旅の栞(チェコ)

7月27日

プラハ[Praha]{プラハ城と旧市街}

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 プラハ [Praha]
  プラハ歴史地区は1991年、ICOMOSによる登録審査を経て、1992年、世界文化遺産として登録されている。 町の中心部にはスメタナの交響詩 『我が祖国』 で有名なヴルタヴァ (モルダウ) 川がゆったりと流れ、黄金色の日差しを受けたカレル橋が輝く。 西岸にはプラハ城が14世紀以来の偉容を見せ、東岸にはさまざまな歴史の舞台となってきた旧市街や新市街が広がる。 連なる赤い屋根の家々から、いくつもの塔が頭をのぞかせる様は、"百塔のプラハ" という呼名にふさわしい景観を呈している。 そのほか、"建築博物館の町" "ヨーロッパの魔法の都" "北のローマ" など、プラハを称賛する言葉は数多い。 14世紀、神聖ローマ帝国およびボヘミヤ王国の首都として繁栄を謳歌するプラハでは、現在まで残るプラハ城やカレル橋が既に造られていた。 しかし、プラハは美しいだけでない。 長い歴史を刻んできたそのほとんどの時代において、周辺国からの侵略や影響を多大に受けながらも民族的な誇りを失わず、自らの言葉と文化を守り続けてきた人々の気高い精神が町のすみずみにまで染みこんでいる。 この町には、連綿と受け継がれてきた本当のヨーロッパの姿が息づいている。 おもな世界遺産登録建築物として、プラハ城 (聖ヴィート大聖堂) 、カレル橋、旧市庁舎 (天文時計) 、旧市街広場、ティーン聖堂などが挙げられる。

弦楽セレナード 第4楽章 Slides
その他、ドヴォルザークの作品4曲


プラハ駅 [Praha hlavní nádraží] 
チェコの首都プラハに位置する国内最大かつ主要な国際鉄道ターミナル駅で、チェコ国内の各都市を結ぶ列車だけでなく、ドイツ、オーストリア、スロバキア、ポーランドなど近隣諸国へ向かう国際列車が数多く発着している。
上層階 (旧駅舎) には、チェコの著名な建築家ヨセフ・ファンタが設計したアール・ヌーヴォー様式の美しいドームが残されている。
1970年代に拡張された現代的な地下エリアは、非常に広々としており、切符売り場、各種ショップ、レストラン、スーパーマーケット、コインロッカー、外貨両替所などの設備が充実している。

ヴァーツラフ広場 [Václavské náměstí]
プラハのシャンゼリゼとも言われる賑やかな場所で、北西から南東に伸びる大通りが、750m 続いている。 広場のまわりは古い建物を利用したホテルやオフィスのほか、ブディックやファーストフードの店もあって若者を集めている。 南端に国立博物館と聖ヴァーツラフ像があり、そこから北へ下り坂が続く。
ホテル エスプラナーデ プラハ (07:08)
MAP A
ホテル エスプラナーデ プラハ (07:08)
MAP A
ホテル エスプラナーデ プラハ (07:11)
朝食を終え、ツアー出発までの間、プラハ駅まで早朝散歩。
「西方向」 MAP B
ホテル エスプラナーデ [Esplanade Hotel] 前のワシントノヴァ通り [Washingtonova] (07:12)
「南南西方向」 MAP B
ホテル エスプラナーデ [Esplanade Hotel] 前のワシントノヴァ通り [Washingtonova] (07:12)
「北北東方向」 MAP B
ホテル エスプラナーデ [Esplanade Hotel] 前のワシントノヴァ通り [Washingtonova] (07:12)
「南南西方向」 MAP B
国立博物館 [Národní muzeum] (07:14)
「南南西方向」 MAP C
左は国立オペラ劇場 [Státní Opera] 、右は国立博物館 (分館) [Národní muzeum] (07:15)
「南東方向」 MAP D
ホテル エスプラナーデ プラハ [Esplanade Hotel Prague] (07:15)
「北方向」 MAP D
国立博物館 (分館) [Národní muzeum] (07:16)
かつては証券取引所の建物であった。
「南方向」 MAP D
プラハ本駅 [Praha-hlavní nádraží] (07:21)
「東北方向」 MAP E
プラハ本駅 [Praha-hlavní nádraží] (07:22)
プラハ本駅は、ほとんどすべての国際列車が発着するプラハ最大の駅。
 「東北東方向」 MAP F
プラハ本駅 [Praha-hlavní nádraží] (07:22)
「東北東方向」 MAP F
早朝散歩で訪れたプラハ本駅 [Praha-hlavní nádraží] (07:27)
駅構内は改札などはなく、ホームまで簡単には入れる。 プラハ最大の駅にも拘わらず閑散としており、意外な印象を受けた。
「南南西方向」 MAP G
早朝散歩で訪れたプラハ本駅 [Praha-hlavní nádraží] (07:28)
チェコの著名な建築家ヨセフ・ファンタが設計したアール・ヌーヴォー様式の美しいドーム。
「北北東方向」 MAP G
早朝散歩で訪れたプラハ本駅 [Praha-hlavní nádraží] (07:28)
チェコの著名な建築家ヨセフ・ファンタが設計したアール・ヌーヴォー様式の美しいドーム。
「南南西方向」MAP G
早朝散歩で訪れたプラハ本駅 [Praha-hlavní nádraží] (07:28)
「北方向」 MAP G
早朝散歩で訪れたプラハ本駅 [Praha-hlavní nádraží] (07:28)
「南西方向」 MAP G
早朝散歩で訪れたプラハ本駅 [Praha-hlavní nádraží] (07:29)
「北北東方向」 MAP H
早朝散歩で訪れたプラハ本駅 [Praha-hlavní nádraží] (07:29)
「北方向」 MAP H
早朝散歩で訪れたプラハ本駅 [Praha-hlavní nádraží] (07:30)
「北東方向」 MAP D
プラハ本駅のアクセス地下通路 (07:31)
1970年代に拡張された現代的な地下エリア。
「東南東方向」 MAP I
プラハ本駅のアクセス地下通路 (07:31)
1970年代に拡張された現代的な地下エリア。
「北北西方向」 MAP I
プラハ本駅のアクセス地下通路 (07:32)
1970年代に拡張された現代的な地下エリア。
「西北西方向」 MAP I
プラハ本駅 [Praha-hlavní nádraží] (07:36)
「東方向」 MAP J
ホテル エスプラナーデ プラハ [Esplanade Hotel Prague] のフロント (07:40)
早朝散歩を終え、一旦、ホテルに戻る。
「東南東方向」 MAP A
国立博物館 (新館) [Národní muzeum] (08:20)
かつては証券取引所の建物であった。 (ガイド同行ツアー)
「南東方向」 MAP K
国立博物館 [Národní muzeum] (08:21)
1800年代の終わりに、ジョセフ・シュルツ [Joseph Schultz] いう建築家によって建てられたネオ・ルネッサンス方式の建物。 中は自然史の博物館になっており、おもな展示物は鉱物や化石、剥製などで、見る人によって好みが分かれる。
「南方向」 MAP L
国立博物館 (新館) [Národní muzeum] (08:21)
元は証券取引所の建物であった。
「東方向」 MAP M
聖ヴァーツラフ [Svatý Václave] の騎馬像 (08:22)
プラハの創設者は伝説によればリブシェだが、史料から実際のチェコ国家の創造者はボジヴォイと考えられており、そしてチェコ国家の創造と関連してプラハの町が創設されたと考えられている。 このポジヴォイの孫がヴァーツラフ一世である。 聖ヴァーツラフの下の台座には、四人のチェコの守護聖人 (聖ルドミラ、聖プロコプ、聖アネシュカ、聖ヴォイチェフ) が、聖ヴァーツラフを取り巻くように立ち、台座には、聖ヴァーツラフよ [SVATÝ VÁCLAVE] :チェコの地の大公よ、我らの公よ[VÉVODO ČESKÉ ZEMÉ ,KNÍŽE NÁŠ] :聖ヴァーツラフよ[SVATÝ VÁCLAVE] :我々をも未来の子孫をも滅びさせることなかれ[NEDEJ ZAHYNOUT NÁM I BUDOUCÍM] という詩句が刻まれている。 この角度からは "NEDEJ ZAHYNOUT NÁM I BUDOUCÍM" の文字が見える。
「西南西方向」 MAP N
国立博物館 [Národní muzeum] (08:22)
1800年代の終わりに、ジョセフ・シュルツ [Joseph Schultz] いう建築家によって建てられたネオ・ルネッサンス方式の建物。 中は自然史の博物館になっており、おもな展示物は鉱物や化石、剥製などで、見る人によって好みが分かれる。
「南東方向」 MAP O
ヴァーツラフ広場 [Václavské náměstí] (08:22)
長さは約750m、幅は広いところで約60mで、広場と言うよりは、大通りといった感じ。
「北西方向」 MAP P
聖ヴァーツラフ [Svatý Václave] の騎馬像 (08:23)
プラハの創設者は伝説によればリブシェだが、史料から実際のチェコ国家の創造者はボジヴォイと考えられており、そしてチェコ国家の創造と関連してプラハの町が創設されたと考えられている。 このポジヴォイの孫がヴァーツラフ一世である。 ヴァーツラフの時代には、まだキリスト教と異教が対立していた。 熱心なキリスト教徒だったヴォーツラフは、キリスト教を広めることに努め、プラハ城に聖ヴィート聖堂を創建し、ドイツ人宣教師を招いた。 また、ヴァーツラフはドイツ王に臣従したため、このようなヴァーツラフのキリスト教的、親ドイツ的態度に反対する異教的な貴族達がいて、ヴァーツラフの実弟ボレスラフが彼らの先頭に立った。 ボレスラフはヴァーツラフを自分の領地に招いて暗殺した。 ヴァーツラフの遺骸はプラハの聖ヴィート聖堂に安置されたが、伝説によれば生前は模範的なキリスト教的統治者で、死後は奇跡を起こしたと言われる。 すでに10世紀のうちに崇拝の対象となり、聖ヴィート聖堂は重要な巡礼地となった。 ヴァーツラフは10世紀末にチェコおよび神聖ローマ帝国で聖人とされ、チェコの第一の守護聖人として盛んに崇拝されるようになった。
「南南東方向」 MAP P
聖ヴァーツラフ騎馬像前のモニュメント(08:23)
1918年10月28日にチェコスロバキア国がオーストリア・ハンガリー帝国から独立したことを記念したモニュメント。
「東南東方向」 MAP P
ヴァーツラフ広場 [Václavské náměstí] (08:24)
国立博物館 [Národní muzeum] を背にして立つ聖ヴァーツラフ騎馬像。 この銅像は2代目で、1代目は石で出来ており、現在はヴィシェフラッド [Vyšehrad] (チェコ語で高い城を意味する ) という城跡に移されている。
「南東方向」 MAP Q
ヴァーツラフ広場 [Václavské náměstí] (08:24)
伝説の中の聖ヴァーツラフは、熱心に神に仕え、正義を守り実現する、模範的なキリスト教的統治者であると同時に、悪の攻撃に対して抵抗し敵を武装解除する、模範的な騎士でもある。 そのため聖ヴァーツラフ像はチェコ人の抵抗のシンボルという意味を持ってきた。 チェコに伝わる伝説によれば、チェコ人が外敵のために滅亡に瀕したとき、聖ヴァーツラフが馬にまたがってやって来て、魔法の剣でチェコ人を敵から解放するという。
「東方向」 MAP P
ヤン・パラフとヤン・ザイーツの追悼記念碑 (08:25)
1968年にチェコスロヴァキアでは "プラハの春" と呼ばれる大きな自由化運動がおこり、これを阻止するためソ連軍を中心とするワルシャワ条約機構軍が突如国境を越えて、チェコスロヴァキア領内に侵攻した。 このような軍事的占領と反動に反対して、1969年1月19日にカレル大学生ヤン・パラフ [Jan Palach] はこの広場で抗議の焼身自殺を遂げ、その後、2月25日にはヤン・ザイーツ [Jan Zajíc] も抗議の自殺を遂げている。 意外にも、焼身自殺の希望者が多く、ヤン・パラフは抽選の結果、選ばれたと言われている。
「南方向」 MAP R
ヴァーツラフ広場にあるヤン・パラフとヤン・ザイーツの追悼記念碑 (08:26)
1848年以降、聖ヴァーツラフ像のあるプラハのヴァーツラフ広場は、たびたびチェコ人の抵抗運動が繰り広げられる舞台となり、そこの聖ヴァーツラフ像はチェコ人の抵抗のシンボルという意味合いを持っている。
「南東方向」 MAP R
ヴァーツラフ広場 [Václavské náměstí] (08:28)
ヴァーツラフ広場は1848年以前は "馬広場" と呼ばれていたが、1848年革命で重要な舞台となったこの広場は、この時にやはり重要な意味を持った聖ヴァーツラフを記念して、"ヴァーツラフ広場" と改名された。 1905年には、ヴァーツラフ広場で普通選挙を求める大きなデモが行われた。 1918年のチェコスロヴァキア独立の直前には、ヴァーツラフ広場で独立を求めるデモが繰り広げられ、聖ヴァーツラフ像の前で独立宣言が読み上げられた。 1968年の "プラハの春" の改革の際には、ヴァーツラフ広場の聖ヴァーツラフ像の下はデモや公開討論の場となり、ソ連の軍事介入後は、多くの人々がここに座り込んで抗議を示した。 1969年1月には、カレル大学生ヤン・パラフが、聖ヴァーツラフ像の下で抗議の焼身自殺を遂げた。1989年の "ビロード革命" の際にもやはり、聖ヴァーツラフ像の下に人が集まり、ヴァーツラフ広場は民主化を求める人々で埋め尽くされた。 それ以後も、ヴァーツラフ広場は示威運動や集会など社会的出来事の重要な場であり、聖ヴァーツラフ像は公式記念行事の場となっている。
「南東方向」 MAP S
ヴァーツラフ広場 [Václavské náměstí] (08:28)
1968年の"プラハの春" の改革の際には、ソ連が軍事介入し、至る所に銃弾の痕が残されていたが、1972~73年に修復工事が行われ、現在では当時の面影は残っていない。 当時は、広場の中央は路面電車が走っていたが、修復工事の際に一緒に撤去され、線路跡には草花が植えられている。
「北西方向」 MAP T
ヴァーツラフ広場 [Václavské náměstí] (08:31)
「南東方向」 MAP U
ヴァーツラフ広場 [Václavské náměstí] (08:31)
「南東方向」 MAP U
ヴォディチコヴァ [Vodićkova] 通り (08:34)
前方を左右に横切る通りはヴァーツラフ広場。
「北東方向」 MAP V


プラハ市電 (トラム)
 地下鉄と並んで市内を網羅して走る、プラハ市電 (トラム) は、140km以上の路線網を持つ市民と観光客の重要な足となっている。 開放感のある広い窓からは、首都プラハの風景を楽しむ事が出来る。

プラハ城
プラハ城(Pražský hrad)は、チェコの首都プラハに位置する世界最大級かつ最古の城郭で、9世紀に創設され、かつてはボヘミア国王や神聖ローマ皇帝の居城として、また現在では、チェコ共和国の大統領府として使用されている。 敷地面積は約70,000㎡におよび、ギネスブックにもその規模が記録されている。 単一の建物ではなく、広大な敷地内には、聖ヴィート大聖堂、旧王宮、黄金の小路などが集まった「城郭都市」のような構造となっている。 1992年には「プラハ歴史地区」の一部としてユネスコ世界文化遺産にも登録されている。
ヴォディチコヴァ [Vodićkova] 通り (08:34)
この通りから貸し切りの路面電車に乗り、プラハ城 [Pražský hrad] へ向かう。
「南南西方向」 MAP A
ヴォディチコヴァ [Vodićkova] 通り (08:44)
この通りから貸し切りの路面電車に乗り、プラハ城 [Pražský hrad] へ向かう。
「東北東方向」 MAP B
ヴォディチコヴァ [Vodićkova] 通り (08:44)
この通りから貸し切りの路面電車に乗り、プラハ城 [Pražský hrad] へ向かう。
「東方向」 MAP B
ヴォディチコヴァ [Vodićkova] 通り (08:44)
この通りから貸し切りの路面電車に乗り、プラハ城 [Pražský hrad] へ向かう。
「南南西方向」 MAP B
ヴォディチコヴァ [Vodićkova] 通り (08:45)
この通りから貸し切りの路面電車に乗り、プラハ城 [Pražský hrad] へ向かう。 この人は車掌さん、チェコでは伝統を守り今でも車掌さんが乗車している。 ただし、貸し切り車両のみで、一般車両は運転手のみ。
「北方向」 MAP C

Video Video 
この路面電車は1915年製 (08:47)
ラザルスカー [Lazarská] 通りを右折し、スパーレナー [Spálená] 通りへ入る。
「北北西方向」 MAP D
路面電車から見る国民劇場 [Národni divadlo] (08:50)
「南南西方向」 MAP E
レギー橋 [Most Ledií] (チェコ軍団橋) (08:51)
路面電車で渡るレギー橋 [Most Ledií] と、その下を流れるヴルタヴァ川 。
「南南西方向」 MAP F
レギー橋 [Most Ledií] (チェコ軍団橋) (08:51)
路面電車で渡るレギー橋 [Most Ledií] と、その下を流れるヴルタヴァ川 。
「北北東方向」 MAP G
クラーロフ [Klárov] 通り (09:00)
「北方向」 MAP H
ホトコヴァ [Chotkova] 通り (09:01)
「西方向」 MAP I
路面電車のプラハ城駅 (09:06)
ここで下車。
「東方向」 MAP J
路面電車のプラハ城駅 (09:06)
ここで下車し、火薬橋通りを通ってプラハ城へ向かう。
「西南西方向」 MAP J
火薬橋通り [U Prašného mostu ] (09:09)
前方に見えるのが、火薬橋。
「南方向」 MAP K
火薬橋通り [U Prašného mostu ] (09:09)
尖塔のある建物は、聖ヴィート大聖堂 [ Katedrála svatého Víta] 。
「南東方向」 MAP L
火薬橋 [Prašného mostu ] (09:10)
橋の下は鹿の谷という堀で、鹿を飼っていたため、この名が付いた。
「南方向」 MAP M
プラハ城 [Pražský hrad] の北に位置する通用門 (09:11)
中央は車道で、歩行者は左の衛兵の横を通り、第2の中庭へ入る。 衛兵の交代式は、毎正時に行われる。
「南東方向」 MAP N
プラハ城 [Pražský hrad] の北に位置する通用門 (09:11)
「南東方向」 MAP N
第2の中庭 (09:12)
この庭の周りの建物は1700年代に、 ニコラパッカシー という建築家が建てたもので、現在は大統領の執務室や迎賓館として使用されている。 春と秋の特別公開日以外は一般には公開されていない。
「南南東方向」 MAP O
第2の中庭 (09:13)
左の鳥かごのような物は井戸で、籠城に備え、城内に造られたもの。 右の噴水は彫刻家ジェロニーム・コール [Jeroným Kohl] の名を取って、コールの噴水 [Kohlova kašna] と呼ばれている。 井戸と噴水の間に見える白い建物は、聖十字架礼拝堂 [Kaple svatého Kříže] 。
「南東方向」 MAP P
コールの噴水 [Kohlova kašna] (09:14)
この噴水は、1686年に彫刻家ジェロニーム・コール [Jeroným Kohl] と石工フランチェスコ·バルトロメオ·デッラ·トッレ [Francesco Bartolomeo della Torre] によって造られた。 前者の名を取ってコールの噴水と呼ばれている。 左横の白い建物は、聖十字架礼拝堂 [Kaple svatého Kříže] 。
「南南東方向」 MAP Q
第2の中庭にある井戸 (09:14)
「東方向」 MAP R
聖ヴィート大聖堂 (09:16)
「東北東方向」 MAP S
  1 – Severní věž
2 – kaple Bartoňů z Dobenína
3 – Schwarzenberská kaple
4 – Nová arcibiskupská kaple
5 – Hilbertova kaple
6 – Nová sakristie
7 – Bílkův oltář
8 – Kenotaf sv. Vojtěcha
9 – Východ z krypty
10 – Wohlmuthova kruchta
11 – kaple Svatého Zikmunda
11 – Svatý Zikmund
12 – Barokní kazatelna
13 – Colinovo mausoleum
14 – Stará sakristie
15 – Opukový oltář
16 – Reliéf Prahy 1620
17 – kaple Svaté Anny
18 – kardinál Schwarzenberg
19 – Stará arcibiskupská kaple
20 – legenda o sv. Janu Nepomuckém
21 – kaple Svatého Jana Křtitele
 
22 – Svatý Vít
23 – kaple Nejsvětější Trojice
24 – kaple svatých Ostatků
25 – Svatý Jan Nepomucký
26 – kaple Sv. Jana z Nepomuku
26 – Svatý Vojtěch
27 – Plenění katedrály
28 – kaple Máří Magdaleny
29 – Královská oratoř
30 – kaple svatého Kříže
31 – kaple Svatého Ondřeje
32 – Náhrobek Leopolda hraběte Šlika
33 – kaple svatého Václava
34 – Svatý Václav
35 – Zlatá brána
36 – Velká jižní věž
37 – Kapitulní knihovna
38 – Thunovská kaple
39 – kaple Božího hrobu
40 – kaple Svaté Ludmily
41 – Jižní věž
42 – Západní portál
  
 聖ヴィート大聖堂 [Katedrála svatého Víta] の見取り図と撮影位置
元画像出典
第3の中庭にある、聖ヴィート大聖堂 [Katedrála svatého Víta] (09:17)
この大聖堂は、プラハ城の主教会であり、ボヘミア大司教座教会であり、プラハ城のシンボルでもある。 城の敷地内に大聖堂があるという例はヨーロッパでも珍しく、プラハ城の荘厳さを増している。 建て始めたのが1344年、完成したのが1929年9月28日で、聖ヴァーツラフの殉教1000年記念の日に、完成した姿で公開された。 工事は途中々断されていたが585年の歳月をかけて建てられた。 大聖堂の正式名称は「聖ヴィート、聖ヴァーツラフ、聖ヴォイチェフ 大聖堂」 [Katedrála svatého Víta, Václava a Vojtěcha] で、3人の聖人の名を冠している。
「東北東方向」 MAP T
聖ヴィート大聖堂 [Katedrála svatého Víta] (09:17)
正門の左にある、通用門から聖堂内へ入る。
「東方向」 MAP T
拝廊から主祭壇を望む (聖ヴィート大聖堂) (09:18)
この教会の建築は途中、中断をはさんで完成したため、翼廊部より向こう側が古い部分、こちら側が新しい部分になっている。
「東北東方向」 MAP T
聖ヴィート大聖堂 [Katedrála svatého Víta] (09:18)
天井の高さは33.2メートルあり、ゴシック様式で造られている。 天上に近づくため、縦の線を多用してより高く見えるように工夫されている。
「東北東方向」 MAP T
聖ヴィート大聖堂 [Katedrála svatého Víta] (09:18)
この教会の大きさは、縦124メートル、横幅60メートル、高さ33.2メートルである。
「東北東方向」 MAP T
聖ヴィート大聖堂 [Katedrála svatého Víta] (09:19)
側廊部の窓には多くのステンドグラスが嵌めこまれている。 作品は比較的新しく1920~1930年代に作られた物。
「北方向」 MAP T
〖八つの幸福〗(09:19)
キリストは "山上の垂訓" (さんじょうのすいくん) という話の中で "八つの幸福" について語った。 この "八つの幸福" が主題になっている。 八つの幸福とは、 『 1、心の貧しい者は幸いです。 2、悲しむ者は幸いです。 3、柔和な者は幸いです。 4、義に飢え渇いている者は幸いです。 5、あわれみ深い者は幸いです。 6、心のきよい者は幸いです。 7、平和をつくる者は幸いです。 8、義のために迫害されている者は幸いです。』 を意味する。
「北北西方向」 MAP T
〖ヤン・ネポムツキーとシュヴァルツェンべルクの生涯〗(09:20)
旧約聖書から題材が取られ、右は "イサクの犠牲" 、左は "ハガル" の追放を表している。 真ん中の下の部分は、南ボヘミヤの領主シュヴァルツェンべルク家の紋章が表されている。
「北方向」 MAP T
聖ヴィート大聖堂 [Katedrála svatého Víta] (09:21)
主祭壇の上にあるステンドグラスの真ん中の上は、三位一体を表したステンドグラスで、精霊と神様とキリストを表している。 白い鳩が精霊を表し、王冠をかぶっているのが神様、その下がキリストを表している。 その右のステンドグラスで、赤いマントを着て旗を持っているのが聖人ヴァーツラフ、その後ろでシュロの葉を持って小首を傾げているのが聖ヴィート、その下でこの教会の模型を捧げ持っているのが、この教会を建てるように言ったカレル4世を表している。
「東北東方向」 MAP T
聖ヴィート大聖堂 [Katedrála svatého Víta] (09:21)
天地創造を表したバラ窓で、幅は10.6メータ、2万7千枚余りのガラスと261コの石を使った作品。(インスブルック製)
「西南西方向」 MAP T
〖聖キリルと聖メトディウスの下におけるキリスト教の伝道と
聖ルドミラと聖ヴァーツラフの下におけるキリスト教の広がり〗(09:21)
一番有名なステンドグラス、アルフォンス・マリア・ミュシャ [Alfons Maria Mucha] の作品。
「南南西方向」 MAP T
〖ペンテコステ [Pentecostes] (五旬節)〗(09:22)
新約聖書のエピソードの1つ、『復活したイエスは弟子たちに「近いうちに聖霊が降る」ことを告げて、天に昇っていく。それから10日後、ユダヤ教の五旬祭 (ごじゅんさい) の日に使徒 (12人) とイエスの母や兄弟たち、イエスに従った女たちが集まって祈っていると、激しい風のような音が聞こえ、天から炎のような舌が一人ひとりの上に分かれて降った。集まって祈っていた信徒たちは聖霊に満たされ、さまざまな国の言葉で話せるようになり、各地に伝道に出かけていった。』 を表したもの。 ちなみに、使徒12人のうち9人にはマントや帯に名前が書いてあるが、上の3人 (マリア、ヨハネ、ペテロ) には、名前は書かれていない。
「南西方向」 MAP T
〖慈悲〗(09:23)
中央部には捕らわれた動物を放している場面を表現し、その周りには病人の世話をしている人や、貧しい人々に食べ物を与えている人たちを表現しいる。
「南東方向」 MAP T
聖ヴィート大聖堂 [Katedrála svatého Víta] (09:23)
側廊部の窓には多くのステンドグラスが嵌めこまれている。 作品は比較的新しく1920~1930年代に作られた物。
「北方向」 MAP T
第3の中庭にある、聖ヴィート大聖堂 [Katedrála svatého Víta] (09:31)
この大聖堂は、プラハ城の主教会であり、ボヘミア大司教座教会であり、プラハ城のシンボルでもある。 城の敷地内に大聖堂があるという例はヨーロッパでも珍しく、プラハ城の荘厳さを増している。 建て始めたのが1344年、完成したのが1929年9月28日で、聖ヴァーツラフの殉教1000年記念の日に、完成した姿で公開された。 工事は途中々断されていたが585年の歳月をかけて建てられた。 大聖堂の正式名称は「聖ヴィート、聖ヴァーツラフ、聖ヴォイチェフ 大聖堂」 [Katedrála svatého Víta, Václava a Vojtěcha] で、3人の聖人の名を冠している。
「北方向」 MAP U
聖ヴィート大聖堂 [Katedrála svatého Víta] (09:31)
ゴシック様式の教会には、出入り口に塔が設けられている。 左に見える西側の塔は82メートルあり、中央に見える南側の塔は、この教会で一番高く、96.5メートルある。 この塔と、塔に設けられている時計は1500年代の物で、時計は上下に、二つ付けられている。 上の時計は "時" のみを示し、下の時計は "分" のみを示す、二つで一つの時計になっている。 ちなみに、この時点で、9時31分を示している。
「北方向」 MAP U
聖ヴィート大聖堂 [Katedrála svatého Víta] (09:32)
当初、中央に見える塔から右側の建物のみが完成し、使用されていたが、1800年代に民族運動が高まり、民族の象徴として完成させることになった。 中央に見える塔の右側には、1370年に作成された "黄金の扉" (ゴールデン・ポータル) と呼ばれる元の入口 がある。 その上はベネチアから連れてきたモザイク細工師による、"最後の審判" のモザイク細工で飾られている。
「北方向」 MAP U
第1の中庭 (09:41)
中庭側から見るプラハ城 [Pražský hrad] の正門。 門の左右には、棍棒と短刀を持ち戦う巨人が立つ。 右に見える白い建物は、大司教宮殿 [Arcibiskupský palác] 。
「西南西方向」 MAP V
マティアス門 [Matyášova brána] (09:41)
ハプスブルグの王、マティアスによって造られた門で、門の上には金文字で 『D. MATTHIAS EL ROM. IMP. S. AVG. HVNG BOH. REX. 2C. F F ANO MDCXIV』 (マティアス、ローマの皇帝、ボヘミア・ハンガリーの王、1614年) と書かれている。 その両側にはモラヴィア産のモミの木で出来た高さ25メートルの旗竿がありチェコの国旗が掲げられている。
「北北東方向」 MAP V
第1の中庭 (09:42)
マティアス門とモラヴィア産のモミの木で出来た旗竿。
「北北東方向」 MAP W
第1の中庭 (09:42)
マティアス門とモラヴィア産のモミの木で出来た旗竿。
「北北東方向」 MAP W
正門前に広がるフラッチャニ広場 [Hradčanské náměstí] (09:43)
中央やや左に見える鱗状の壁面をもつ建物は、シュヴァルツェンベルク宮殿 [Schwarzenberský palác v Praze] 。 右端の白い建物は、大司教宮殿 [Arcibiskupský palác] 。
「西南西方向」 MAP X
フラッチャニ広場 [Hradčanské náměstí] (09:43)
この辺りは、1300年代から人が住み始め、1541年にプラハ市が大火に遇った後は、貴族の館が建ち並ぶようになった。 写真の建物は、かつてファルムという貴族の館だった。 
「南南西方向」 MAP X
フラッチャニ広場 [Hradčanské náměstí] (09:43)
この広場からは、プラハ市街が一望できる。
「南南東方向」 MAP X
プラハ城 [Pražský hrad] の正門前に広がるフラッチャニ広場 [Hradčanské náměstí] (09:43)
中央に見える彫像はチェコスロバキア初代大統領 トマーシュ・ガリッグ・マサリク [Tomáš Garrigue Masaryk] の彫像。
 「南西方向」 MAP X
プラハ城の正門前に広がるフラッチャニ広場 [Hradčanské náměstí] (09:43)
右端は、大司教宮殿 [Arcibiskupský palác] 。 中央奥に見える建物は、トスカーナ宮殿 [Toskánský palác] (現在はチェコ共和国外務省) 。 その左の屋根に十字架のある建物は、聖ベネディクト教会 [Kostel svatého Benedikta] 。 その手前に見える鱗状の壁面をもつ建物は、シュヴァルツェンベルク宮殿 [Schwarzenberský palác v Praze] で現在はナショナルギャラリーのバロック芸術部門として使用されている。 その手前は、ファルムという貴族の館だった。
 「西南西方向」 MAP X
プラハ城 [Pražský hrad] の正門 (09:44)
門を入ったところにある建物は、迎賓館として使用されている。
「東方向」 MAP Y
プラハ城 [Pražský hrad] の正門 (09:44)
フラッチャニ広場から見る、プラハ城の正門。  門の左右には、彫刻家イグナーツ・プラツェルの作品、棍棒と短刀を持ち戦う巨人の像が立つ。 (1768年の作品だが、20世紀の初めに複製されている) 
「東方向」 MAP Y
フラッチャニ広場 [Hradčanské náměstí] (09:45)
この広場からは、プラハ市街が一望できる。
「南方向」 MAP Z
プラハ城の正門 (09:46)
門を入ったところにある建物は、迎賓館として使用されている。
「北北東方向」 MAP a
フラッチャニ広場 [Hradčanské náměstí] (09:46)
「北北西方向」 MAP a
大司教宮殿 [Arcibiskupský palác] (09:46)
フラッチャニ広場に面して建つ大司教宮殿 。 現在でも大司教が使用している。
「北西方向」 MAP a
プラハ城からの展望 (09:47)
緑の屋根が見えているのが 聖ミクラーシュ教会 [Kostel svatého Mikuláše] その向こうにあるカレル橋に向かって歩く。 (橋は見えていない)
「東南東方向」 MAP b
プラハ城から市街を望む (09:47)
「南東方向」 MAP b
プラハ城から市街を望む (09:47)
「南南東方向」 MAP b
プラハ城から市街を望む (09:47)
「南方向」 MAP b
プラハ市街を一望できるテラス、右はフラッチャニ広場 (09:48)
「西南西方向」 MAP b
プラハ市街を一望できるテラス、左はプラハ城 (09:48)
「北東方向」 MAP b
プラハ城から市街を望む (09:49)
「南東方向」 MAP c


 カレル橋(Karlův most)
カレル橋 (Karlův most) は、チェコの首都プラハを流れるヴルタヴァ川 (モルダウ川) に架かる、プラハ最古の歴史的な石造アーチ橋で、建設は、ペトル・パルレーシュの設計により、1357年に始まり、1402年に完成した。 1841年までプラハ旧市街とその周囲をつなぐ唯一の橋であった。 現在は歩行者専用の道路となっており、プラハ城と並ぶ街の一大観光名所として、昼夜を問わず多くの世界中の旅人で賑わっている。
ネルドヴァ 通り [Nerudova] (09:51)
ネルドヴァ通りの名称は、かつて、この通りに ヤン・ネルダ [Jan Nepomuk Neruda] という作家が住んでいたために付けられた名前。 この通りは古い通りで、かつては番地がなく、番地代わりに入口の上に描かれた家紋によって区別されていた。
「東南東方向」 MAP A
ヤン・ネルダの家 (09:53)
かつて、この家にはチェコのジャーナリストであり、19世紀のチェコを代表する作家、詩人であるヤン・ネルダ [Jan Nepomuk Neruda] が住んでいた。 入口の上には2つの太陽の家紋が描かれていて、"2つの太陽の家" と呼ばれていた。
「南方向」 MAP B
ネルドヴァ 通り [Nerudova] (09:54)
ヤン・ネルダが住んでいた右隣の家には、白鳥がデザインされており、白鳥の家と呼ばれ、右に見える緑の家には星が描かれていて、星の家と呼ばれていた。 かつては、これらの家紋が番地代わりをしていた。
 「南西方向」 MAP B
ネルドヴァ 通り [Nerudova] (09:55)
3つの番地が付いている家。 一番上にある白地に赤で書かれた番地は、マリア・テレジアの時代に初めて使われた番地で、現在は青地に白で書かれた地域を示す番地と、赤地で白で書かれた通りを示す番地が使われている。 ちなみに、入口の上には、家紋のザリガニの一部が見える。
「東南東方向」 MAP C
ネルドヴァ 通り [Nerudova] (09:55)
「東方向」 MAP D
ネルドヴァ 通りにあるイタリア大使館 (09:57)
かつての貴族の館は、官庁や学校、大使館などとして使用されている。
「東北東方向」 MAP E
ネルドヴァ 通り [Nerudova] (09:58)
写真の右上には、赤い羊の家紋がある。 これらの番地代わりの家紋はハフ°スフ゛ルク家の女帝として名高いマリア・テレジアの政策で本格的に番地表示が始まる1770年頃まで続いたといわれる。
「東方向」 MAP F
トゥーン・ホーエンシュタイン宮殿 [Thun-Hohenstein palác] (09:59)
かつて、貴族の館であったが、現在はイタリアの大使館として使用されている。 入口の両側にはホーエンシュタイン家の紋章である鷲が施されている。
「北北東方向」 MAP F
マラー・ストラナ広場 [Malostranské náměstí] (10:01)
聖ミクラーシュ教会 [Kostel svatého Mikuláše]* をぐるりと囲む大きな広場。
「南東方向」 MAP G

英語では、Church of Saint Nicholas (聖ニコラス教会)
ペスト円柱 (三位一体柱) (10:02)
18世紀初頭に、プラハで流行したペストの終焉を記念して建てられた。
「東方向」 MAP H
聖ミクラーシュ教会 [Kostel svatého Mikuláše]* (10:02)
もとは13世紀後半に建てられたゴシック建築の教会だったが、19世紀初頭から約半世紀をかけて、豪華で壮麗なバロック様式の教会になった。 ちなみに、モーツァルトは1787年にこの教会でオルガン演奏をしたことがあり、モーツァルトが死去したときには世界に先がけて追悼ミサが行われた。 この建物はイエズス会のために建てられた建物で、左の白壁の部分はイエズス会の修道士の家だったところ。
「南東方向」 MAP I

英語では、Church of Saint Nicholas (聖ニコラス教会)
聖ミクラーシュ教会 [Kostel svatého Mikuláše]* (10:04)
屋根にある十字架の下のに "IHS" の文字がデザインされているのは "神は我々と共にある" という意味で、イエズス会の教会には、よく付けられている紋章。 その "IHS" の紋章の下に立っているのは、ミクラーシュ [Mikuláše] の彫像で、その両脇には4体の彫像が立っている。 左に立つ2体のうち、左のタブレットを持った彫像は、イエズス会の創設者イグナチオ・デ・ロヨラ [Ignacio López de Loyola] 、その右で鍵を持っている彫像は、聖ペテロ [Svatý Petr] 、右に立つ2体のうち、左の剣を持った彫像は、聖パウロ [Svatý Pavel] 、その右に立つ彫像は、フランシスコ・ザビエル [Francis Xavier] 。
「東北東方向」 MAP J

英語では、Church of Saint Nicholas (聖ニコラス教会)
リヒテンシュタイン宮殿 [Lichtenštejnský palác] (10:04)
左の水色の建物は、現在はプラハ芸術アカデミー音楽学部の校舎およびコンサートホールとなっているリヒテンシュタイン宮殿。 ビーラー・ホラ [Bílá hora] (白山) の戦いに勝利し、チェコ貴族たちを処刑したカール・リヒテンシュタイン公が居を構えていた場所。 中央やや左の高い建物はヴィート大聖堂。
「北北西方向」 MAP J
聖ミクラーシュ教会 [Kostel svatého Mikuláše]* とマラー・ストラナ広場 (10:08)
「北西方向」 MAP K

英語では、Church of Saint Nicholas (聖ニコラス教会)
カレル橋 [Karlův most] (10:13)
カレル4世が1357年に建築家ペトル・パルレー [Peter Parler] に造らせたもので、長さ 516メートル、幅 9.6メートルある。 この橋は南から北へ流れる ヴルタヴァ川 (チェコ語:Vltava, ドイツ語:Moldau) に架かけられた橋で、欄干に彫像があることで有名。 彫像は最初からあったわけではなく、1600年代後半から1体ずつ奉納のようなかたちで、付け加えられていった。 彫像は30体あったが、現在は1体すくなく南側15体、北側14体の計29体になっている。 そのうち、28体が石像、1体が銅像で全て聖人像である。 (12体はレプリカで、17体はオリジナル)
「東南東方向」 MAP L
2つの橋塔 (10:15)
カレル橋の小地区 [MALÁ STRANA] 側には2つの橋塔がある。 12世紀の初め、現在のカレル橋のやや上流に木造の橋がかけられていたが、その橋は12世紀半ばの洪水で流されてしまった。 そこで今度は新しく石橋が建造され、ヴラティスラ2世の第2妃の名をとってユディット橋 [Juditin most] と名付けられた。 しかし、この橋も1342年の洪水で破壊されてしまった。 その後、カレル4世の命によって1357年に着工し60年近くかけて完成されたのが現在のカレル橋である。 2つの橋塔のうち、左側の低い塔は元々ユディット橋に付けられていたもので、1591年に修復され現在の外観になっている。 また、大きい方は1464年にポジェブラディ王の発案で古くからあった塔の跡に建てられたものである。 (塔内は見学できる)
「西北西方向」 MAP M
修道院水車 [Velkopřevorský mlýn] (10:15)
修道院水車は、12世紀ごろウラジスラフ1世 [Vladislav I.] の要請により "鎖下の聖母教会" [Kostel Panny Marie pod řetězem]に居を構えていたマルタ騎士団 [Maltézský řád] によって建設された。 その後様々な変遷を経て、現在はカンパ島 [Kampa] のシンボルとして再建されている。
「南南西方向」 MAP M
修道院水車 [Velkopřevorský mlýn] (10:15)
"鎖下の聖母教会" [Kostel Panny Marie pod řetězem] は水車から右 (西) へ 約50メートル入ったところにある。 水車の建設に合わせて、この運河も掘られている。 運河の左手が、カンパ島 [Kampa] 。
「南南西方向」 MAP M
カレル橋の名物バフォーマー (10:19)
手動のオルガンを弾きながらCDを売っている。
「南方向」 MAP N
聖ヤン・ネポムツキー像の台座にあるレリーフ (10:19)
カレル大学で神学を学んだヤン・ネポムツキーは、十数年間ハブェル教会で説教師をしたのち、司祭として宮廷に仕えていた。 一説によると、ある日、彼は職務でジョフィエ王妃の懺悔を聞く。 国王ヴァーツラフ四世は、王妃に不貞の疑いを抱き、ネポムツキーに告解の内容を明かすよう迫る。 いかし、脅しても一言も漏らそうとしない態度に激怒した国王は、ネポムツキーの舌を切り取り、カレル橋から突き落として溺死させてしまった。  この言い伝えを題材にレリーフは造られている。 ちなみに、レリーフに手 (心臓に近い左手) を触れると幸運が訪れるとの言い伝えから、触れられた部分だけが輝いている。
「東北東方向」 MAP O
聖ヤン・ネポムツキー像の台座にあるレリーフ (10:20)
ヤン・ネポムツキーが、カレル橋からヴルタヴァ(モルダウ)川に投げ込まれる様子を表している。
「北西方向」 MAP O
聖ヤン・ネポムツキー [Svatý Jan Nepomucký] 像 (10:20)
ほかの像は全て石造りであるのに、この像だけはブロンズで造られている。 十字架を抱え、右手に棕櫚の枝を持ち、頭上に五つの星が円を描いている。
「北方向」 MAP O
聖ヤン・ネポムツキー像の台座にあるレリーフ (10:21)
跪いて懺悔している女性が王妃ジョフィエ、壁の向こうに足だけが見えているのがヤン・ネポムツキー、犬を連れ鎧を着た男性が国王ヴァーツラフ四世を表している。
「北西方向」 MAP O
聖ヤン・ネポムツキー像とプラハ城 (10:22)
「北西方向」 MAP P
聖ヤン・ネポムツキー像とプラハ城 (10:22)
「北西方向」 MAP P
カレル橋 [Karlův most] (10:23)
「北西方向」 MAP Q
カレル橋 [Karlův most] (10:23)
「北西方向」 MAP Q
カレル橋 [Karlův most] とプラハ城 (10:24)
「西北西方向」 MAP R
プラハ城 [Pražský hrad] (10:26)
「北西方向」 MAP S
カレル橋から見るプラハ城 (10:27)
「西北西方向」 MAP S
カレル橋から見るプラハ城 (10:27)
「西北西方向」 MAP S
カレル橋 [Karlův most] (10:28)
「北西方向」 MAP T
カレル橋 [Karlův most] (10:28)
「北西方向」 MAP T
カレル橋 [Karlův most] (10:28)
「西北西方向」 MAP T
カレル橋 [Karlův most] (10:29)
「西北西方向」 MAP U
カレル橋 [Karlův most] (10:29)
「西方向」 MAP U
カレル橋 [Karlův most] (10:29)
東側 (旧市街側) の橋塔。
「東南東方向」 MAP U
カレル橋 [Karlův most] (10:32)
「西北西方向」 MAP V
東側 (旧市街側) の橋塔門 (10:35)
「東方向」 MAP V
東側 (旧市街側) の橋塔 (10:38)
左に見える塔は旧市街側の橋塔で、白山の戦いの後、27人のプロテスタントの指導者たちは旧市街広場で処刑され、勝ち誇る皇帝フェルディナント2世は、そのうちの12名の首をこの橋塔の上部に10年間も晒させた。 中央に見える銅像はカレル4世像で、カレル大学創設500周年を記念してたてられた。
「西北西方向」 MAP W


 プラハ旧市街広場 [Staroměstské náměstí]
プラハ旧市街広場 [Staroměstské náměstí] は、チェコの首都プラハの中心部に位置する、世界で最も美しい広場の一つ。 12世紀から中世ボヘミア王国の市場や集会の場として栄え、周囲にはゴシック、バロック、ルネサンスなど様々な建築様式の歴史的建造物が並んでいる。
カルロヴァ (カレル) [Karlova] 通り (10:38)
カレル橋から旧市街広場へ向かう途中の通り。
「東方向」 MAP A
カルロヴァ (カレル) [Karlova] 通り (10:40)
カレル橋から旧市街広場へ向かう途中の通り。 突き当たりにある建物は "黄金の泉の館" という16世紀の歴史的建築物で、1989年以後この建物は私有資産となり、以来ホテルとして使用されている。 バロック様式のファザードには、金色の星の中に聖母子像が、その周りには聖人像が彫られている。
  「東方向」 MAP B
伝説の女王リブシェ [Libuše] (10:41)
建物の三階に座っているのは伝説の女王リブシェ。 伝説によればリブシェは超能力を有し、その超能力によってプラハを誕生させ、プラハの歴史を始動させたとされている。
「南方向」 MAP C
クラム・ガラス宮殿 [Clam-Gallasův palác] (10:42)
旧市街にあるバロック様式の宮殿で、18世紀初頭にハプスブルク大使のために建造された。 現在はプラハ市の公文書館の一部として使用されている。
「北東方向」 MAP D
フソブァ (フス) [Husova] 通り (10:43)
この通りは旧市街で一番古い通りの一つ。
「南南東方向」 MAP E
旧市庁舎 [Staroměstská radnice] (10:46)
左のスグラッフィート壁画の建物から旗の立っている建物までが旧市庁舎。 最初、1338年に既に建っていた建物 (旗の立っている建物) を買収し、以後、スグラッフィート壁画の既設建物まで買いつなげていった。 その結果、市庁舎は五つの建物で構成され、塔だけは買収後増築されている。 スグラッフィート壁画の建物は、かつて一分の家と言われ、プラハの作家フランツ・カフカ [Franz Kafka] が子供の頃に住んでいた家。
「東北東方向」 MAP F
旧市庁舎 [Staroměstská radnice] (10:46)
左のスグラッフィート壁画の建物から旗の立っている建物までが旧市庁舎。 最初、1338年に既に建っていた建物 (旗の立っている建物) を買収し、以後、スグラッフィート壁画の既設建物まで買いつなげていった。 その結果、市庁舎は五つの建物で構成され、塔だけは買収後増築されている。
 「東北東方向」 MAP F
ゴシック様式の旧市庁舎の塔 (10:48)
1364年に旧市庁舎に増築された塔は、高さ69.5メートルで、展望台までエレベータで上ることが出来る。 ちなみに、塔への入場料金は100コルナで、チェコ通貨 (コルナ) のみ有効。
「北北西方向」 MAP G
旧市街広場 [Staroměstské náměstí] (10:48)
中央のやや右に見える2つの塔をもつ建物は、百塔の街プラハの象徴とも言えるティーン教会 [Matka Boží před Týnem] (ティーンの前の聖母マリア教会) 。 ティーン [Týnem] は税関を意味する言葉で、かつて外国商人が行き交う市場であって、税関があった場所だったことから、この名がつけられた。 この教会は、プラハ城とヴィシェフラットに次いで、プラハで最も古い建物の一つで、この教会では重要な国家的行事や、かつての君主たちの戴冠式や結婚式などが行われた。 ゴシック様式のティーン教会の前身は "ティーン庭" にやって来る商人たちが訪れていたロマネスク様式の教会だったが、13世紀に初期ゴシック様式の教会に変えられ、さらに14世紀に今日のティーン教会の姿に変えられた。 外部はゴシック様式、内部はバロック様式になっており、現在はカトリックの教区教会として使用されている。
「北東方向」 MAP G
旧市庁舎 [Staroměstská radnice] (10:49)
旧市庁舎の壁に設置された1410年製の複雑な中世の時計で、毎正時(1時間ごと)に仕掛けが動き、12使徒の人形が現れる姿を見ようと多くの観光客が集まっている。
市庁舎は五つの建物で構成され、塔だけは買収後増築されている。
「西方向」 MAP G
旧市庁舎の天文時計 [Orloj] (10:50)
天文時計は、きわめて複雑な仕掛けで、縦に2つの文字盤が並んでおり、上の文字盤が時計、下の文字盤がカレンダーになっていている。 1410年頃に国王の時計職人カダニュのミクラーシュとプラハ大学の天文学者ヤン・シンデルによって制作され、1490年頃に旧市街参事会の時計技師ハヌシュ・ルージュによって改造された。 17世紀になって十二使徒の人形が取り付けられ、毎正時になると時計に取り付けられたガイコツの人形が右手に持っている紐を引き、左手に持っている砂時計を横にして首を振り始める。 すると上にある二つの窓が開き鐘の音にあわせて人形の行列が始まる。 同時に右端にいる楽器を持ったトルコ人と左端にいる鏡を持った人形は首を振り始め、左から2番目の大きなツバの帽子をかぶったユダヤ人の人形は杖と袋と首を振り始める。 これらは虚栄心、貪欲、死神、異教徒の侵略という4つの恐れを表している。 カレンダーの両脇の人形には仕掛けがなく、歴史記録者、天使、天文学者、哲学者を表している。 現在は1948年に取り付けられた電動装置によって動いている。
「北北西方向」 MAP G

天文時計 Video Video
旧市街広場 [Staroměstské náměstí] (11:03)
左手の建物は、聖ミクラーシュ教会 [Kostel svatého Mikuláše] 。 もともとこの場所には、13世紀の初めにロマネスク様式で建てられた、ドイツ人商人居住地の教区教会があり、これも聖ミクラーシュ教会という名前だった。 この教会が取り壊されて、1732~1737年にバロック様式で建てられたのが、現在の聖ミクラーシュ教会。 内部は聖ミクラーシュの生涯や聖書に題材をとった華麗な天井画、バロック様式の重厚な彫刻で満たされている。 現在はフス派の教会になっており、夏の夜にはミニコンサートが催される。
「北北西方向」 MAP H
ゴシック様式の旧市庁舎塔 (11:03)
この塔の左側面に天文時計がある。
「西南西方向」 MAP H
旧市街広場 [Staroměstské náměstí] (11:04)
右端に見える、屋根に黒い尖り帽子をかぶったような建物は "石の鐘の館" [Dům u kamenného zvonu] と呼ばれ、14世紀に建てられたゴシック様式の建物。 この家には1333年にカレル4世が滞在したという記録がある。 建物の角に石の鐘が装飾されていることから "石の鐘の館" と呼ばれ、現在は、プラハ市のギャラリーとして使用されている。 その左の、ピンク色を基調とした建物は、ゴルツ・キンスキー宮殿 [Palác Golz-Kinských] と呼ばれ、1755年から1765年にかけて建築された後期バロック様式の宮殿で、ロココ調新古典主義の装飾がなされている。 現在はナショナルギャラリー (アジア絵画部門) として使用されている。
「北北東方向」 MAP H
エルペット [ERPET] (11:26)
旧市街広場に面したところにある、ボヘミアンガラスとガーネットの店。 日本人の店員さんが19時までいるので、言葉の不安はない。 観光中いつでもトイレを借りることが出来る。
「南南東方向」 MAP I
エルペット [ERPET] (11:49)
「北北西方向」 MAP I
レストラン・スタレー・チャッシー [Restaurace Staré časy] (12:03)
MAP J
ハヴェル市場 [Havelské tržiště] (13:09)
昼食後は、各自自由行動で、夕食に出かける時間までにホテルに帰っておく。
Havelská 通りにある野菜と土産物市場で、1232年から始まったプラハの中でも歴史のあるマーケットの一つ。
「南西方向」 MAP K
ハヴェル市場 [Havelské tržiště] (13:18)
約30%が野菜と果物店で、あとの約70%が土産物店になっている。
「北東方向」 MAP L
ハヴェル市場 [Havelské tržiště] (13:20)
向こうに見える教会は、聖ハヴェル教会 [Kostel svatého Havla] 。
「東北東方向」 MAP M
旧市庁舎 [Staroměstská radnice] (13:26)
右の白い建物は、 "ヴォルフリン" の家を買い取って改築した建物で、市庁舎の建物の核になった建物。 真ん中のピンク色の建物は、 "クシーシュの家" と呼ばれていた建物で、ルネサンス様式の窓の上には "PRAGA CAPUT REGNI" (王国の頭プラハ) という、プラハ市民の誇りを示す文字が刻まれている。 左の白い家は、 "ミクシュの家" と呼ばれていた建物。 写真には写っていないが、 "ミクシュの家" の左には、 "雄鶏の家" と呼ばれていた建物があり、ここにはかつて大きな雄鶏の絵が描かれていた。  "雄鶏の家" の左には、前述のスグラッフィート壁画の建物があり、これら五つの建物で、旧市庁舎は構成されている。 なお、天文時計の塔は、1364年に増築された。
「北北西方向」 MAP N
ゴシック様式の旧市庁舎の塔内 (13:32)
1364年に旧市庁舎に増築された塔は、高さ69.5メートルで、展望台までエレベータで上ることが出来る。 ちなみに、塔への入場料金は100コルナで、チェコ通貨 (コルナ) のみ有効。
MAP O
旧市庁舎の塔 (天文時計の塔) 展望台 (13:35)
MAP O
旧市庁舎の塔 (天文時計の塔) からの展望 (13:35)
「南南東方向」 MAP O
旧市庁舎の塔 (天文時計の塔) からの展望 (13:35)
「南東方向」 MAP O
旧市庁舎の塔 (天文時計の塔) からの展望 (13:35)
「南東方向」 MAP O
旧市庁舎の塔 (天文時計の塔) からの展望 (13:36)
「南南東方向」 MAP O
旧市庁舎の塔 (天文時計の塔) からの展望 (13:37)
「南南西方向」 MAP O
旧市庁舎の塔 (天文時計の塔) からの展望 (13:37)
二つの尖塔をもつ建物は、ティーン教会。
ティーン教会 (チェコ語: Týnský chrám) は、チェコのプラハにあるゴシック様式の教会で、正式名称は「ティーン (税関) 前の聖母マリア教会 (チェコ語: Kostel Matky Boží před Týnem) 」。 教会名の由来はかつて裏側に税関 (ティーン) があったことから名付けられた。 尚、この教会には、ティコ・ブラーエの墓がある。
「東北東方向」 MAP O
旧市庁舎の塔 (天文時計の塔) からの展望 (13:37)
「東方向」 MAP O
旧市庁舎の塔 (天文時計の塔) からの展望 (13:37)
旧市街広場は、歴史的に由緒ある広場で、ゴシック様式のティーン教会とバロック様式の聖ミクラーシュ教会を含む様々な建築様式を観ることができる。
「北北東方向」 MAP O
旧市庁舎の塔 (天文時計の塔) からの展望 (13:38)
「北東方向」 MAP O
旧市庁舎の塔 (天文時計の塔) からの展望 (13:38)
広場にある、大きな像は、ヤン・フス像。
「北方向」 MAP O
旧市庁舎の塔 (天文時計の塔) からの展望 (13:38)
「北北東方向」 MAP O
旧市庁舎の塔 (天文時計の塔) からの展望 (13:38)
広場にある、大きな像は、ヤン・フス像。
「北東方向」 MAP O
旧市庁舎の塔 (天文時計の塔) からの展望 (13:38)
二つの尖塔をもつ建物は、ゴシック様式のティーン教会。
「東方向」 MAP O
旧市庁舎の塔 (天文時計の塔) からの展望 (13:38)
「東南東方向」 MAP O
旧市庁舎の塔 (天文時計の塔) からの展望 (13:40)
中央の上方には、小さくプラハ城が見えている。
「西北西方向」 MAP O
旧市庁舎の塔 (天文時計の塔) からの展望 (13:40)
「北北西方向」 MAP O
旧市庁舎の塔 (天文時計の塔) からの展望 (13:40)
「北方向」 MAP O
旧市庁舎の塔 (天文時計の塔) からの展望 (13:40)
「北北東方向」 MAP O
旧市庁舎の塔 (天文時計の塔) からの展望 (13:42)
「南方向」 MAP O
旧市庁舎の塔 (天文時計の塔) からの展望 (13:43)
「南方向」 MAP O
旧市庁舎の塔 (天文時計の塔) からの展望 (13:43)
「北西方向」 MAP O
旧市庁舎の塔 (天文時計の塔) からの展望 (13:43)
「南南西方向」 MAP O
旧市庁舎の塔 (天文時計の塔) からの展望 (13:43)
「西南西方向」 MAP O
旧市庁舎の塔 (天文時計の塔) からの展望 (13:44)
「南方向」 MAP O
旧市庁舎の塔 (天文時計の塔) からの展望 (13:46)
「南方向」 MAP O
旧市庁舎の塔 (天文時計の塔) からの展望 (13:46)
「南東方向」 MAP O
旧市庁舎の塔 (天文時計の塔) からの展望 (13:47)
「西北西方向」 MAP O
旧市庁舎の塔 (天文時計の塔) からの展望 (13:47)
中央の上方にはプラハ城が見えている。
「西北西方向」 MAP O

(13:54)

(13:55)
旧市庁舎の塔 (天文時計の塔) からの展望
毎正時になると動き出す、からくり人形を観るため、多くの人が時計台の前に集まっている。
「南方向」 MAP O
旧市庁舎の塔 (天文時計の塔) からの展望 (14:03)
定時になると、塔の四方から市街に向かって、ファンファーレが吹き鳴らされる。
「西北西方向」 MAP O

天文時計 Video Video
ヤン・フス像 [Pomník Jana Husa] (14:12)
宗教改革の火の手をあげたヤン・フスのブロンズ像、没後500年を記念して彫刻家ラジスラフ・シャロウン [Ladislav Šaloun] により造られた。 シャロウンは火刑に処せられても屈せず毅然と頭を上げるフスと、彼を取り囲むフス派の人々の崇高な精神を群衆像 (フス派の戦士たちや国家再建の意味を込めた母の像) のなかにとどめた。 この除幕式が執り行われたのは、フスの処刑 (1415年7月6日) からちょうど500年経った、ハプスブルグ帝国終焉間近の1915年7月6日である。 碑銘には 『 Pravda vítězí 』 (真実は勝つ) と刻まれている。
「北方向」 MAP P
ヤン・フス像 [Pomník Jana Husa] (14:12)
「北方向」 MAP P
ヤン・フス像 [Pomník Jana Husa] (14:14)
「東南東方向」 MAP Q
ヴルタヴァ川越しに見るプラハ城 (14:26)
パリ通り [Pařížská ulice] につづく、チェフーフ橋 [Ćechův most] の袂からプラハ城を望む。
「西方向」 MAP R
旧市街広場 [Staroměstské náměstí] (14:49)
石畳に白色で記された十字剣と一部見えている数字は、白山の戦いの後、首謀者であったボヘミアのプロテスタント貴族たちが見せしめのために、この広場で公開処刑されたのを追悼したもので、写真には写っていないが、すぐ右横には、処刑された1621年6月21日を意味する文字と、27 (27名) の十字架模様が記されている。
「東北東方向」 MAP S
エルペット [ERPET] (14:51)
ボヘミアンガラスとガーネットの店。
「南方向」 MAP T
火薬塔 (火薬門) [Prašná brána] (15:02)
もともと1475年にマチェイ・レイセクによって建てられたゴシック様式の塔で、旧市街を守っていた城壁の門の一つであった。 しかし15世紀に、プラハ城よりも市街地を好んだヴラジスラフ2世などの国王がこの近辺に王宮を建てて住んでいたことがあり、この塔も実は当時の王宮の一部であったことは、あまり知られていない。  "火薬塔 (火薬門) " という物騒な名前は17世紀に火薬倉庫として利用されたため、こう呼ばれるようになった。 現在見られる姿は、18世紀の半ばに戦災で大きな被害を受けた後、19世紀の末になって修復されたもので、塔の高さは65mあり、内部はギャラリーとしても利用されている。
「東方向」 MAP U
ツェレトゥナー通り [Celetná] (15:03)
火薬塔 (火薬門) のあるツェレトゥナー通りは、古くから商人たちの交易ルートとして栄え、また、戴冠式の行進が行われた "王の道" の一部として知られる歴史と由緒ある道である。
「東方向」 MAP V
ツェレトゥナー通りにある火薬塔 (火薬門) [Prašná brána] (15:03)
「東方向」 MAP V
火薬塔 (火薬門) (15:04)
「東方向」 MAP W
火薬塔 (火薬門) (15:05)
「北西方向」 MAP X
ヴァーツラフ広場 [Václavské náměstí] (15:20)
「南東方向」 MAP Y
ヴァーツラフ広場 [Václavské náměstí] (15:21)
この後、一旦ホテルに帰り、夕食に出かけるまで休憩。
「南東方向」 MAP Y


 U Fleků醸造所
チェコで最も古い醸造所のひとつで、プラハ1区の新市街、クレメンツォヴァ通りに位置している。 醸造所の他に、レストラン「ウ・フレク・キャバレー」と「ウ・フレク醸造所博物館」も併設している。
ビール醸造とレストラン・ウ・フレク [Pivovaru a restauraci U Fleků] (18:51)
創業は1499年、プラハで最も古いビア・ホール。 入口の時計文字盤に "PIVOVAR U FLEKŮ"(UFlekůビール醸造所) と書かれているのが目印。 敷地内の醸造所では、このレストランでしか味わえない黒ビールが、170年間同じ製法を守って造られている。
「西南西方向」 MAP Z
ユニークな時計 (18:51)
「南南東方向」 MAP Z
文字盤に注目 (18:51)
「南南東方向」 MAP Z
ホールの入口 (18:52)
MAP Z
ホール・キャバレー [Sál Kabaret] (18:53)
内装の美しいRytířský sál (騎士の間) 、木目調のAkadmie sál (アカデミーの間 ) など9つのホールがあり、ここはKabaret sál (キャバレーの間) 。 壁には、チェコのお城の絵が飾られている。
「北東方向」 MAP a
スープ (19:08)
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スープと黒ビール (19:09)
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ホールでは、生演奏が楽しめる (19:13)
「西方向」 MAP a

Video Video
鶏肉料理 (19:26)
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アップルタルトケーキ (19:57)
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ホール・キャバレー [Sál Kabaret] (20:11)
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ホールでは、生演奏が楽しめる (20:13)
「西方向」 MAP a
U Fleků の入口付近 (20:28)
この後、ホテル エスプラナーデ [Esplanade Hotel] へ帰り就眠。
「東北東方向」 MAP Z


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