旅の栞(Belgium,France)
10月23日 (地図)
ブリュッセル [Bruxelles/Brussel] ~ パリ [Paris]
2024年5月31日(金)10:00をもちましてURLは下記の通り変更になります。
https://arisada.wjg.jp/olanda/newpage7.html
ブリュッセル [Bruxelles(仏)/Brussel(蘭)] ベルギーの首都であり、ブラバン州の州都。 ベルギーの中心という地の利を生かし、古くから交通の要衝として栄えた。 現在はEUやNATOなどの国際機関の本部が置かれ、ヨーロッパの政治の中心都市となっている。 そのため、「ヨーロッパの首都」 とも呼ばれている。 町の主な看板や標識はオランダ語とフランス語で表記されている。 |
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サンカントネール門 [Arcades du Cinquantenaire](12:14) ベルギーは1830年にオランダ連合王国から独立し、1880年のベルギー独立50周年を記念して、建築家シャルル・ジローが1904年から1905年に建設した建物。 3つのアーケードを擁し、上部には青銅の巨大な像、凱旋の像がある。 記念門を挟むように、南側には歴史美術博物館とクラッシックカーのコレクションで知られる自動車博物館(オートワールド)があり、北側には軍事博物館がある。 この一帯は通称 "サンカントネール公園" [Parc du Cinquantenaire] と呼ばれている。 「西」MAPLay.3A |
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サンカントネール門 [Arcades du Cinquantenaire](12:14) ベルギーの独立50周年(1880年)を記念して、レオポルド2世の命を受けた建築家シャルル・ジローによって1904年から1905年に建設された建物。 「西北西」MAPLay.3B |
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サンカントネール門 [Arcades du Cinquantenaire](12:15) 中央のアーケードには、ベルギー国旗が掲揚されている。 「北」MAPLay.3C |
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サンカントネール門 [Arcades du Cinquantenaire](12:15) 門柱の内側に掲げられたレリーフは、ベルギー最初の5人の王 (レオポルドI世、レオポルドII世、アルバートI世、レオポルドIII世、ボードワンI世) のレリーフ。 嘗て、コンゴはベルギー領コンゴ(1908~1960)であったため、記念碑には 『感謝を込めて、ベルギー王朝とコンゴに敬意を表する。(1931)』 と記されている。 HOMMAGE A LA DYNASTIE LA BELGIQUE ET LE CONGO RECONNAISSANTS MDCCCXXXI 「南」MAPLay.3C |
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軍事歴史博物館 [Musée royal de l'armée et de l'histoire militaire](12:17) サンカントネール門 [Arcades du Cinquantenaire] 直下から望む、軍事歴史博物館。 「東」MAPLay.3C |
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サンカントネール公園 [Parc du Cinquantenaire](12:21) 公園側から望む、サンカントネール門 [Arcades du Cinquantenaire] 。 上部には青銅の巨大な凱旋の像がある。 「東」MAPLay.3D |
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サンカントネール公園 [Parc du Cinquantenaire](12:21) 公園側から望む、サンカントネール門 [Arcades du Cinquantenaire] 。 上部には青銅の巨大な凱旋の像がある。 「東」MAPLay.3D |
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サンカントネール門 [Arcades du Cinquantenaire](12:25) 「東」MAPLay.3D |
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サンカントネール門 [Arcades du Cinquantenaire](12:25) 「東」MAPLay.3D |
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EU委員会本部の建物(12:33) 左のヒトデのような形の建物が、EU委員会本部[Commission européenne / Europese Commissie] 。 「北西」MAPLay.3E |
EU閣僚理事会の建物(12:34) EU閣僚理事会[Conseil des Ministres de l'Union Européenne / Raad Van Ministers Van De Europese Unie] 。 「南南西」MAPLay.3F |
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王宮 [Palais royal de Bruxelles/Koninklijk Paleis van Brussel](12:46) ネーデルラント王オレンジ公ウィレム一世の時代に再建された部分(1820年~1829年)を基礎としながらも、レオポルド二世時代にも内外装ともにほぼ全面的な改装が施されている(1904年)。 ゴヤの間、ルイ16世様式の間、青の間、玉座の大広間などが重要な見どころ。 また、収蔵されているルーベンス、ヴァン・ダイク、ヨルダーンスなどの肖像画作品も必見。 「南西」MAPLay.3G |
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昼食のレストラン(13:38) 中華料理レストラン "Chao Chow City" にて昼食。 MAPLay.3H |
昼食のレストラン(13:45) 中華料理レストラン "Chao Chow City" にて昼食。 「北」MAPLay.3H |
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昼食のレストラン(13:45) 中華料理レストラン "Chao Chow City" にて昼食。 「北」MAPLay.3H |
昼食のレストラン(13:47) 中華料理レストラン "Chao Chow City" にて昼食。 「北」MAPLay.3H |
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ブリュッセル証券取引所 [Bourse de Bruxelles/Beurs van Brussel](13:53) 「東」MAPLay.3I |
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ブリュッセル証券取引所 [Bourse de Bruxelles/Beurs van Brussel](13:54) 「南東」MAPLay.3J |
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ブリュッセル証券取引所(13:55) ブルス通り [Rue de la Bourse/Beursstraat] から見るブリュッセル証券取引所。 「南」MAPLay.3K |
ブルス通り(13:55) ブルス通り [Rue de la Bourse/Beursstraat] を通ってグランプラス [Grand-Place] へ向かう。 「南東」MAPLay.3K |
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ブリュッセル市庁舎 [Hôtel de Ville de Bruxelles](14:00) グランプラス/フローテ・マルクト [Grand-Place/Grote Markt] に面して建つ、ブリュッセル市庁舎。 市庁舎は1402年から1455年の間にフランボワイヤン・ゴシック様式で建築された美しい建物。 尖塔の高さは96mで、頂きには守護天使ミカエルの像が輝いている。 大同盟戦争中の1695年8月13日に、当時木造だった広場の家屋はヴィルロワ元帥に率いられたフランス軍の砲撃によって大半が破壊されたが、石で出来た市庁舎の壁は砲撃による破壊に耐えた。 このため市庁舎の建物は中世におけるグランプラスの建築様式を伝える唯一の証人となっている。 「南西」MAPLay.3L |
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ブリュッセル市立博物館 (王の家) [Musée de la ville de Bruxelles (Maison du Roi)](14:00) 12世紀以降パン市場として親しまれた木造建築物で、それゆえオランダ語では「パンの家」(broodhuis) と呼ばれていた。 15世紀になると石造にかわり、ブラバント公の行政庁が置かれるようになった。 これが理由で人々はこの建物を「公の家」と呼ぶようになり、公がスペイン王になると「王の家」と呼ぶようになった。 大同盟戦争中の砲撃 (1695年8月13日) などで損害を蒙ったため、1873年から1895年にかけて全体的にネオ・ゴシック様式に再建され、後期ゴシック様式を残した建物になっている。 建物は1985年に改築され、今は市立博物館として、絵画や小便小僧のワードローブなどを展示している。 「東南東」MAPLay.3L |
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グランプラス/フローテ・マルクト [Grand-Place/Grote Markt](14:01) ベルギーのブリュッセルの中心地にある大広場。ヴィクトル・ユゴーが賛嘆したことでも知られるこの大広場は、世界で最も美しい広場のひとつと見なされている。1998年にユネスコの世界遺産に登録された。11~12世紀には市場の開かれる場所として栄えていた。当時はほとんどが木造建築で、火事の延焼を避けるため距離を置いて立っていたという。14世紀には市の経済、政治の中心として機能、15世紀になると市庁舎が建造される。そして、15~16世紀に全盛を極めたギルドハウスが次々と建てられ、広場の構造が固定された。しかし、1695年、フランス王ルイ14世により命を受けた軍に攻撃され、市庁舎の塔、王の家の壁と2~3のギルドハウスのファサード以外全て破壊。砲弾によって引き起こされた火事は2昼夜燃え続けたという。その後すぐに再建計画がもち上がり、広場は1699年までにフランボワイヤン・ゴシック様式、イタリア風フランドル様式などの建築様式が調和した広場に生まれ変わった。フランスの詩人・小説家ジャン・コクトーはこの広場を「絢爛たる劇場」と称賛し、フランスから亡命し、1852年に広場東側の"鳩の家"に滞在していた文豪ヴィクトル・ユゴーも「世界で最も美しい広場」という言葉を残している。 「南東」MAPLay.3L |
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グランプラスのギルドハウス [Guild House d' Grand Place](14:01) 「北」MAPLay.3M |
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グランプラスのギルドハウス [Guild House d' Grand Place](14:02) 「北西」MAPLay.3M |
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ブリュッセル市立博物館 (王の家) [Musée de la ville de Bruxelles (Maison du Roi)](14:02) 12世紀以降パン市場として親しまれた木造建築物で、それゆえオランダ語では「パンの家」(broodhuis) と呼ばれていた。 15世紀になると石造にかわり、ブラバント公の行政庁が置かれるようになった。 これが理由で人々はこの建物を「公の家」と呼ぶようになり、公がスペイン王になると「王の家」と呼ぶようになった。 大同盟戦争中の砲撃 (1695年8月13日) などで損害を蒙ったため、1873年から1895年にかけて全体的にネオ・ゴシック様式に再建され、後期ゴシック様式を残した建物になっている。 建物は1985年に改築され、今は市立博物館として、絵画や小便小僧のワードローブなどを展示している。 「東南東」MAPLay.3M |
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ブリュッセル市庁舎 [Hôtel de Ville de Bruxelles](14:03) 「南西」MAPLay.3M |
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グランプラスのギルドハウス [Guild House d' Grand Place](14:05) 「北西」MAPLay.3M |
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グランプラスのギルドハウス [Guild House d' Grand Place](14:09) 「北東」MAPLay.3N |
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グランプラス/フローテ・マルクト [Grand-Place/Grote Markt](14:09) ベルギーのブリュッセルの中心地にある大広場。ヴィクトル・ユゴーが賛嘆したことでも知られるこの大広場は、世界で最も美しい広場のひとつと見なされている。1998年にユネスコの世界遺産に登録された。11~12世紀には市場の開かれる場所として栄えていた。当時はほとんどが木造建築で、火事の延焼を避けるため距離を置いて立っていたという。14世紀には市の経済、政治の中心として機能、15世紀になると市庁舎が建造される。そして、15~16世紀に全盛を極めたギルドハウスが次々と建てられ、広場の構造が固定された。しかし、1695年、フランス王ルイ14世により命を受けた軍に攻撃され、市庁舎の塔、王の家の壁と2~3のギルドハウスのファサード以外全て破壊。砲弾によって引き起こされた火事は2昼夜燃え続けたという。その後すぐに再建計画がもち上がり、広場は1699年までにフランボワイヤン・ゴシック様式、イタリア風フランドル様式などの建築様式が調和した広場に生まれ変わった。フランスの詩人・小説家ジャン・コクトーはこの広場を「絢爛たる劇場」と称賛し、フランスから亡命し、1852年に広場東側の"鳩の家"に滞在していた文豪ヴィクトル・ユゴーも「世界で最も美しい広場」という言葉を残している。 「北西」MAPLay.3N |
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ブリュッセル市立博物館 (王の家) [Musée de la ville de Bruxelles (Maison du Roi)](14:09) 12世紀以降パン市場として親しまれた木造建築物で、それゆえオランダ語では「パンの家」(broodhuis) と呼ばれていた。 15世紀になると石造にかわり、ブラバント公の行政庁が置かれるようになった。 これが理由で人々はこの建物を「公の家」と呼ぶようになり、公がスペイン王になると「王の家」と呼ぶようになった。 大同盟戦争中の砲撃 (1695年8月13日) などで損害を蒙ったため、1873年から1895年にかけて全体的にネオ・ゴシック様式に再建され、後期ゴシック様式を残した建物になっている。 建物は1985年に改築され、今は市立博物館として、絵画や小便小僧のワードローブなどを展示している。 「北」MAPLay.3O |
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セルクラースの像 [La Statue d'Everard 't Serclaes] のあるギルドハウス(14:11) 建ち並ぶギルドハウスの右端に、トンネル様に見える通路の左壁面にセルクラースの銅像が横たわっている。 セルクラースは1320年頃生まれたとされている人物で、フランダース伯の攻撃からブリュッセルの町を救った英雄として語り継がれている。 ブリュッセルの市の助役を務めた後、1388年にこの場所で亡くなったと言われ、19世紀になってから彫刻家 "Julien Dillens" によって像が作られた。 彼の右腕を撫でると幸せになると言われている。 「南西」MAPLay.3O |
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ブラバン公爵の館 [La Maison des Ducs de Brabant](14:11) 1698年に建造された建物で、1882年に再建。金箔をあしらった豪華なファサードの2階部分に、歴代ブラバン公爵19人の胸像がずらりと並んでいるためにこの名がついた。 正面から見ると一つの建物だが、内部は6つの館に分かれる。 正面に向かって右から、財産の館、運命の館、風車の館、錫の壺の館、丘の館、財布の館と命名されている。 「南東」MAPLay.3O |
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ブリュッセル市庁舎 [Hôtel de Ville de Bruxelles](14:13) グランプラス/フローテ・マルクト [Grand-Place/Grote Markt] に面して建つ、ブリュッセル市庁舎。 市庁舎は1402年から1455年の間にフランボワイヤン・ゴシック様式で建築された美しい建物。 尖塔の高さは96mで、頂きには守護天使ミカエルの像が輝いている。 大同盟戦争中の1695年8月13日に、当時木造だった広場の家屋はヴィルロワ元帥に率いられたフランス軍の砲撃によって大半が破壊されたが、石で出来た市庁舎の壁は砲撃による破壊に耐えた。 このため市庁舎の建物は中世におけるグランプラスの建築様式を伝える唯一の証人となっている。 「西北西」MAPLay.3O |
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チャールズ·バルズ通り[Rue Charles Buls](14:21) グランプラスから小便小僧へ向かう途中の通り。 (チャールズ·バルズ通り → エチューヴ通り) 「南西」MAPLay.3P |
エチューヴ通り [Rue de l'Etuve](14:23) グランプラスから小便小僧へ向かう途中の通り。 左のエチューヴ通りを行けば小便小僧。 右の通りはロンバール通り [Rue du Lombard] 。 「西南西」MAPLay.3Q |
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小便小僧 [Manneken Pis](14:26) 1619年にフラマン人彫刻家ジェローム・デュケノワ [Jérôme Duquesnoy] によって製作さて以降、多くの人に愛されてきた人気者の像。 18世紀にフランスのルイ15世の兵士が像を盗んだことで、王がその謝罪として豪華な服を贈った。 それ以来、世界中から衣装が贈られるようになり、現在、その数は670着を超える。 「最も歳をとったブリュッセル市民」 ともよばれ、その衣装のコレクションはブリュッセル市立博物館に展示されている。 因みに、現在設置されている像はレプリカで、オリジナルの像は1960年代に紛失している。 「南東」MAPLay.3R |
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小便小僧 [Manneken Pis](14:27) 由来には諸説あるが、1説には、反政府軍がブリュッセルを爆破しようと仕掛けた爆弾の導火線を小便をかけて消し、町を救った少年がいたという言い伝えが、小便小僧の起源になったと言われている。 この少年の名はジュリアン [Juliaanske] であったため、小便小僧は 「ジュリアン坊や」 と愛称で呼ばれている。 「東」MAPLay.3S |
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小便小僧 [Manneken Pis](14:28) 「東」MAPLay.3S |
小便小僧 [Manneken Pis](14:28) 「東」MAPLay.3S |
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小便小僧 [Manneken Pis](14:28) 「東」MAPLay.3S |
シェンヌ通り [Rue du Chêne](14:30) 右前方は、シェンヌ通り [Rue du Chêne] 。 「南東」MAPLay.3R |
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街角に立つ "小便小僧"(14:31) 人集りがなければ、見逃しそうな場所に立っている。 「東北東」MAPLay.3T |
エチューヴ通り [Rue de l'Etuve](14:31) この通りを道なりに進めば、グランプラスに達する。 「北東」MAPLay.3T |
小便小僧のロケーション エチューヴ通り [Rue de l'Etuve] と シェンヌ通り [Rue du Chêne] が交差する、東側の街角に立っている。 |
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ブリュッセル市立博物館 (王の家) (14:39) 小便小僧の衣装は、このブリュッセル市立博物館に展示されている。 (中央右の大きな建物) 「北北東」MAPLay.3U |
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グランプラス/フローテ・マルクト [Grand-Place/Grote Markt](14:40) 右手の建物は、ブラバン公爵の館 [La Maison des Ducs de Brabant] 。 「東」MAPLay.3U |
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(14:42) 「東北」MAPLay.3V |
(14:43) 「東北」MAPLay.3V |
ギャルリー・サンチュベール [Les Galeries Royales Saint-Hubert] 当時、王妃様の命により作られたヨーロッパ最古のショッピングアーケードで、1847年に完成した。 アーケードは、ガラスのドーム天井で出来ており、全長212mの内部は王のギャラリー、王妃のギャラリー、王子のギャラリーに分かれている。 ショップやカフェが立ち並び、19世紀に芸術家の溜まり場だった歴史あるカフェも残っている。 |
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グランプラス/フローテ・マルクト [Grand-Place/Grote Markt](15:18) ベルギーのブリュッセルの中心地にある大広場。ヴィクトル・ユゴーが賛嘆したことでも知られるこの大広場は、世界で最も美しい広場のひとつと見なされている。1998年にユネスコの世界遺産に登録された。11~12世紀には市場の開かれる場所として栄えていた。当時はほとんどが木造建築で、火事の延焼を避けるため距離を置いて立っていたという。14世紀には市の経済、政治の中心として機能、15世紀になると市庁舎が建造される。そして、15~16世紀に全盛を極めたギルドハウスが次々と建てられ、広場の構造が固定された。しかし、1695年、フランス王ルイ14世により命を受けた軍に攻撃され、市庁舎の塔、王の家の壁と2~3のギルドハウスのファサード以外全て破壊。砲弾によって引き起こされた火事は2昼夜燃え続けたという。その後すぐに再建計画がもち上がり、広場は1699年までにフランボワイヤン・ゴシック様式、イタリア風フランドル様式などの建築様式が調和した広場に生まれ変わった。フランスの詩人・小説家ジャン・コクトーはこの広場を「絢爛たる劇場」と称賛し、フランスから亡命し、1852年に広場東側の"鳩の家"に滞在していた文豪ヴィクトル・ユゴーも「世界で最も美しい広場」という言葉を残している。 「北西」MAPLay.3W |
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グランプラス/フローテ・マルクト [Grand-Place/Grote Markt](15:18) 「北西」MAPLay.3W |
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GODIVA本店(15:19) 1956年 「ショコラトリー・ドラップス」だった会社が 「ゴディバ」 となり、ブリュッセルのグランプラス広場に、「ゴディバ」 第1号店をオープンした。 「北東」MAPLay.3X |
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グランプラス/フローテ・マルクト [Grand-Place/Grote Markt](15:20) 「北西」MAPLay.3X |
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グランプラス/フローテ・マルクト [Grand-Place/Grote Markt](15:21) 「南西」MAPLay.3Y |
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グランプラス/フローテ・マルクト [Grand-Place/Grote Markt](15:22) 「南西」MAPLay.3Y |
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グランプラス/フローテ・マルクト [Grand-Place/Grote Markt](15:23) 「西」MAPLay.3Z |
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グランプラス/フローテ・マルクト [Grand-Place/Grote Markt](15:24) 「南南東」MAPLay.3Z |
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グランプラス/フローテ・マルクト [Grand-Place/Grote Markt](15:26) 「南東」MAPLay.3a |
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グランプラス/フローテ・マルクト [Grand-Place/Grote Markt](15:26) 「南東」MAPLay.3a |
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グランプラス/フローテ・マルクト [Grand-Place/Grote Markt](15:29) 「南東」MAPLay.3b |
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グランプラス/フローテ・マルクト [Grand-Place/Grote Markt](15:29) 「東南東」MAPLay.3c |
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グランプラス/フローテ・マルクト [Grand-Place/Grote Markt](15:30) 「東」MAPLay.3d |
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グランプラス/フローテ・マルクト [Grand-Place/Grote Markt](15:30) 「南東」MAPLay.3d |
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グランプラス/フローテ・マルクト [Grand-Place/Grote Markt](15:51) グランプラスに面したカフェは広場にせり出すようにテーブルを並べている。 「南東」MAPLay.3e |
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グランプラス/フローテ・マルクト [Grand-Place/Grote Markt](15:52) 「北西」MAPLay.3f |
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グランプラス/フローテ・マルクト [Grand-Place/Grote Markt](15:53) 「南」MAPLay.3g |
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グランプラス/フローテ・マルクト [Grand-Place/Grote Markt](16:04) 「西北西」MAPLay.3h |
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グランプラス/フローテ・マルクト [Grand-Place/Grote Markt](16:07) 「北北西」MAPLay.3i |
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グランプラス/フローテ・マルクト [Grand-Place/Grote Markt](16:07) 「北西」MAPLay.3i |
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番号 軒名 昔の用途 1 スペインの王 パン職人 2.3 手押し車 油精製職人 4 袋 大工、樽職人 5 狼 射手 6 角笛 船頭 7 狐 商人 8 星 地方行政官の邸宅 9 白鳥 肉屋 10 黄金の木 ビール醸造業 11 バラ 12 タボール山 13 ザリガニ/隠者 ワイン商、野菜商 14 財産 皮なめし業 15 運命 16 風車 製粉業 17 錫の壺 大工 18 丘 19 財布 洋服商 20 牡蠣 21 ジョセフ 22 アンナ 醸造業者 23 天使 24.25 黄金の船 洋服商、仕立屋 26.27 鳩 塗装人 28 執政官 執政官の邸宅 29-33 欠番 34 兜 果物商 35 孔雀 36 小さな狐 37 樫 靴下編み 38.39 聖バルバラとロバ |
ギルドハウスの番号と軒名、昔の用途 |
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スペイン広場 [Place d'Espagne](16:15) ツアーバス待ちのため、この広場でしばらく過ごす。 中央に見える塔は、グランプラスの市庁舎の塔。 「西」MAPLay.3j |
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ブリュッセル南駅 [Gare de Bruxelles- Midi](16:46) MAPLay.3k |
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ブリュッセル南駅 [Gare de Bruxelles- Midi](17:01) MAPLay.3k |
ブリュッセル南駅 [Gare de Bruxelles- Midi](17:01) MAPLay.3k |
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タリス [Thalys] 車内(17:02) MAPLay.3k |
タリス [Thalys] 車内(17:57) MAPLay.3k |
ブリュッセルを後に、パリへ向かう。 |
パリ [Paris] フランス最大の都市であり、同国の政治、経済、文化などの中心地。 また、近代国家の首都として、或いは欧州文化・商業の中心地として、常に注目を浴び続けている。 歴史的建造物や見所が集中する年間外国人観光客数 世界一を誇る観光都市でもある。 パリ [Paris] の語源は「田舎者、乱暴者」を意味する "パリーズィイ" [Parisii](複数形)、"パリージォス" [Parisius] (単数形)で、ローマ人が入ってくる以前からの先住民であるケルト系部族の、ローマ側からの呼称。 紀元前6世紀には、すでにケルト人の集落が形成されていた。 |
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パリ北駅 [Paris Gare du Nord](18:46) 「東」MAPLay.4B |
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パリ北駅 [Paris Gare du Nord](18:46) 「北東」MAPLay.4A |
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パリ北駅 [Paris Gare du Nord](18:48) 「北北東」MAPLay.4A |
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パリ北駅 [Paris Gare du Nord](18:48) 「南」MAPLay.4A |
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パリ北駅 [Paris Gare du Nord] 前(18:49) ツアーバスの到着待ち。 「西北西」MAPLay.4B |
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パリ北駅 [Paris Gare du Nord] 前(18:49) 「東」MAPLay.4B |
パリ北駅 [Paris Gare du Nord] 前(18:50) 「東南東」MAPLay.4B |
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パリ北駅 [Paris Gare du Nord] 前(18:50) 「北東」MAPLay.4B |
パリ北駅 [Paris Gare du Nord] 前(18:51) 「東南東」MAPLay.4B |
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(19:54) MAPLay.4C |
(19:55) MAPLay.4C |
オテル ノヴォテル パリ トゥール エッフェル [Hôtel Novotel Paris Tour Eiffel] 嘗ての日航ホテル。 そのため、所々に日本風の建築仕様が見受けられる。 |
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プロムナード・ドーストゥラリー [Promenade d'Australie] からの眺望(22:09) 「北」MAPLay.4D |
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プロムナード・ドーストゥラリー [Promenade d'Australie] からの眺望(22:10) 「北西」MAPLay.4D |
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ブランリ通り [Quai Branly](22:17) 「東」MAPLay.4E |
ブランリ通り [Quai Branly](22:18) 「東」MAPLay.4E |
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ブランリ通り [Quai Branly](22:20) 「東」MAPLay.4E |
ブランリ通り [Quai Branly](22:22) 「南東」MAPLay.4E |
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ブランリ通り [Quai Branly] からの眺望(22:22) 「南東」MAPLay.4F |
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イエナ橋 [Pont d'Iéna] からの眺望(22:25) 「南西」MAPLay.4G |
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イエナ橋 [Pont d'Iéna] からの眺望(22:27) 「南東」MAPLay.4G |
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イエナ橋 [Pont d'Iéna] からの眺望(22:30) 「南東」MAPLay.4G |
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ポール・ド・スフレンヌ [Port de Suffren] からの眺望(22:34) 「南東」MAPLay.4H |
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ポール・ド・スフレンヌ [Port de Suffren] からの眺望(22:38) 「南東」MAPLay.4H |
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ポール・ド・スフレンヌ [Port de Suffren] からの眺望(22:39) 「南東」MAPLay.4H |
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ポール・ド・スフレンヌ [Port de Suffren] からの眺望(22:45) 「北東」MAPLay.4H |
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イエナ橋 [Pont d'Iéna] からの眺望(22:47) 「北東」MAPLay.4I |
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イエナ橋 [Pont d'Iéna] からの眺望(22:49) 「南西」MAPLay.4I |
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エッフェル塔 [Tour Eiffel] の直下から仰瞰撮影(22:59) 「東南東」MAPLay.4J |
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エッフェル塔 [Tour Eiffel] の直下から仰瞰撮影(23:02) 「東南東」MAPLay.4J |