旅の栞(チェコ)
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7月26日
プラハ[Praha]{カレル橋、アッシジの聖フラン
チェスコ教会、ヴルタヴァ河畔}
カレル橋 [Karlův most] カレル橋は、ヨーロッパに現存する最古の石橋で、ヴルタヴァ川 [Vltava] にかけられている。 14世紀後半から15世紀の初めにかけて、カレル4世の時代にゴシック様式で建造され、全長約520m、幅は約10mあり、両側の欄干には30体 (現在は29体) の聖人像が立ち並んでいる。 最初は単に石橋、プラハ橋と呼ばれていたが1870年よりカレル橋と呼ばれるようになった。建築家は若き天才、当時27歳のペトル・パルレー [Peter Parler]で、最高の技術を用いて造られた。 その後600年近くも健在で何度かの洪水にも耐えてきた事実が彼の建築技術の高さを証明している。 1841年までプラハ旧市街とその周囲をつなぐ唯一の橋であった。 ♬ わが祖国 [Má Vlast] 第2曲:ヴルタヴァ[Vltava] ![]() 演奏:ベルリンフィルハーモニー管弦楽団 |
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ヴルタヴァ川 [Vltava] とカレル橋 [Karlův most] (18:11)「北東方向」MAP ![]() |
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ヴルタヴァ川 [Vltava] とカレル橋 [Karlův most] (18:13)「北東方向」MAP ![]() |
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カレル橋 [Karlův most] の袂 (18:27)「北西方向」MAP ![]() カレル橋の西側の袂、まずは夕食のためレストランへ向かう。 前方の高架がカレル橋の西端部で、この部分はカンパ島 [Kampa] の上にかけられている。 |
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(18:48) MAP ![]() |
(19:40)「北北東方向」MAP ![]() |
U Tří Pštrosů 「3羽のダチョウ」 U Tří Pštrosů のレストランで夕食を済ませ、対岸にあるアッシジの聖フランチェスコ教会[Kostel svatého Františka z Assisi] へ向かう。 |
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カレル橋の西端部 (19:42)「東南東方向」MAP ![]() 中央手前に見える像は、聖ヴァーツラフ像。 向かって、その左後方に少し見えているのがマタの聖ヨハネとヴァロフの聖フェリックス及び聖イワン像。 カレル橋の上には左右の欄干に15体ずつ、全部で30体の聖人像が並んでおり、カレル橋の景観を特徴づけている。 これらの聖人像は聖書から題材を取ったり、歴史的な聖人や英雄をモデルにしている。 聖人像は17世紀から19世紀にかけて加えられた物で、橋の完成当時からあったものではない。 そのため、橋はゴシック様式だが彫像はバロック様式のものが多い。 |
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カレル橋の西端部に立つ橋塔 (19:43)「西北西方向」MAP ![]() かつて橋塔は通行料を徴収したり橋を守る目的で建てられたが、現在では一般に開放されている。 |
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カレル橋 [Karlův most] (19:44)「東南東方向」MAP ![]() マタの聖ヨハネとヴァロフの聖フェリックス及び聖イワン像。 犬を連れたトルコ人が牢の中のキリスト教徒の番をし、その上に聖イワン (十字架を手に持つ聖人) 、その向こうに聖ヨハネ、その下に聖フェリックス が立っている。 マタの聖ヨハネ [St. John of Matha] とヴァロフの聖フェリックス [St. Felix of Valois] は捕らわれたキリスト教とたちを、身代金を払ってトルコ人から解放したと言われ、この像はそれをテーマにしている。 マタの聖ヨハネとヴァロフの聖フェリックスは三位一体修道会の創設者である。 (1714年Ferdinand Brokoff 作) |
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カレル橋 [Karlův most] (19:45)「北東方向」「東南東方向」MAP ![]() カレル橋の上には左右の欄干に15体ずつ、全部で30体の聖人像が並んでおり、カレル橋の景観を特徴づけている。 右手前の像は聖ヴォイチェフ゠アダルベルト像、その向かいに立つ白っぽい像は聖ペニート゠フィリッホ像で唯一の大理石像。 |
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カレル橋の西端部 (19:45)「西北西方向」MAP ![]() カレル橋の小地区 [MALÁ STRANA] 側には2つの橋塔がある。 12世紀の初め、現在のカレル橋のやや上流に木造の橋がかけられていたが、その橋は12世紀半ばの洪水で流されてしまった。 そこで今度は新しく石橋が建造され、ヴラティスラ2世の第2妃の名をとってユディット橋 [Juditin most] と名付けられた。 しかし、この橋も1342年の洪水で破壊されてしまった。 その後、カレル4世の命によって1357年に着工し60年近くかけて完成されたのが現在のカレル橋である。 2つの橋塔のうち、左側の低い塔は元々ユディット橋に付けられていたもので、1591年に修復され現在の外観になっている。 また、大きい方は1464年にポジェブラディ王の発案で古くからあった塔の跡に建てられたものである。 (塔内は見学できる) |
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カレル橋 [Karlův most] (19:46)「東南東方向」MAP ![]() 右手の像は、聖ルトガルディスで、傷口に接吻しようとする聖女のために十字架上のキリストが身をかがめている。 橋の上でも最も美しい像。 その向かいの黒っぽい像は、聖カイェタヌス像。 |
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カレル橋 [Karlův most] (19:46)「東南東方向」MAP ![]() 右手の像は、トレンティーノの聖ニコラス像。 その向かいの像は、聖アウグスティヌス像。 |
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カレル橋 [Karlův most] (19:47)「東南東方向」MAP ![]() 右手の像は、聖ウィンケンティウス・フェレリウスとプロコプ像。 その右下の橋脚部にブルンツウィーク [Bruncvík] 像のコピーがある。 左の欄干に立つ象は、聖タダイのユダ像。 |
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カレル橋 [Karlův most] (19:47)「東南東方向」MAP ![]() 右手の像は、熾天使に守られた聖フランチェスコ像。 その向かいの像は、パドゥアの聖アントニウス像。 |
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カレル橋 [Karlův most] (19:47)「東南東方向」MAP ![]() 右手の像は、熾天使に守られた聖フランチェスコ像。 その向かいの像は、パドゥアの聖アントニウス像。 |
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ヴルタヴァ川 [Vltava] (19:48)「南南東方向」MAP ![]() 左端に写っている像は、熾天使に守られた聖フランチェスコ像。 |
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ヴルタヴァ川 [Vltava] (19:48)「南南東方向」MAP ![]() 左下に見える楔形の木組みは、流木などが直接橋脚にぶつからないようにするための防護柵。 |
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カレル橋 [Karlův most] (19:48)「東方向」MAP ![]() この像はプラハの殉職者、聖ヤン・ネポムツキー像で、この橋で最初に建てられた彫像。 唯一のブロンズ像で1683年に橋の中央に建てられている。 因みに、この像のレリーフに触れると幸運が訪れるといわれ、その部分だけは輝いている。 |
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カレル橋 [Karlův most] (19:49)「北方向」MAP ![]() 頭上に5つの星が輝き、手に棕櫚の枝を持った人物として描かれる、聖ヤン・ネポムツキー像。 理由は定かではないが、王を怒らせた聖ヨハネ (聖ヤン・ネポムツキー) は拷問を受け、1393年3月20日に落命した。その遺体は夜のカレル橋から投げ捨てられたが、同年4月17日、ヴルタヴァ川の川岸で発見された。 彼が川に投げ込まれたとき5つの星が現れ、光り輝き、天が開いて、そこから神の祝福を示す棕櫚の枝を持った天使たちが降りてきたといわれている。 それ以来、5つ星と棕櫚の枝は彼のシンボルとなっている。 プラハの聖ヴィート大聖堂内には、フィッシャー・フォン・エルラーハが手がけたバロック様式の墓がある。 |
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カレル橋 [Karlův most] (19:50)「東南東方向」MAP ![]() 右端に少し見える像は、聖クリストフォルス像。 |
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カレル橋 [Karlův most] (19:50)「東南東方向」MAP ![]() カレル橋から望む旧市街側のヴルタヴァ川々縁。 各橋脚の上流側には、流木などから橋脚を守るための防護柵が設けられている。 |
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カレル橋 [Karlův most] (19:50)「東南東方向」MAP ![]() 日本でもなじみ深い聖フランシスコ・サヴィエル像。 彼の布教した東洋の人々が、聖人を盾に載せてかついでいる。 フランシスコ・ザビエルは日本にキリスト教をもたらしたことから日本の守護聖人になっている。 |
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ヴルタヴァ川 [Vltava] (19:51)「南方向」MAP ![]() 向こうに見える橋は、レギー橋 [most Legií] (軍団橋) 。 橋の左手に見える、屋根の上が金色でひときわ高い建物が国民劇場 [Národní divadlo] 。 国民劇場は 「チェコ語によるチェコ人のための舞台を」 をスローガンに国民の寄付などで、1881年に完成いたが、落成式の直前に火事で焼失しまい、再びおこなわれた熱心な寄付金活動によって2年後の1883年に再建された。 舞台の真上には 「国民がおのれ自身のために」 という文字が金色で刻まれており、チェコ文化復興を象徴する劇場となっている。 |
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カレル橋 [Karlův most] (19:51)「東南東方向」MAP ![]() 中央に見える塔は、旧市街側の橋塔。 その左手の緑色の丸屋根は、アッシジの聖フランチェスコ教会。 右端に少し見えている像は、聖ヨゼフ像。 その向こうの右手の像は、ピエタ像、その向かいにはブロンズの十字架像がある。 |
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カレル橋 [Karlův most] (19:52)「東北東方向」MAP ![]() カレル橋から望む旧市街側のヴルタヴァ川々縁。 右端に見える像はブロンズの十字架像。 十字架の両側に聖母と聖ヨハネの石像が建っている。 |
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カレル橋 [Karlův most] (19:53)「東南東方向」MAP ![]() カレル橋から望む旧市街側を望む。 中央に見える塔は、旧市街側の橋塔。 その左手の緑色の丸屋根は、アッシジの聖フランチェスコ教会。 左端に少し見えている像は、聖母と聖ドミニクス、トマス・アクィナス像。 |
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旧市街側の橋塔 (19:54)「東南東方向」MAP ![]() カレル橋の東端部にある旧市街 [STARÉ MĚSTO] 側の橋塔。 |
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旧市街 [STARÉ MĚSTO] 側の橋塔 (19:54)「東南東方向」MAP ![]() ペトル・パルレーシュによって造られ、1400年に完成した。 橋塔は、通行料を徴収したり、カレル橋を飾るだけでなく、旧市街の守りともなっていた。 1648年にはスウェーテ゛ン軍の砲撃で塔の裏側は甚大な損傷を受けたが、1874~78年になってモツカーの手により修復が行われ現在の姿になっている。 (塔内は見学できる) |
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アッシジの聖フランチェスコ教会[Kostel svatého Františka z Assisi] (19:54)「東北東方向」MAP ![]() この教会でオルガンコンサートを鑑賞。 中央に見える銅像はカレル4世像で、カレル大学創設500周年を記念してたてられた。 |
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アッシジの聖フランチェスコ教会[Kostel svatého Františka z Assisi] (19:56)「北東方向」MAP ![]() |
1.主祭壇 4.聖祭団。アグネス 5.説教壇 6.オルガン 画像出典 |
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アッシジの聖フランチェスコ教会 (19:58) MAP ![]() |
アッシジの聖フランチェスコ教会 (20:01) MAP ![]() |
教会オルガンコンサート会場の主祭壇前には誰もいず、演奏が始まるとパイプオルガンの置かれたテラス上でバイオリニストと歌手が演じている影だけが主祭壇の右手の壁に映し出されている。 これは、一般的にパイプオルガンの置かれている場所が音響効果上ベストの位置とされているためである。 ♬ コンサートの一場面 (No1) ![]() |
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アッシジの聖フランチェスコ教会[Kostel svatého Františka z Assisi] (20:02) MAP ![]() |
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アッシジの聖フランチェスコ教会[Kostel svatého Františka z Assisi] (20:59) MAP ![]() コンサートのラストは挨拶をかねて、観客の前で演奏。 ♬ コンサートの一場面 (No2) ![]() |
黄昏のヴルタヴァ河畔 (散策) ♬ わが祖国 [Má Vlast] 第2曲:ヴルタヴァ[Vltava] ![]() 演奏:ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団 |
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プラハの夕景 (21:06)「北西方向」MAP ![]() |
プラハの夕景 (21:06)「北西方向」MAP ![]() |
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プラハを代表する景色 (21:07)「北西方向」MAP ![]() プラハで最も景色の良い河岸、スメタノヴォ・ナーブジェジー [Smetanovo nábřeží]* からの眺望。 *チェコの作曲家ベドルジハ·スメタナ [Bedřich Smetana] の名にちなんで名付けられたヴルタヴァ河岸。 |
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プラハの夕景 (21:07)「北西方向」MAP ![]() |
プラハの夕景 (21:07)「西北西方向」MAP ![]() |
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ヴルタヴァ川越しにみるプラハ城 [Pražský hrad] (21:07)「北西方向」MAP ![]() プラハで最も景色の良い河岸、スメタノヴォ・ナーブジェジー [Smetanovo nábřeží]* からの眺望。 *チェコの作曲家ベドルジハ·スメタナ [Bedřich Smetana] の名にちなんで名付けられたヴルタヴァ河岸。 |
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プラハの夕景 (21:08)「北西方向」MAP ![]() |
プラハの夕景 (21:08)「北西方向」MAP ![]() |
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黄昏のプラハ (21:08)「北西方向」MAP ![]() プラハで最も景色の良い河岸、スメタノヴォ・ナーブジェジー [Smetanovo nábřeží]* からの眺望。 *チェコの作曲家ベドルジハ·スメタナ [Bedřich Smetana] の名にちなんで名付けられたヴルタヴァ河岸。 |
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プラハの夕景 (21:10)「北西方向」MAP ![]() |
プラハの夕景 (21:11)「北西方向」MAP ![]() |
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黄昏のプラハ城 [Pražský hrad] (21:12)「北西方向」MAP ![]() プラハで最も景色の良い河岸、スメタノヴォ・ナーブジェジー [Smetanovo nábřeží]* からの眺望。 *チェコの作曲家ベドルジハ·スメタナ [Bedřich Smetana] の名にちなんで名付けられたヴルタヴァ河岸。 |
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プラハの夕景 (21:12)「北西方向」MAP ![]() |
プラハの夕景 (21:16)「北西方向」MAP ![]() |
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レギー橋 [most Legií] (軍団橋)* からの眺め (21:18)「北方向」MAP ![]() 前方の橋はカレル橋、右手の木々が生えている堤は先ほど歩いてきたスメタノヴォ・ナーブジェジー。 *軍団橋 [most Legií] はチェコ軍団の名にちなんで名付けられている。 |
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レギー橋 [most Legií] (軍団橋) からの眺め (21:22)「北北西方向」MAP ![]() 今夜は、ホテル エスプラナーデ プラハ [HOTEL ESPLANADE PRAHA] で宿泊。 |