旅の栞 (スペイン)
6月21日 (地図)
アルハンブラ宮殿 [Palacio de la Alhambra] (地図)
ナスル朝宮殿 (ナサリエス宮殿) [Palacios Nazaries]
2024年5月31日(金)10:00をもちましてURLは下記の通り変更になります。
https://arisada.wjg.jp/spain/newpage10.html
ナスル朝宮殿 (ナサリエス宮殿) [Palacios Nazaries] モーロ系スペイン人が800年近くもの間、その名を馳せた民族であったにもかかわらず固有の民族名も残さずレコンキスタによって、どこかへ去っていった。彼らが王国を築き、長きにわたって統治し、永住の地と思い定めた地に建てた多くの建物、その中で記念的建物として残ったのがアルハンブラ宮殿 (中心的な建物はナルス朝宮殿) である。キリスト教国のただ中にある、イスラム教徒の大建造物、西欧のゴシック様式の大建造物の中にぽつんと一つ際だった、オリエント様式の宮殿である。 ![]() ギター演奏 (エドゥアルド・フェルナンデス) ![]() |
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メスアールの間 [Sala del Mexuar] <Planⓐ> (11:41) 政庁を意味するメスアールは宮殿の最も古い部分で、行政と司法が執り行われていた。 「北方向」MAPLay. 1 b |
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メスアールの間 [Sala del Mexuar] <Planⓐ> (11:42) 入口方向に向かって撮影。 「南東方向」MAP Lay. 1 b |
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メスアールの間 [Sala del Mexuar] <Planⓑ> (11:42) 中央に見えるのが、礼拝堂 [Mosque] の出入り口、その右がメスアールの中庭に通じる出入り口。 「北東方向」MAP Lay. 1 b |
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礼拝堂 [Oratorio] <Planⓒ> (11:44) 「メスアールの間」の奥には小さな礼拝堂 [Mosque] があり、窓から城下町・アルバイシン地区がよく見える。 「北西方向」MAP Lay. 1 c |
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礼拝堂 [Oratorio] <Planⓒ> (11:44) 「メスアールの間」の奥には小さな礼拝堂 [Mosque] があり、窓から城下町・アルバイシン地区がよく見える。 「北西方向」MAPLay. 1 c |
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メスアールの中庭 [Patio del Mexuar] <Planⓓ> (11:44) 前方に見えるのがコマレス宮のファサード [Fachada de Comares] 、ファサードの壁面は精巧なアラベスク模様と色鮮やかなタイルで敷き詰められている。 「南方向」MAP Lay. 1 d |
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黄金の間 [Cuarto Dorado] の天井 <Planⓔ> (11:46) レバノン杉をはじめ、珍しい用材を取り寄せ、精緻な木組 (はめ込み細工) 装飾を施した天井。 金箔が施されていることから"黄金の間"と呼ばれるが、 王宮来訪者の控え室として使われていた場所。 MAP Lay. 1 d |
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メスアールの中庭 [Patio del Mexuar] <Planⓔ>(11:46) 黄金の間 [Cuarto Dorado] から見たメスアールの中庭。 「南方向」MAPLay. 1 d |
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アルバイシン [Albayzin] 地区<Planⓔ> (11:46) "黄金の間"のガラス窓から見るアルバイシン地区、ナスル王朝時代から1492年のグラナダ陥落までイスラム教徒の居住区として利用されていたグラナダ最古の町並。キリスト教徒によるグラナダ陥落の際にはアベン・ウメヤに指揮されたモーロ人の抵抗の砦となり、白壁と石畳はおびただしい流血に染められたという。敵の侵入を防ぐ城郭都市として作られたため、道は迷路のように入り組んでいる。 「北西方向」MAPLay. 1 d |
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メスアールの中庭 [Patio del Mexuar] <Planⓓ> (11:47) 黄金の間 [Cuarto Dorado] から見たメスアールの中庭、正面にあるのがコマレス宮のファサード。 「南方向」MAPLay. 1 d |
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黄金の間 [Cuarto Dorado] の入口 <Planⓕ> (11:48) メスアールの中庭 [Patio del Mexuar] から見る"黄金の間"のファサード。 「北西方向」MAPLay. 1 e |
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アラヤネスの中庭 [Patio de los Arrayanes] <Planⓖ> (11:50) 別名、アルベールカ [al Beerkah] の中庭またはコマレス [Comares] の中庭と呼ばれる。"al Beerkah"は"貯水池"を意味する。 「北北東方向」MAPLay. 1 f |
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アラヤネスの中庭 [Patio de los Arrayanes] <Planⓗ> (11:53) 正面にある塔がコマレスの塔 [Torre de Comares] 、その下の手前が"船の間 [Sala de la Barca] "、その奥が"大使の間 [Salón de Comares] "。 「北方向」MAPLay. 1 g |
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アラヤネスの中庭 [Patio de los Arrayanes] <Planⓗ> (11:55) 別名、"アルベールカ [al Beerkah] の中庭"や"コマレス [Comares] の中庭"と呼ばれることがあるが、現在では生け垣にちなんだ"アラヤネスの中庭「天人花の中庭」"が一般的な呼称になっている。中央にあるコマレスの塔 [Torre de Comares] の語源はステンドグラスを意味する [Comarías] に由来すると言われている。 「北方向」MAPLay. 1 g |
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アラヤネスの中庭 [Patio de los Arrayanes] <Planⓘ> (11:55) 左壁面に見える通行門は、コマレス宮のファサードから通じる門。 MAPLay. 1 h |
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コマレスの塔側から見るアラヤネスの中庭 <Planⓧ> (11:56) 現在では、カルロス5世宮殿が前方を遮断している為、不自然な景観となっているが、以前はこの前方は開けており、紺碧の空と端整な"アラヤネスの中庭"があいまって優美な景観を成していたであろう。 「南方向」MAPLay. 1 g |
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祝福の間 [Sala de la Barca] <Planⓙ> (11:57) 別名、"船の間"または"控えの間"と呼ばれている。 「北東方向」MAPLay. 1 i |
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「祝福の間」から見る「大使の間」 [Salón de Comares] <Planⓚ> (11:58) 「北方向」MAPLay. 1 i |
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大使の間 [Salón de Comares] <Planⓛ> (11:58) 別名、「王座の間」とも呼ばれる、かってのイスラム教徒君主の謁見の間、床面積が約121㎡、天井の高さが約18mで、「コマレスの塔」の内部空間を全て占有している。 周囲の壁面はスタッコ仕上げで、モーロ風の幻想的な模様で飾られており、天井は落葉松材もしくはヒマラヤ杉材を用いたアラベスク模様で星空をイメージした造りになっている。 かっての天井は、ムカルナス (muqarnas) と呼ばれる形式の精緻な鍾乳石飾りで覆われ、金箔と原色顔料で色鮮やかに彩色されていたが、地震のために天井の大部分が崩壊してしまい、現在の天井に取って代わられている。 「北方向」MAPLay. 1 j |
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![]() (11:58) 「北東方向」 |
![]() (11:58) 「北西方向」 |
![]() (11:58) 「南方向」 |
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大使の間 [Salón de Comares] <Planⓛ> この「大使の間」の三方の壁面には、その分厚い壁をくり抜いて作られた窓があり、そこからは広々とした外の景色が眺められるようになっている。 MAPLay. 1 j |
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「大使の間」から望む「アラヤネスの中庭」 <Planⓜ> (11:59) 「南方向」MAPLay. 1 j |
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大使の間 [Salón de Comares] <Planⓛ> (12:00) 別名、「王座の間」とも呼ばれる、公式行事が行われていた「大使の間」の壁面は、スタッコ細工で作られたアラベスク模様で覆われている。 スタッコ細工は石膏をいろいろな鋳型に流し込んで型取り、多種多様な模様の石膏板を巧みに組み合わせてつなぎ合わせたもので、壁面をアラベスク模様で飾り、円天井を鍾乳石状の細工で飾る、この工法の発祥地は、ダマスカス (シリア) だが、それを高度に洗練させたのはモロッコのモーロ人である。 スタッコ細工の最も優雅な、幻想的な細部仕上げは、このモーロ式工法によって初めて可能となった。 中央に見える入口の向こうに、「アラヤネスの中庭」がある。 「南方向」MAPLay. 1 j |
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大使の間 (王座の間) の中程に、かつて玉座があった <Planⓛ> (12:00) 「南東方向」MAPLay. 1 j |
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アラヤネスの中庭に面した柱廊の両脇にあるアルコーブ [alcove] *1 <Planⓨ> (12:01) 天井は、ムカルナス (muqarnas) と呼ばれる形式の精緻な鍾乳石飾りで覆われ、かっては金箔と原色顔料で色鮮やかに彩色されていた。 「東方向」MAPLay. 1 j *1 壁面の一部をくぼませて造った小部屋 |
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![]() (12:03) 「南南西方向」<Planⓝ> |
![]() (12:03) 「西南西方向」<Planⓝ> |
![]() (12:04) 「南東方向」<Planⓙ> |
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祝福の間 [Sala de la Barca] (別名"船の間"または"控えの間") 「祝福の間」と中庭との間には、優雅な柱廊が通っていて、モーロ様式の透かし彫り模様のスパンドレル [spandrel] に飾られた、ほっそりした列柱が立ち並んでいる。 MAPLay. 1 i |
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スタッコ細工で造られたアラベスク模様 (12:05) MAPLay. 1 i |
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ライオンの中庭 [Patio de los Leones] <Planⓞ> (12:05) 「東北東方向」MAPLay. 1 k |
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ライオンの中庭 [Patio de los Leones] <Planⓞ> (12:06) 「東南東方向」MAPLay. 1 k |
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ライオンの中庭 [Patio de los Leones] <Planⓞ> (12:06) 「東南東方向」MAPLay. 1 k |
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ライオンの中庭 [Patio de los Leones] 地震などによる自然災害をほとんど被っておらず、モーロ様式*1の優雅な美的世界の輝きが、ほぼ往時のまま今に伝わっている。 天井の円蓋全体を覆い尽くすアラベスク装飾とそれを取り囲むように装飾された鍾乳石飾り (ムカルナス) 、モーロ様式の透かし彫り模様のスパンドレルなど数世紀を経た現在でも優雅で新鮮な輝きを放っている。 *1 スタッコ細工を用いて、壁面をアラベスク模様で飾り、円天井を鍾乳石状の細工で飾る、この工法の発祥地は、ダマスカス (シリア) だが、それを高度に洗練させたのはモロッコのモーロ人である。 スタッコ細工の最も優雅な、幻想的な細部仕上げは、このモーロ式工法によって初めて可能となった。 (スタッコ細工は石膏をいろいろな鋳型に流し込んで型取り、多種多様な模様の石膏板を巧みに組み合わせてつなぎ合わせたもの) |
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ライオンの中庭 [Patio de los Leones] 、西側の拱廊 <Planⓟ> (12:06) ライオンの中庭は、四方を拱廊 (アーケード) がぐるりと囲んでいおり、拱廊はほそい大理石の列柱によって支えられている。 「南方向」MAPLay. 1 k |
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アベンセラーヘ家の間 [Sala de los Abencerrajes ] <Planⓠ> (12:07) イスラム教徒であるアベンセラーヘ家は、オリエント出身の諸部族の中でも、予言者ムハンマドの盟友部族の一つ、ベニ・セラヒの血を引く純潔中の純潔、まさしく名門の誇り高い家系であった。当時、ムレイ・アブール・ハッサン王は、ムハンマド左利き王*の娘アイシャ・ラ・ホルラ公女と結婚し、彼女との間に二人の王子をもうけたが、その長子が、ボアブディルである。しかし、王は壮年期になって、もう一人の后を迎えた。若く、美しいキリスト教徒の捕虜で、本名はイサベル・デ・ソリス。しかし、モーロ人の間では、ソライア妃の名で通っていた。そして、王は第二王妃との間にも、二人の王子をもうけた。宮廷では、王位継承権をめぐって王妃同士の敵対関係が生じ、二つの党派が生まれた。ソライア妃の側には、ベネガス家のアブール・カシム・ベネガスと、その弟レドゥアン・ベネガス、そして多くの縁者たちがいた。反対に、アベンセラーヘ家は、アイシャ妃の側についた。主たる理由はベネガス家に対する代々の怨念とともに、かつてアベンセラーヘ家一族を引き立ててくれたムハンマド左利き王の息女であるアイシャ妃への強い忠誠心からである。そんな中、アイシャ王妃の陰謀説が巧みにムレイ・アブール・ハッサン王の耳に吹き込まれた。すなわち、王妃は、夫である現王を追放して、息子のボアンブディルを王位に就けようと謀を巡らせている、というものだった。王は激怒して母子を「コマレスの塔」に監禁し、思わず我を忘れて、ボアブディルは生かしておくまい、と口走った為、心配した母の王妃は、深夜、自分のスカーフと侍女たちのスカーフをかき集めて繋ぎ合わせると、塔の窓から息子を吊り下ろし、逃亡させた。アベンセラーヘ家の騎士たちがアルハンブラ宮殿広場で虐殺されたのは、数種の年代記に照らしてみると、ちょうどこの時期に当たる。その命を発したのは、アイシャ王妃の陰謀にアベンセラーヘ家が加担したにちがいない、と思いこんだムレイ・アブール・ハッサンであった。年代記によれば、アベンセラーヘ家の騎士の相当数を処刑することによって叛徒の見せしめにすべきだ、と王に奏上したのは、ほかならぬ宰相アブール・カシム・ベネガスだった。 * ムハンマド9世(Muhammed IX、1419-1427, 30-31, 32-45, 48-53)は、左利きのため、またすることなすこと思いどおりに行かず、悲運に見舞われ続けたため「左利き王」と呼ばれた。左利き王は、三度グラナダ王の王位から追放され、三度復位した。 「南方向」MAPLay. 1 l アーヴィング著 (平沼孝之訳) 「アルハンブラ物語」より引用 |
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アベンセラーヘ家の間 [Sala de los Abencerrajes ] <Planⓡ> (12:08) ライオンの中庭の南側には、「アベンセラーヘ家の間」へ通じる立派な門がある。名高い騎士の名門、アベンセラーヘ家の勇敢な騎士たちは、不忠の罪によって、この門の潜り戸から一人ずつライオンの中庭に連れ出され、広場の中央の噴水のところで、首を刎ねられたという伝承から、"アベンセラーヘ家の間"と呼ばれている。 「南西方向」MAPLay. 1 l |
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アベンセラーヘ家の間 [Sala de los Abencerrajes ] <Planⓡ> (12:08) 巨大な蜂の巣とも"霜の花"とも見える、天井部の鍾乳石飾り (ムカルナス) と、スタッコ細工*で施されたアラベスク模様の壁面。 「南南西方向」MAPLay. 1 l * スタッコ細工は石膏をいろいろな鋳型に流し込んで型取り、多種多様な模様の石膏板を巧みに組み合わせてつなぎ合わせたもので、壁面をアラベスク模様で飾り、円天井を鍾乳石状の細工で飾る、この工法の発祥地は、ダマスカス (シリア) だが、それを高度に洗練させたのはモロッコのモーロ人である。 スタッコ細工の最も優雅な、幻想的な細部仕上げは、このモーロ式工法によって初めて可能となった。 |
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アベンセラーヘ家の間 [Sala de los Abencerrajes ] <Planⓡ> (12:08) 巨大な蜂の巣とも"霜の花"とも見える、天井部の鍾乳石飾り (ムカルナス) と、スタッコ細工で施されたアラベスク模様の壁面。 右に見えるアーチが入口。 「西方向」MAPLay. 1 l |
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アベンセラーヘ家の間 [Sala de los Abencerrajes ] <Planⓡ> (12:08) 天井には採光窓が設けられており、天井を鮮やかに照らすことによって、精緻に造られた鍾乳石飾り (ムカルナス) をより優雅で幻想的なものにしている。 「南東方向」MAPLay. 1 l |
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ライオンの中庭 [Patio de los Leones] <Planⓢ> (12:09) ライオンの中庭は、四方を拱廊 (アーケード) がぐるりと囲んでいおり、拱廊は細い大理石の列柱によって支えられている。 柱と柱の間はモーロ様式の透かし彫り模様のスパンドレルで装飾され、数世紀を経た現在でも優雅で新鮮な輝きを放っている。 「南西方向」MAP Lay. 2 A |
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ライオンの中庭 [Patio de los Leones] <Planⓢ> (12:10) 残念ながら、噴水とライオン像は工事中のため撤去されていた。 左端の一段高くなった建物が"アベンセラーヘ家の間"がある建物。 「南西方向」MAPLay. 2 A |
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二姉妹の間 [Sala de las Dos Hermanas] <Planⓣ> (12:10) 宮殿内で特に美しいのが"二姉妹の間"の天井。八角形の天井には蜂の巣のような精緻な鍾乳石飾り (ムカルナス) が施され、採光窓から差す光が一層優美な姿を浮かび上がらせている。 MAPLay. 2 A |
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二姉妹の間 [Sala de las Dos Hermanas] <Planⓣ> (12:10) 「アベンセラーヘ家の間」と「二姉妹の間」は「ライオンの中庭」を挟んで、向かい合った位置にある。 二つの間の造りは似ているが、「二姉妹の間」の天井は、八角形であるが、「アベンセラーヘ家の間」の天井は、八つの突起を持つ星形である。 この広間は、かつての後宮たちの部屋、つまりハレムの一部だったと言われている。 MAPLay. 2 A |
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橋廊 (はしろう) からの眺望、アルバイシン [el Albayzín] <Planⓤ> (12:17) アルバイシンは市内を流れるダロ川*を挟んで、アルハンブラ宮殿と向かい合う丘に広がる旧市街地で、イスラム都市の特徴をよく表した、グラナダ最古の町並が残っている地区。敵の侵入を防ぐ城郭都市として造られたため、家々が密集し、勾配が急な細い道が迷路のように入り組んでいる。 ナスル王朝時代から1492年のグラナダ陥落までイスラム教徒の居住区として利用されていた。 キリスト教徒によるグラナダ陥落の際には、モーロ人の抵抗の砦となり、アラブ風に漆喰で塗られた白壁と石畳は、おびただしい流血で染められたと言われている。 1984年アルハンブラ宮殿、ヘネラリーフェ離宮とともに世界文化遺産に登録された。 「北北西方向」MAPLay. 2 B * ダロ川 [Río Darro] MAP |
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サクロモンテの丘 [el Sacromonte] <Planⓤ> (12:17) 右端に見える塔は、結髪の間 (女王の化粧室) [Torre del Peinador] 。 「北東方向」MAPLay. 2 B |
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サクロモンテの丘 [el Sacromonte] <Planⓤ> (12:17) 右端に見えるのは、結髪の間 (女王の化粧室) [Torre del Peinador] と橋廊。 「北東方向」MAPLay. 2 B |
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橋廊からの眺望、アルバイシン [el Albayzín] 地区~サクロモンテの丘 [el Sacromonte] <Planⓤ> (12:17) MAPLay. 2 B |
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「コマレスの塔」の東側にある橋廊にて <Planⓤ> (12:18) 「北東方向」MAPLay. 2 B |
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橋廊 (はしろう) からの眺望、アルバイシン [el Albayzín] <Planⓤ> (12:19) 左端に見えている壁面は、"コマレスの塔"の東側壁。 「北方向」MAPLay. 2 B |
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「コマレスの塔」の東側にある橋廊にて <Planⓤ> (12:19) 右端に、窓が見える部屋が、「ワシントン・アービングの部屋」。 ワシントン・アービング [Washington Irving] は実際に、約3ヶ月間*アルハンブラに滞在し、そのときの体験や見聞に基づいて「アルハンブラ物語」を書いた。 「東北東方向」MAPLay. 2 B * 1829年5月~7月28日 |
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コマレスの塔"の東側にある橋廊にて <Planⓤ> (12:19) 「東北東方向」MAPLay. 2 B |
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リンダラーハの庭 [Jardín de Lindaraja] <Planⓥ> (12:22) 庭の中心部に噴水が施され、それを囲むようにオレンジやシトロン、糸杉などの樹木が配されている。 右に見える出入り口 (アーチ形の門) の上部がリンダラーハの展望楼 [Mirador de Lindaraja] / [Mirador de Daraxa] となっている。 「南東方向」MAPLay. 2 C |
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リンダラーハの庭 [Jardín de Lindaraja] <Planⓦ> (12:25) 「リンダラーハの庭」はムハンマド王の忠臣、マラガ城将の娘で、麗人の誉れ高いリンダラーハの名にちなんだもの。 「東方向」MAPLay. 2 C |