテ・クーポールト通り (14:34) 「北」MAP I |
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グローテ・マルクト通り (14:36) 「西」MAP J |
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グローテ・マルクト通り (14:37) 「西」MAP K |
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グローテ・マルクト通り (14:37) 「南西」MAP L |
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グローテ・マルクト通り (14:38) 「西」MAP M |
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マルクト広場 [Grote Markt] のギルドハウス [Guild House] (14:38) 中世の都市には、同業者の集まりであるギルドが作られ、彼らは職業という社会的関係で繋がるとともに、同じ守護聖人をもつなど宗教的関係によって結ばれていた。 広場を取り囲んでいる建物はギルドハウスで、どの建物にも最上部には、何のギルドの建物であるかを表すため金の像が載せられている。 たとえば、一番背の高い建物には 馬に乗り槍を持った聖ゲオルグ像があり、これは足で弓を射る射手ギルドの守護聖人である。 また、その右隣の建物に載せられている裸の男性像は 聖セバスチアンで、手で弓を射る射手ギルドの守護聖人である。 「北西」MAP N |
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ノートルダム大聖堂 [Onze-Lieve-Vrouwekathedraal] (14:46) フランドル地方で最も大きなゴシック建築の大聖堂。1352年に建設が始まり、1520年に完成た。 今やアントワープのランドマークになった高さ123mの北塔が完成するまで170年の年月が費やされている。 その後も1533年まで増築が続けられたが、大火による資金難などがあり、南塔はついに完成しなかった。 1999年に世界文化遺産の「ベルギーとフランスの鐘楼群」の一として登録され、内部にはルーベンスの傑作「聖母被昇天」「キリスト昇架」「キリスト降架」の3連作がある。 児童小説「フランダースの犬」に登場するルーベンスの祭壇画があることでも知られている。 「東」MAP O |
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ノートルダム大聖堂 [Onze-Lieve-Vrouwekathedraal] (14:48) ノートルダムは「われらの貴婦人(聖母マリア)」を意味する。 「東」MAP O |
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ノートルダム大聖堂 [Onze-Lieve-Vrouwekathedraal] (14:51) ゴシック様式の身廊部、正面の主祭壇にはペーテル・パウル・ルーベンス [Peter Paul Rubens] の傑作「聖母被昇天」の祭壇画がある。 右の壁面にある黒い壇は説教壇。 (見取り図) MAP P |
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ノートルダム大聖堂 [Onze-Lieve-Vrouwekathedraal] (14:52) 身廊から見た、パイプオルガン (シュヘイヴェンオルガン) 。 その下部は出入り口のある拝廊。 (見取り図) MAP P |
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聖母子像 (14:54) カララ大理石 (Carrara marble) の彫像は、リエージュ (Liège) の彫刻家の1350年頃の作品で、洗練された優雅な姿勢と衣装のドレープ、愛情と人間味があふれるポーズは14世紀の宮廷文化を反映している。 1866年からこの教会に置かれており、個人からの寄贈によるものと考えられている。 (見取り図) MAP P |
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アントワープの聖母 (14:54) くるみの木で造られた聖母マリアと子 (イエス) の像。 1566年の偶像破壊の以前にすでに大聖堂にあったと考えられている。 (見取り図) MAP P |
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アントワープの聖母 (14:58) 木製の聖母とキリスト像は、定期的に衣装は衣装替えされ、立ち位置も変えられているようです。 (見取り図) MAP P |
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キリスト昇架 [Kruisoprichting] (14:59) ペーテル・パウル・ルーベンス [Peter Paul Rubens] の作で、世界的に有名な三連祭壇画はキリストが十字架に架けられようとしている場面が描かれている。 重い十字架を背負い、処刑場であるゴルゴタの丘へ向かって悲しみの道(ヴィア・ドロローサ)を進んだイエスは午前9時にゴルゴタの丘にたどり着き、衣服をはぎ取られ、自ら背負ってきた十字架に磔にされる。 この絵は、数人の屈強な男たちが磔にされたイエスの十字架を地面に立てようとしている、まさにその瞬間が描かれている。 ルーベンスの大作「キリスト昇架」は、もともとは聖ワルブルヒス教会 (嘗て、ステーン城の近くに建っていたが、今は取り壊されている) の主祭壇画として描かれたもので、1816年以来このアントワープ聖母大聖堂を飾っている。 「フランダースの犬」で有名な「キリスト降架」と内容的に対をなす作品で、現在は両作品ともアントワープ聖母大聖堂に所蔵されている。 左右のパネルの裏面には、天使と四人の聖人が描かれている。 (見取り図) MAP P |
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主祭壇 (15:00) (見取り図) MAP P |
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キリスト昇架 [Kruisoprichting] (15:00) (見取り図) MAP P |
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左翼廊 (15:01) 写真下部に僅かに見えている絵が、キリスト昇架 [Kruisoprichting] 。 (見取り図) MAP P |
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主祭壇 (15:03) (見取り図) MAP P |
主祭壇前(15:03) (見取り図) MAP P |
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主祭壇前 (15:04) (見取り図) MAP P |
主祭壇 (15:04) (見取り図) MAP P |
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主祭壇 (15:06) 聖母被昇天 [De hemelvaart van Maria] の祭壇画が掲げられた主祭壇。 (見取り図) MAP P |
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キリストの復活 [De opstanding van Christus] (15:10) アントワープの有名な印刷工、プランタン・モレトゥス家のヤン・モレトゥス、マルティナ・プランタン夫妻の墓所のためにルーベンスによって描かれた祭壇画。 中央のパネルにはキリストの復活、左右のパネルには夫妻の守護聖人である洗礼者ヨハネと聖マルティナが描かれている。 (見取り図) MAP P |
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クロッシング (翼廊と身廊の交差部) (15:11) 前後方向は翼廊で、左右方向は身廊部。 身廊の右方向に主祭壇がある。 クロッシング部の天井 (高さ43mの位置) にはコルネーリス・シュフット作の聖母被昇天が描かれている。 ルーベンス時代後期の画家で、大聖堂の守護聖人、聖母マリアの昇天を称えるものとして描かれている。 優れた遠近法をもちい、無限に伸びるかのような塔は、天国への入り口を思わせる。 右上に見えるオルガンはスイスのメツェレル社によって作られたメツェレルオルガン。 (見取り図) MAP P |
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キリストの降架 [Kruisafneming] (15:13) このルーベンスの世界的に有名な三連祭壇画は大聖堂内の射手ギルドの祭壇のために描かれたもので、この祭壇画は聖クリストフォロスを守護聖人とするギルドから発注されたことから左側パネルの裏には聖クリストフォロス (キリストを背負う者という意) が描かれている。 その他のパネルに描かれている人々も全てキリストを担う者達であり、それらは聖クリストフォロスを示唆している。 (ルーベンスの最高傑作として讃えられている作品) (見取り図) MAP P |
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キリストの降架 [Kruisafneming] (15:27) この絵は、『フランダースの犬』のネロ少年が一目見たいと憧れ続けた絵で、最後は大聖堂の中に飾られたこの絵の前でネロとパトラッシュは共に凍死する。 この祭壇画は、右翼廊のメツェルオルガンの右下にある。 (見取り図) MAP P |
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(14:44)「東」 | (14:45)「東」 | ||
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(15:32)「南」 | (15:33)「東」 | ||
『フランダースの犬』に因んだ碑 『フランダースの犬』 [A Dog of Flanders] は、イギリスの作家ウィーダが19世紀に書いた児童文学で、美術をテーマとした少年の悲劇として、現在ではよく知られる。 しかし、嘗てのベルギーでは、あまり知名度は高くなく*、日本のアニメが火つけ役となり、世界的に広く知られるようになった。 この碑は、日本のTOYOTAが『フランダースの犬』に因んで、ベルギーに寄贈したもので、アントワープの大聖堂前に据えられている。 *不人気である理由について、ヨーロッパの価値観では物語は「負け犬の死」としか映らないという説がある。 MAP O |
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(15:35)「南東」 | (15:36)「西南西」 | ||
大聖堂前の広場とShop MAP O |
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ノートルダム大聖堂 [Onze-Lieve-Vrouwekathedraal] (15:43) グルーン広場 [Groenplaats] から観る大聖堂。 ノートルダムは「われらの貴婦人(聖母マリア)」を意味する。 「北西」MAP Q |
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グルーン・プラーツ [Groenplaats] (15:43) グルーン広場に面して在る、HILTONホテル。 「東北東」MAP R |
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グルーン・プラーツ [Groenplaats] (15:43) グルーン広場 [Groenplaats] の中央には、ルーベンス [Peter Paul Rubens] の像が在る。 「北西」MAP S |
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マイルブルグ [Meirbrug] 通り(15:50) 「東」MAP T |
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マイル [Meir] 通り(15:52) 「東」MAP U |
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マイル [Meir] 通り (15:54) 「西」MAP V |
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ルーベンスの家 [Rubenshuis] (16:01) 左の旗が掲げられた建物が、ルーベンスの家。 ルーベンスが1616年から亡くなるまで住んだ自宅兼アトリエ。 自身が設計した建物はイタリア建築の影響を多大に受けている。 博物館となった現在、内部にはアトリエや応接室、居間などが再現され、彼自身の作品や収集品も多く展示されている。 「南」MAP W |
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ルーベンスの家 [Rubenshuis] とMuseumshop (16:02) 「南」MAP W |
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Museumshop前 (16:05) 「南」MAP W |
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"ルーベンスの家"の庭園 (16:13) 「南東」MAP X |
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ルーベンスの家 [Rubenshuis] の中庭 (16:13) 「西」MAP Y |
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ルーベンスの家 [Rubenshuis] の中庭 (16:13) 右に見えるアーチ型の門が、出入り口。 「南西」MAP Y |
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ルーベンスの家 [Rubenshuis] の中庭 (16:13) 「西南西」MAP Y |
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ルーベンスの家 [Rubenshuis] の中庭(パノラマ写真) 「西南西」MAP Y |
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「ルーベンスの家」の1階見取り図 | 「ルーベンスの家」の2階見取り図 | ||
訳文 | 原文 | 訳文 | 原文 |
1, 通りへの出入り口 2, コートヤード 3, オフィス 4, キッチン 5, 賄い部屋 6, ダイニングルーム 7, アートルーム 8, 半球状の博物館 9, 控えの間 10, 広いスタジオ 11, 庭への出口 12, ガーデン |
Toegang (1) Binnenplaats (2) Spreekkamer (3) Keuken (4) Dienkamer (5) Eetkamer (6) Kunstkamer (7) Halfrond museum (8) Antichambre (9) Groot atelier (10) Uitgang naar tuin (11) Tuin (12) |
13, 大きなベッドルーム 14, 小さなベッドルーム 15, リネンルーム 16, コーナールーム 17, ファミリールーム 18, トリビューン(階上廊) |
Grote slaapkamer (13) Kleine slaapkamer (14) Linnenkamer (15) Hoekkamer (16) Familiekamer (17) Tribune (18) |
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"ルーベンスの家"の庭園 (16:14) 「西」MAP Z |
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"ルーベンスの家"の庭園 (16:14) 「東」MAP a |
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ルーベンスの家 [Rubenshuis] の中庭 (16:22) リビューン[Tribune](階上廊)からの眺め。 「東」MAP b |
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ルーベンスの家 [Rubenshuis] の中庭 (16:22) リビューン[Tribune](階上廊)からの眺め。 「北東」MAP b |
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スクッタースホン通り (16:43) 「西」MAP c |
スクッタースホン通り (16:45) 「北」MAP d |
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この後、バスにてブルージュ [Brugge] へ向かう。 |